アンコール遺跡と古都アユタヤ
05.12.11〜05.12.16


タ・ケウ

タ・プロムをでて、その北にあるタ・ケウに行く。

タ・ケウは1000年頃建てられ、アンコールワットによく似ている為、その試金石と言われている。

ピラミット形をしていて、この頃王位継承の争いがあり、王の急死で未完成の侭、放置されてしまった。 



基壇の上に祠堂を構え、外壁に装飾が全く無い。





石材を積み上げただけの状態で中止されたのであろう。




シルクの布地や民芸品を我々に買って貰おうとするが、残念ながらバスは出発。

恨めしそうな顔で見送る彼女達  ふれ込みはシルクと云うが、色々有るとのこと。


この後、日没が美しいと言われるプレ・ループの丘の寺院へ。 

タ・プロムの直ぐ東にあり、この辺りは遺跡が集中しているところ。



プレ・ループ

遺跡には平地型とピラミット型とあるが、ここはピラミット型。

サンセットには少し早いが、塔の頂上に登ることにする。



夕日を見に階段を登る人々

この寺院は961年に建てられ、プレ・ループとは死体を返すと言う意味で、

ここでは火葬の儀式が行われていた。

中央伽藍の中段に死者を荼毘に付した石槽ある。



基壇の中段にある火葬の石槽


上に登って見ると、既に大勢の客が、夫々の場所を陣取り、カメラをセットしたり

思い思いの気持ちで日の沈むのを待っている。

サンセットまで一時間程時間があるので、こちらは基壇を一週する事にする。

上から見ると、辺りは濃い樹林に包まれ、四方の展望が素晴らしい。



上階の基壇を守る獅子が四方に置かれている。


見て歩いていると、土地のアンちゃんが来て、” コチラ アンコールワット ミエルヨ” 

と言うので、行って見ると、彼が指を指して呉れるが、一向に見えない。

何処に! と言うと、 ”コチラ! コチラ! と言う。

良く見ると、遠くのジャングルの木の間に小さくシルエットの尖塔が見えた。

見えたと答えると、”貴方英語判る”と言うので、少しと、答えると、案内してやると言って

祠堂の方へ行く。 付いて行くと、祠堂の中には煌びやかな釈迦像があり、散華や

線香が点されていた。  ”線香を挙げよ”と言うので、線香をとると

線香代を入れてと言う。 有合せのポケットの500リエル(100リエルは3円)

を入れると、アンナイのチップも下さい、と言う。   チャッカリしてるねえ−!

馬鹿馬鹿しくなったが、まー案内をして呉れたことだし、此方が前もって確認をしないのも

手落ちかと思って、リエルが無いので1ドルを渡すと、最敬礼をして行った。


塔と獅子

一週をして戻ると日は傾き、見下ろしているとクレオパトラの史劇に出てくる宮殿にいる様だ。

先ほどのアンちゃんが現われ、眼が合うと頭を下げていた。 

暫らくすると又、誰かに話しかけていたが又、誰か鴨に・・・ 大丈夫かな?



太い石材が床に敷かれている。




外周の塀と廻廊の石の連子赤色砂岩の色合いが古さを引立てる。


やがて西の空が茜色となり夕日が沈んでいく、皆の歓声が上がり、彼方此方で

シャッターが切られる音が聞こえた。  




ジャングルの彼方のサンセット


すっかり日も沈み、帰路につく。 今夜の夕食は中華料理と言うが、

正式には中華風料理だそうな。





12月13日アンコールワットへ


今朝は添乗員の電話で起こされた。 ”バスが出ますよ! 行きますか?”

すっかり寝込んでしまい、顔も洗わず飛び出す。  皆さん、既にお揃いで、こちらは

ばつ悪くバスに飛び乗る。 ” お待たせしました!”


