感想

  

ベテランのひとたちにとって「当たり前田のクラッカー」(古いですね!)というところでいわば確認作業のようなものだったと思いますが、じかにいろいろなひとの意見、思い入れを聞いて、初心者のわたしにとってはたいへん役に立ち面白い学習でした。いろいろな意見の間に空間に飛び交う熱気、語り手としての自信や悩み、誇り等等を肌で感じた時間でした。                    

 村山

類話やモチーフの学習についてなぜか身が入らず、不心得にも当番でなかったら帰りたいなと思っていたわたしの脳髄に雷鳴がとどろくかのようでした。発端はモチーフについてのTさんの言葉です。魔法で動物に変えられてしまったひとを人間に戻すためには他者の力(愛)が必要だ。なすを食べる力はあっても、なす全部を食べきる力はない。口にいれてやるひとの力が必要なのだというくだりです。(旅人馬から)
こうしたおはなしをお子さんの不登校のことで悩んでいた時、よく語られたと聞いて、わたしもそれと知らずに「カイアス王」という、魔法によって動物に変身させられたこどものモチーフをもつものがたりを創作し語っていたことに思いあたったのです。私もまた何年かこどもの不登校で悩んでおりました。わたしは自分史として生のまま語ることができずに思いつきで象徴としてそのモチーフを用いたのです。けれども改めてフォークロア、伝説の世界は表面のストーリーだけでなくもっともっと深い意味を隠し持っているのではないか、また大きな癒しの力を持っているのではないか、わたしたちはひょっとして思っていたよりずっとずっと深い真理、深淵に対峙しているのではないかと気付いたことでした。そうしてもうひとつ、自分が注意深くフォークロアを迂回しようとしていたことも。わたしは今まで文学作品として昇華したものしかフォークロアを語ることができなかったのです。なぜそうせざるを得なかったのか、今はおぼろげに理解できるのですが。

フォークロアの深淵と呼応する自分の内部に脈々と流れるものに思いを至らしめることができたならこれからわたしもフォークロアも語れるような予感がいたします。いのちある、切れば血液や樹液の滲み出るようなことばで語ってゆきたいと思います。

 

夜語りではできましたら全員のおはなしが聞けますように。

語られるものがたりについてコメントすること、批評することはまた、おのずから、それを行なうひとの拠ってたつ場所、なにを大切にしているかを明確にしてゆきます。それを念頭においてコメントする必要がわたしたちにありはしないでしょうか?

                                                                   森



宿題  体験、思い出、自分のエピソードを語る自分史の語り

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