田園と木曾三川公園
05.5.11


先日、墓参で郷里に行った帰りがけ、鈴鹿の山々を背に田植えされた田園が美しかった

ので、養老山脈を背景にした早苗の風景を期待して・・・

今日は愛知県西部の穀倉地帯である海部地区の田園風景を見に行くことにした。

 名古屋高速より東名阪にのり、弥富で降り155号線を走る。

旧立田村にはいるが、未だ田植えがさなれてなく、がっかり。

折角、出て来た事でもあり、愛西市支所(旧立田村役場)に入り、様子を知ろうと、

受付の女性に聞いてみると、農営課に案内され、係の人から”ここらは未だこれからで、

佐織工業高校の辺りは植え終わっているので、其方へ行かれたら”と言われた。


知らない土地に行き、解からない事があると、役所に寄ることにしているが、何処も

外来者には親切にしてくれる。  旅の人間にとっては嬉しい事である。

ましてや、外国で親切にされると、その国、全部が良い国に見えてしまう。

人間、感情の動物とは良く言ったものだ。


立田村より木曾三川公園を望む


係の人に言われた通り、佐織町へ向う。

現地に着いて見ると確かに植えられてはいるが、見るには耐えない物であった。

しょうがなく、予定を変更し、木曾三川公園に寄ることにする。

東海大橋を渡り、岐阜県に入る。 

この辺りは岐阜、三重、愛知の三県の接する0m地帯である。

 23号線の長良川の堤防堤を南下して行くと、川は豊かに水を湛え流れている。

暫らく走ると、綺麗に苗が植えられた田圃が見える。 海部郡より海津町の方が早い様だ。

早速、車を公園の駐車場に止め、田園に向う。




麦畑の後は多度山

公園の傍は、未だ麦が実った畑が広がり、その先へと歩く。






真直ぐ伸びた農道


直線に伸びた農道を行くと、やがて田圃が右手に見えてきた。




やはり、未だ植えたばかりで苗が小さかった。






長良川と揖斐川に挟まれた地で、水害を避ける為、屋敷を高く石で積み上げている。






水田の先は養老山脈









やっと綺麗な田園が見られた。





木曾三川公園センター入口


この後、三川公園へ入る。   詳しくは現地HPをどうぞ。 

木曾三川公園URL http://www.kisosansenkoen.go.jp/index2.html




南ゾーン展望タワー






北ゾーンの花壇






満開のナンジャモンジャ






木曾三川をイメージして造られた庭園と輪中の水屋(農家)






若し、輪中の堤防が崩れて水が来たとしても、こう言った石垣で立ちを高くし防いでいる。

又、いざと言う場合に備え、軒の裏に小船が格納されている。





輪中の比較的裕福な農家部屋は田の字四八右側の建物は納屋






座敷より庭を見る


三川公園センターを見て、帰りがけ立田大橋より見える木曾、長良の川は

相変わらず雪融けの水をたっぷりと、静かに流れていた。

この水が、川の流域の田畑を潤おし、これから本格的な

田植えシーズンを迎えるのであろう。


ここん所、日本の食糧自給率の低下を耳にする事が多いが、

先進国では最低で40%を切ったとも言われる。

近頃の中国をを中心とする生活水準の向上から食糧消費量が増大し、

アジアの食糧需給は悪化一路、今後、日本の様な食糧輸入国は、

益々食費に金がかかると言うことになる。

お米はエネルギ−の掛からない食糧といわれ、麦は粉末にするエネルギーと

捏ねるエネルギーが余分に掛かる。 

米は唯、炊くだけでOKで、水田は他の機能も持っている。

水を流さない事でダムの役割を果たしたり、洪水の予防や田園風景など

環境の景観の維持にも役立っている。  

日本は古来から瑞穂の国と言われ、伊勢神宮でも宮中でも田植えを行事として来た。

  自分は、朝晩は御飯を食べているが、昼はパンや麺類を食べている。

木曾三川に来て、日本の食習慣の変化と、農業政策を思いながらの帰り道だった。


おわり

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