第33号 2016年6月 発行 聖ベネディクト女子修道院 

オブレートだより

自分から出て


 「この刑は軽すぎないかしら」、テレビから報道されたあるニュースに一瞬反応した私、裁判は人を罰するのが最終目的ではなく、被告人の更生が狙いであり、まして事件の内容や被告人についても、マスコミを通してほんの少ししか知らないのにと思い直しました。
それは今年二月に修道院で行なわれた黙想講話の中に「姦通の女」(ヨハネ8・1―11)、「放蕩息子」(ルカ15・11―32)があり、感謝と許しが私の心に強く残っていたからでしょう。

 「姦通の女」の話でイエス様は、「天の御父を基準とすれば義人は誰もいない。
全ての人が罪人であり、忍耐強い御父に許されてなお、恵みによって生かされているのを忘れてはならない」と無言のうちに示されました。

 まして、人々を神様の方向へ導く使命を持っているはずのファリサイ派や律法学者たちは、この女性を人としてではなく、道具として利用し、哀れみのかけらも持っていないようでした。

 どうにかしてイエス様を陥れ、抹殺しようと企んで、その機会をうかがっていた彼らにとって、この事件は格好の材料でした。

 なぜならこの時代、姦通罪で捕えられた者は、石殺しの刑に処せられる定めでしたので、もしイエス様がこの刑を実行するなら、ご自分が常日頃、民衆の前や立場の弱い者、病人、犯罪者など社会の底辺にあり、虐げられている人達に説いておられた慈しみ、愛、許しは何だったのかと信頼を失い、逆に死刑にあたると言えば、当時ローマの支配下にあったユダヤ人に、死刑の宣告や執行権は無く、ローマに権限がありましたので、ローマをないがしろする犯罪人になりました。
また罪を許すなら、モーセの律法に背くばかりか姦通を認める者とされます。

 窮地に追い込まれながらもイエス様は前述のように応えられた後、女の人に「行きなさい。もう罪を犯してはならない」と言われました。
石殺しの刑から一転し、生を取り戻したこの人は、生涯この出来事を忘れないでしょう。
惨めな自分が信頼され、人として認られ、神に立ち返るチャンスを与えられた喜びは、更生への大きな拠りどころとなったはずです。

 「放蕩息子」の場合もそうでした。

 この話は「親の心子知らず」とことわざにもあるように、神が人に抱く愛情を示しているので、大抵は父と弟の関係から見てきましたが、この度はあえて兄の側から味わってみました。

 一日の仕事を終え、疲れて家に帰り着いた兄の驚きと憤りが想像されます。
放蕩の限りを尽くした弟が「立派な服を着せてもらい、奴隷の身分では決して身に着けない履物を履き(この時代奴隷は裸足だった)、手には指輪をはめ(日本的には実印の用途もなした)、そしてさらに盛大な宴まで開かれていた」とあり、一見、この状況では誰でも兄の気持が理解でき、同情の念さえ持つのではないでしょうか。

 しかし読み返して、お父さんと兄の関係を見ますと、兄は常日頃父と共にいて、その庇護の下にありながら父の愛情を素直に受け止めてはいなかったふしがうかがわれます。
「何年もお父さんに仕え、言いつけに背いたことは一度もありません」とあり、父に仕えていたのは、父親を愛し、その慈しみに感謝し、敬っていたと言うより、長男としての義務感からだったようです。
弟の自由奔放な暮らし方が羨ましかったのでしょうか。
父の諭しも空しくすねて、ひがみ、父を責め、弟を許すどころか平気でその過ちを暴いて卑しめ、父に向って「あなたの息子」と言って自分の弟として認めませんでした。

 旧約聖書によると、神は天地創造の中で人をお造りになるにあたり、「ご自分に似せて」かたどり、命の息を吹き入れられ、存在し、生きることを望み、それを「善し」とされました。こうして人祖が生命を受け、無償で多くの恵みをも頂いて以来、人は神に望まれて生きるのを「善し」とされた者なのです。
それは「私」もそうであるように、他者も同じように「善し」とされた者であり、「互いに愛し合いなさい」と言う掟はお互いの善を望むことに他なりません。

 しかし私達は日々生活する中で、望まれて生かされている恵みに慣れ、感謝の念からは程遠い、自力で生きているかのように過ごしがちではないでしょうか。
そして譬え話の中の兄、またファリサイ派や、律法学者のような目で他者と接している自分に出会うことになります。

 神が人を愛するとは、「放蕩息子」を見つけた時、子を思うあまり、まだ遠くにいたにもかかわらず、何もかもさて置いて、自分の方から走りよって受け入れた父の行動に象徴されているように、自分から出て他者の善を望む行為です。

 感情的な好き嫌いにとらわれず、相手にとって一番善いものを望み、祈る人であり続けるのは、弱い私にとって難しいことです。
「神の慈悲に対して決して望みを失わないこと」(戒律4章74節)を旨として日々歩めますように。

シスターナオミ 田中美智子