アンコ-ル遺跡と古都アユタヤ4
05.12.11.〜12.14


12月14日アンコール・トム

今日はアンコール遺跡最後の日である。

アンコール・トムはアンコール・ワットの直ぐ北に位置し、12世紀から13世紀の初頭

クメール王国の最盛期の王ジャヤヴァルマン7世によって建てられた城塞都市で、

「トム」とは大きいと云う意味で、アンコールは「都市」を意味する。

寺院の建築様式も複雑化し、華麗となり、クメール王朝美術の集大成と言われる。

この頃、東はチャンパ王国(南ベトナム)を併合し、西はシャム(タイ国)、

北はラオスまで領域を広げていた。 しかし、度重なる遠征や大寺院の建造などで

王の死後、急速に衰え、14世紀に入るとシャムのアユタヤとの戦争が続き、

遂に1431年東南アジア最大を誇ったアンコールの王都は放棄せざるを得なくなる。
                      出典 アンコールの神秘 大高秀治 著



アンコール・トムは1辺3km周囲12kmの環濠に囲まれ、高さ8mの城壁と

南大門を初めとする五つの門に城都は囲まれている。

その中心に寺院バイヨンが置かれ、王宮、象のテラス、ライ王のテラス等が

その北側に造られている。


環濠を渡る道の両側には右側に阿修羅の列が並び、左側は神の列が並んでいる。

彼等はお互いにナーガ(蛇)を持ち、これを綱にして綱引きをすると云う。


南大門前の環濠と欄干の神



南大門前の阿修羅の列




南大門前のナーガを持った神の列

菩薩の顔を門の上に飾った南大門を潜ると、中は大きな樹木が茂り、いきなり広い道から象が

のそり、のそり、我々に近づいて来る。  これは危ないと、思った瞬間、ぷいと、向きを変えていった。

御者が、いたずらで我々に向けた様だ。

広い参道を真直ぐ進むと、バイヨン寺院があった。



バイヨン寺院

バイヨンは12世紀に築かれ、アンコールトムの中心であり、ワットと違って仏教寺院である。

東西南北に伸びる道は世界の道が須弥山に繋がっていることを意味し、

バイヨンが、その中心の須弥山を表わしている。


前まで来ると、幾つもの祠堂が竹の子が生えた様にある。


バイヨンの入口

寺院に入ると、夫々の祠堂には「バイヨンの微笑」と言われる菩薩が彫られ、四方を

優しい眼差しで見下ろし、釈迦の教えを広め様としているのであろう。

建物は三層からなり、夫々祠堂があり、複雑な構造になっている。









菩薩の顔は喜怒哀楽の何れかを表わしていて、人々の心に応じ導いて呉れるそうだ。

しかし、我々には、そんな余裕は無さそうだ。





 






第一廻廊の壁の浮彫りを見ると、カンボチャと南ベトナムとの水軍の戦いや、此方では

アンコ-ルワットとは違った庶民の暮らしが描かれていて、スキンヘッドの人々が食事をしたり

市場の生活であったり、物を運んだり、漁師の漁の風景が描かれ

人間味豊かな表現で、この当時の国の繁栄ぶりと余裕が感じられる。




第一廻廊の壁の浮彫り



バプ-オン

1060年ウダヤデイテイヤヴァルマン1世がシバ神に捧げた寺院である。

パプ-オンとは隠し子を意味し、「隠し子の寺院」とも呼ばれている。

言伝えによると、「昔、アンコールの王とシャムの王は兄弟であった。

シャムの王が自分の子供をアンコールの王に預ける。

これをシャムの策略と感じたアンコールの家臣が殺してしまう。

怒ったシャム王がアンコールにのり込むと、我が子を殺されると思った

アンコールの王妃が王子を寺に隠した」と云う。



パプ-オン

三層からなるピラミット型寺院であるが、現在は修復中であった。



王 宮

10世紀末ジャヤヴァルマン5世によって造られた。

バイヨンの直ぐ北側にあり、東西600m南北300m、高さ5mの二重の城壁に囲まれ、

その中に、ピミアナカス寺院、象のテラス、ライ王のテラスがある。



象のテラスは長さ300mもあるテラスで、王が閲兵をしたり、スポーツ大会を

観戦したりする場所として利用していた。

中央階段には三頭の象が蓮の花へ鼻を伸ばした彫刻がある。


象のテラスの広場と象の彫刻




象の浮彫り

王のテラスの北端にライ王のテラスがある。

何代目かは判らないが、癩病に罹った為、手指のない王の彫像が安置されていて

癩の人達に崇拝されている。 

* 
三島由紀夫がこの王をモデルに「癩王のテラス」と云う戯曲を書いている。



癩王のテラス台の浮彫り



トレサップ湖

王宮を見て、この後、シェムリアップ川を街外れまで南下して行くと、船着場があり

これよりトレサップ湖へのクルージングとなる。

クル-ジングと言っても、綺麗なヨットとは異なり、古い木造船に自動車のエンジンを

乗っけたと言った様子で、小学校3・4年生と思われる少年が船から手を差し延べてくれ

岸から飛び乗ると言った調子である。  客からお声が掛ると、子供は学校を休み、

お父さんと二人で船に乗ると云う。

川を下っていくと、水上に仮小屋を建てたり、船を住み家にした水上生活者がいて

主に漁業で生活を建てていると言う。

直ぐ目の前を、四隻の船が連なり、湖の方へ波頭を挙げて走って行った。

これらは共同で大きな網を引き、魚を捕るそうだ。

左手に綺麗な水色に塗られた浮いている様な建物が見え、これが小学校だと言う。

 しかし、水上生活者の様子から見ると綺麗な学校であった。

やがて、少し大きな船が見え、そこへ寄ることとする。

船が食堂となっていて、土産物等も置いた水上の店屋と言った状態、

ナマズ等の生け簀も持ち、客の注文で料理もするそうだ。

驚いたのは、生きた鰐が沢山いて、これも食べるのかと訊ねると、

鰐だけは、お客への観賞用だそうだ。

愛知万博のオーストラリア館では鰐のソテーをサービスしていたので

てっきり、食するのかと思いきや、これは違った。

暫らく、こちらで休憩し、又、クルージングとなる。


何時の間にやら、我々の船の廻りに、子供達が桶か、たらいの様な丸い船を操り

集まっていて、得意げに、その巧みさを披露してくれた。

子供達に別れを告げ、船はトレサップ湖へと向う。

やがて、川幅が広がり、マングローブの木が生い茂り、トレサップ湖が現われる。

暫らくトレサップ湖の広がりを楽しみ、船は大きくカーブを切り、湖とも、お別れとなる。


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