今朝は5時起床でアンコールワットの朝日を見に行く日であった。

これから旅行のメダマであるアンコールワットと「東洋のモナリザ」と称する

バンテアイ・スレイを訪れる予定である。


未だ、辺りは真っ暗で、ガイドが説明してくれるが、暗闇の中にぼんやりと街が

見える状態、成る程、「懐中電灯持参」と言われたのが、よく解った。

これでは足元も、よく見えないだろう。

20分程で高速道路の料金所の様なゲイトが見えてきた。

こちらで全員の入場券のチェクの為、係員がバスに乗り込んで来た。

何処かの国境通過の時のようだ。 しかし、テェクは簡単、ちらちらと見て行く程度。

ゲートを潜って、暫らく走ると、駐車場があり、既に何台かのバスが停車していた。

200Mぐらいの濠を隔てて、その奥にアンコールの3つの塔が、しらじ始めた東の空に

薄っすらと見える。  石畳の真直ぐ伸びた参道を塔に向って大勢の人が懐中電灯を

照らし早足で進んでいく。  濠を渡って西塔門に入ると、さすが暗くて
懐中電灯を取り出す。

中に入ると廻廊の石段や西塔門の石段に、人々は席を取り、日の出を待っていた。

我々も空いている所に座って待つことにする。  20分程であろうか空が紅くなり

尖塔が鮮明に切り絵のように浮かび上がって来る。









やがて黎明の空は黄金の色を増し、クメールの神々の来光を向える様な輝きに包まれる。

そこかしこに、ため息が漏れ、やがてドラマは終わる。







 
日の出に魅入られた人々




名残を惜しむように見続ける人達




朝日を写す寺院の環濠

我々も自然が為せる美のドラマを見終え、バスに戻る。

帰る頃には、すっかリ、太陽も昇り、アンコールワットの前の道は勤めの人達の

バイクや自転車で輻輳し、道沿いの露天商に近いバラックの店が商売を始める。

街場の者は、よく日本製のバイクを乗るが、田舎の人は所得が少なく中国か韓国製を乗るそうだ。

朝食にするのか、彼等はフランスパンを買っていく。

面白いのは、それ等の店で、ペプシやコーラの空瓶にガソリンを詰め、軒先にぶら下げ

バイクの客に売っていた。  ガソリンの値段は政府の補助もなく、1US弗の値段で

彼等の収入では高価なものである。  因みにガイドの大雑把な話で月収80US弗と

言っていた。  ホテルへ戻ると、ロビーで民族衣装の楽士が木琴風の楽器で

ころん、ころんと、素朴な旋律を演奏して、我々の帰りを向えてくれた。


これから朝食を済ませ、8時にアンコールの遺跡群を観光する。



プラサット・クラバン


最初はアンコールワットの東に位置するプラサット・クラバンへ行く。



クラバンの寺院

この寺院は921年にハルシャ・バルマン1世によって建てられた平地型の寺院で

ヒンズー教のビシュヌ神が祀られている。

5つの祠堂を持ち、前には舞台があり、全てが煉瓦で組まれて入る。


中央塔は上部まであるが他の塔は崩壊している。  聖堂の内部には夫々ヒンズー教の

神々の像が浮彫りされ、中央塔はビシュヌ神が彫られ、

北の塔にはビシュヌ神の妻が彫られている。



聖堂内壁のビシュヌ神




右隅、ビシュヌ神の妻(吉祥天)


プラサットクラバンの後は、場所的には一番北の端となるバンテアイ・スレイへ向う。



バンテアイ・スレイ


距離的に40kM弱あるそうで、道は椰子やバナナ、ゴム、ユウカリ、シュロ等の木の林が

が続き、その間に木で出来た高床式の住まいが転々と有る。

この辺りは湿地には水牛が水草を食み、こどもたちはNOパンで水辺で戯れ、

高床下には犬や鶏が遊び、実に長閑な所である。 

最近は街場の金持ちが住み着き、所々大きな家を建てている。

その為、地価が上がっているそうだ。

昔は、この辺りはポルポトの聖域で、戦場カメラマンの一の瀬泰造も

プラダック村の道をはずれで殺されて、墓も有るそうだ。

一の瀬泰造のウエブサイト http://www.taizo.photographer.jp/


道の所々に白い看板があり、これらは日本の学生達が土地の住民の為に井戸を

奉仕で掘っていった標しだそうだ。  学生達は貧しい人の為で、街から来た住人には

掘ってやらないと、Mrポーは言っていた。

このちは電気もなく、椰子油で灯りをとり、椰子の花から砂糖も採るそうだ。


山のないカンボジャの長閑な平原に見とれ、何時の間にか、バンテアイ・スレイに倒着。

流石に「東洋のモナリザ」と言われる「微笑みの女神像」が有名なだけに

大勢の人達で賑わっている。

大きな蓮池に鍵の手に木橋が架かり、それを渡ると院内に入った。

この寺は967年ラジェンドラバルマン二世により建てられた。


中国人らしい観光客の一団


赤い石畳の参道の両側にリンガの石柱が並び物乞いや、土産売りから声がかかる。



物売りに疲れたのか門の柱にもたれて、つい居眠り。


こちらもタ・プロムの様に、真中に三基の聖堂と2つの経蔵があり、濠が巡らされ外壁が

それを取り囲むと言ったレイアウトで、人が多くて、なにか落ち着かない。

しかし、装飾の浮彫りは流石、細やかで華麗である。


アンコール遺跡の中でも抜きん出ている。

バンテアイスレイは「女の砦」と言う意味で以前は尼僧の寺院であった。


遺跡を囲む濠



 
赤色砂岩とラテライトで造られた周門や聖堂は精緻なヒンズー教の神々の神話が画かれ
この寺院は7つの色を持っていると言われる。


 
よく見ると緑、黒、赤、黄、・・・と色が有る。


こちらの目玉の「東洋のモナリザ」と言われる「デバターの彫像」は綱がはられ、

傍では見れなくなっていた。 折角の世界遺産がこれでは、何の為のものか??

もう少し対応方法もあると思うがなー ?



東洋のモナリザと称する「デバター像」、中央の塔の入口両側に微かに見える。


東洋のモナリザを遠くから拝まして貰ってバンテアイスレイを出る。

長閑な行きの道をを戻り、プラダック村を出た所にある東メボンに着く。



東メボン

昔、この辺りは貯水池だったらしく、王は船に乗ってこちらに訪れたと言う。

遺跡は二重の周壁に囲まれて、基壇の積まれた上に昇ると、五つの塔があり、

中央の塔にはヒンズー教のリンガが祀られている。



基壇を登る人達




中央塔





一部崩壊した塔




小さな穴は元は宝石が散りばめられていたが、何処も国が荒ぶと、盗賊がはびこるようだ。




以前はヒンズー教であったが、現在は塔の中には釈迦像が安置されていた。

こちらを出て、北へ向い、タ・ソム遺跡へ向い、5分程で到着。



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