レコード芸術 2020年5月号 新譜月評

大木 正純●

 《マタイ受難曲》の蘇演を挙行したメンデルスゾーンはもとより、その親友だったシューマンもまた、バッハを愛することにかけては人後に落ちなかったようだ。この2人は何と、《無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ》にピアノ伴奏を施すという、いまでは愚行にも思える行動に出た。先鞭を付けたのはメンデルスゾーンで、《パルティータ》第3番の前奏曲と、かの《シャコンヌ》をまな板にのせ、ゲヴァントハウスの演奏会でダーフィトとともに披露して喝采を浴びたという。それを目の当たりにして刺激を受けたシューマンは、ずっとあとになってからだがいかにも彼らしく憑かれたように熱中して、こちらは6曲全部をアレンジしてしまったのである。この2枚組ディスクは、それらのすべてを収録したまことにもって貴重かつ興味深い代物である。
 2人の編曲ポリシーは大いに異なる。メンデルスゾーンの方は、言ってみればおのずと脳裏に浮かんでくる和音や旋律をそっと付け加える程度。対してシューマンははるかに積極的で、結果としてほとんど二重奏に近い立体的なスコアが出現する。ともあれさまざまな発見のあるこれらを優れた演奏で聴かせてくれた桐山建志と小倉貴久子に大きな花束を。ただし正直言って、ピアノ・パートが少し邪魔だと思われるシーンも多々、なくはない。ソロですべてを語り尽くしている、バッハの恐るべき偉大さに、改めて脱帽。

中村 孝義●

 現代のわれわれからすると、あらゆる音楽の中でも最も完成度の高いものの一つといってよいバッハの無伴奏作品に伴奏をつけるなどとんでもないことのように思えるが、バロック時代の音楽を、現代とは異なる19世紀に蘇らせるためにはそれなりの工夫が必要であった。メンデルスゾーンの手によってバッハの《マタイ受難曲》が蘇演されたことがバッハ復活のきっかけとなったことは有名な話だが、その時でも、メンデルスゾーンによって随分と手を入れられていたことは意外と知られていない。だからバッハの無伴奏作品に伴奏が補われたのは当時としては普通であり、このアルバムの最初に収められたメンデルスゾーンがピアノ伴奏を補った前奏曲や《シャコンヌ》が、1840年にライプツィヒのゲヴァントハウスで初演されたとき大喝采を浴びたことが伝えられている。その初演に接したシューマンも大いに感激した一人であって、彼は後の1852年になって全6曲にピアノ伴奏を施す試みを行っている。このアルバムには初期ロマン派における二人の作曲家の深い関係が示されていると同時に、19世紀のバッハ受容の在り方がしるされているという意味で非常に興味深いものである。桐山建志と小倉貴久子は堅実な技術と作品に対する真摯な姿勢でこれらの作品の在り方を確実に音楽化しており、今なら無謀と思える編曲が意外なほど違和感がないことには驚くばかりだ。ただ演奏は、やや肩に力が入り過ぎでもう少し柔軟な姿勢が欲しい。

鈴木 裕●

〔録音評〕 フォルテピアノもヴァイオリンもオリジナルのピリオド楽器で、現代のものと比較すると音量は鳴りっぷりの面では不利な場合があるが、この録音ではそうしたネガティヴな印象はいっさい感じない。また、フォルテピアノの音色や音量が、ヴァイオリンに対して実にいいバランスなのも特筆しておきたい。これだったら伴奏付きもありと思わせる録音だ。 〈93〉 

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