2016年12月 第37号 発行 聖ベネディクト女子修道院 

オブレートだより

第30回オブレートの集い

今年は、4月に叙階の秘跡を受け司祭になられた佐藤謙一神父様(カトリック月寒教会助任)をお迎えし、参加者12名(函館3名、伊達2名、室蘭3名、札幌4名)で行なわれました。
院長からは「今回『集い』のパンフレットの裏表紙に聖ベネディクトのメダイが使われました。
そこに刻まれている『P』の文字はパックス平和を意味します。
そして、これは聖ベネディクトの標語です。
ですから、この修道院に平和を感じられない方は私達のためにお祈り下さい」と。
また、長野県富士見の男子聖ベネディクト修道院が今年8月に閉鎖されました。
その理由は召命が不調、米国本部のメンバーも激減し人手不足、経済面、そして、言葉の壁(院内生活は英語が主流になっていた)などの話がありました。
その後佐藤神父様の講話(1)、昼の祈り、昼食をはさんで講話(2)、ミサ、茶話会と順次予定通りに進みました。
皆さまには紙面の関係上講話(1)を要約し掲載させていただきます。

講話(1)「わたしの召命のあゆみと死へ向かう生きかた」

私は1961年11月13日出生。翌年の12月受洗、8歳で初聖体、13歳で堅信を受け、高校2年生まで侍者をしていました。しかし受験を理由にやめました。
家には祭壇はありましたが、そこで家族そろって祈った記憶がありません。
また司祭は外国人がなるものと思っていました。
それは、函館の教会がパリミッション会の司祭でしたし、トラピストに行っても外国人が司祭だったためです。
日本人も司祭になれると知ったのは18才頃、従兄の後藤正史さん(現広島教区司祭)が神学生になったのと函館の元町教会に日本人司祭が赴任したことでした。
これをきっかけに司祭について考えるようになりました。

1987年4月に室蘭工業大学電気工学科へ入学し、親から解放された気分になり、教会の所在は知っていましたがミサにもまったく行きませんでした。
学生時代は花屋、葬儀屋など色々なアルバイトをしましたが、その頃は家族にも周りにいる人にも病気や貧しさ、苦しみに直面している人が少なかったためか、自分の人生のことばかり考えていて、あたりの人たちを見るということはありませんでした。
1992年25歳で卒業し、半導体製造会社に入社、設計部門に配属されました。ここで同僚の死を2回経験したのと、自分の顔面神経マヒと言う病を機にいつまでも健康で快適に暮らしていけるわけではないと知り、「死」について考えるようになりました。
この頃から健康と食品に関心を持ち、週末だけ農業実習が出来る就農準備校に通うようになりました。

2002年、日本の経済はバブル崩壊からずっと低迷していましたので、会社の不正義な人員整理の問題から希望退職し、函館の実家に戻りました。
もし、ここで会社を辞めていなかったら神学生にもなっていなかっただろうし、教会にも戻らなかったかもしれませんでした。
その後仕事に就かず、ブラブラしていると主任司祭だった宮部登神父様(現岩見沢主任司祭)から「司祭にならないか。」と声を掛けられましたが断り、農家や牧場で実習を繰り返しながら自分の将来を模索している中で、北海道農業会議と契約を結び、伊達市にある牧場で体験実習をすることになりました。
その寮となる一軒家に入った所、聖母像や十字架が飾られているのが目に留まり、この出会いと「これを置いていった人はここで3月まで働いていたが、当別のトラピスト修道院に入った。」と聞かされた時はもうカトリックから離れられない。
私に何らかの召し出しがあるのかとも思いました。

農業会議との契約終了後、農業を本当に自分がやりたかった仕事だったのかとの思いを抱きながらも岐阜県で就職しました。
この頃はミサには参加しなかったけれど度々1人で聖堂訪問をし、祈るようになっていました。
その後筑波で叔父の勤めていた研究所に就職し、父の大腸癌手術等を機に教会で祈ることも多くなり、研究所に通っていた大学生の自殺に出会ったが自分は何も出来なかったことなどがとても心に残りました。
その直後、母が肺癌で余命半年と父から連絡を受け、また父も癌の転移で共に入院し、再手術となりましたので、私は函館と筑波を往き来する生活をしていました。

2008年母が亡くなった頃から司祭になろうと思い、年明けには父にその思いを話しました。
父はその3月に亡くなり、私は退職して函館に戻りました。
2009年4月、養成担当司祭に自分の召命について相談し、先ずは召命練成会に参加した後、正式に司祭になりたい意思を伝え、地主司教様と面接、推薦の運びとなりました。
9月に入学試験を受け、合格発表後、翌年春の入学式までの間は予備的養成を受ける中、トラピストで1ヶ月の黙想をすることになり、ここで聖母子像と十字架を寮に置いて行かれた人、トマス鎌田修道士さんに出会い、お互いに召命の道を歩んでいる喜びを神に感謝しました。

2010年4月 日本カトリック神学院に入学。
2016年4月29日 勝谷司教様司式で司祭に叙階されました。
 ・病にある人、死を迎えつつある人に寄り添っていける司祭になりたい。
 ・入信の秘跡はもちろんのこと病者の塗油、ゆるしの秘跡において神と人の間を取り次ぐことを大切にして行きたい。
 ・ 典礼は単なる儀式ではない。神とつながっていると感じられる所までもって行き、それを伝えられるようになりたい。
 ・ ミサでは聖書に基づいた分かりやすい説教を心がけ、イエス様がこの集いの中にいると感じられるような振る舞いをして行きたい。
この思いをもって叙階されました。以上。

神様はごく日常的な出来事の中でいつも私たちに何かを語ってくださっています。
「目を覚まして」この語りかけをしっかり受け止めて応える日々を過ごしたいものです。
また、お話してくださった佐藤謙一神父様の司牧の上に聖霊の助けをお祈り致します。

参加者の声

「子供達がミサに行かなくなっている生活を見て、行くように時々話します。
しかし、もう親が思うようにはならない現実なので祈るばかりでした。
神父様のお話を伺っておりまして、神様の計らいの中で本人たちが神様と出会うよう静かに祈って待つのが親のつとめともおもいました。」