悠久のエジプト3


バスでルクソールの街外れに来ると、こげ茶色の日干煉瓦で造られた住いが多く見かける。

今日はコンボイと言ってバス何台かが集合し警察護衛付きで走るテロ対策の方法である。


エドフはナイルに沿って南へルクソールから約100KMの西岸にある。

道はナツメヤシやサトウキビなどの畑が続き朝の気持ちのいいドライブである。


ガイド氏から朝の挨拶があり、エジプトの観光客は年間900万人の人達が訪づれると言う。

ヨーロッパの人達が多く特に夏が多いそうだ。 最近、中国人が増え有難いがマナーが悪い

のが欠点、特に時間を守らないので困ってしまう。 日本人はマナーもよし、金払いもよし

素晴らしい! しかし、唯の7万人/年しか来てくれない。 大国にしては寂しいねと、お小言。

韓国人も来るが、日本人と違い遺跡をあまり見ずコプト派キリスト教の縁所に行く人が多いと言う。


第3日 エドフ

エドフは人口10万人、観光収入が75%に上る街で、自前で馬車を持ち客をとる人々が多いと言う。

エドフのホルス神殿はBC237年から180年かかり築造されアレキサンダー時代以降のものである。

エジプトの歴史的には見劣りするが、埋もれていた為、保存状態が良いようである。

ホルス神とは隼の姿をした天空の神だそうだ。 守り神のレリーフも4千枚程あると言う。


聳える塔門

塔門の大きさはカルナック神殿に次ぐそうだ。



塔門、保存状態が良く壁のレリーフも鮮明に見える




塔門、ホルス神のレリーフ




門を入った中庭、隼の姿をした神・

列柱に囲まれた中庭が広がり、神の使い隼が鎮座する。 その奥には

列柱室の礼拝堂があり、永く埋まっていた為、美しい彫塑が見られる。




柱頭の彫刻はナツメヤシやパピルス、ハス等が様式化されていて

ギリシャのイオ二ヤとかコリント式にエジプトの影響が伝わった様に思う。


イシスとホルスの神話

イシスはホルスの母でキリストの聖母子像もイシスとホルス像からの起源と言われる。

偶像崇拝を否定するキリスト教徒によって顔を削られたと言うが

イスラム教徒も同じ偶像崇拝禁止で、どちらがほんとだろうかと思う?



歴代のファラオと神々の壁画、





ルクソールの神殿と違い保存がよく天井なども残っていて当時の神殿形式がよく分かる。

迫害されたキリスト教徒が住み着き生活をしていた為、焚き木で天井が煤で黒ずんだと言う。



露出していたところは痛みが激しい。

この後、1時間ほど更に南へ走り、コム・オンポヘ、途中、珍しく石油の油井所と

砂糖工場を見た。 やはり企業の少なさに驚く。

コム・オンボ

コム・オンボはルクソールより南に170Kmのナイル川東岸にあり到着すると

狭い間口のみやげ物屋が軒を連ね、呼び込みがワンダラーと盛んに呼び込む。

誰かがパピルスを10枚ワンダラーと言っていたのを30枚にしたと得意げに

抱えて帰って来た。 この辺りの値段は底値が見当がつかない。


コム・オンボとは金の丘と言う意味でナイル川に突き出た丘の上にある。

コム・オンボ神殿は2250年前のプトレマイオス朝の神殿でホルス(隼)と

セベク(鰐)の神が祀られている。 当時神に奉げた鰐のミイラが発見され

神殿内に安置されている。 広い敷地で見晴らしも素晴らしい。


塔門の残骸




塔門のホルス(隼)とセベク神の彫刻





神殿列柱室

ホルスとセベクの二神が祭られている為、入口が二つあり左右対称に造られている。




鰐の頭をした水の神セベク

この神殿はローマ時代には病院としても利用され外壁には医療器具リストの

レリーフやクレオパトラの風呂なども残されている。 鰐のミイラは必見と言う

事であったが、見ると白い歯をむき出した、黒い干物であった。

これも「世界名物がっかり」の一つかもね。



神殿広場より望むナイル川

やっぱりエジプトはナイル川が一番素晴らしい様だ。


この後、今日の終着アスワンへと50kmの道を走る。 

南へ来るとガラベイヤと言うワンピースを着る人達が多くなり

何処かアフリカの種族を感じる。 ガイド氏曰く、下がアッパッパの為

風通しが良く涼しいそうだ。 頭のターバンの巻き方もギザ、ルクソール、

アスワン等々、地域により夫々、少しずつ違うそうだ。 

やがて風景の素晴らしい水辺に来る、クルージングの船も着いている。

アスワンに到着したようだ。



アスワン

アスワンはカイロの南899km、ナイル川の東流域にあり、人口250万の都市で「弓と矢」の意味を持つ。

エジプト最南の都市、年中、太陽が輝き乾燥していて平均降水量年0.5mmの世界記録があるそうだ。

暖かい気候で世界でも美しい冬のリゾ−ト地としてヨーロッパ人に親しまれていると言う。



今夜、宿泊のニュー・タカラクトホテル

船着場より船でレストランへ、するとガイド氏が白いホテルを指差し「今夜、泊まるホテルです

このホテルの隣に見える旧館は、あのアガサ・クリスティーが有名な『ナイルに死す』を書き、

その舞台となった名門ホテルのオールド・カタラクトホテルです」と言う。 何か楽しさが膨らむ。

やがて小さな島へ到着、この島はレストランだけがある様だ。 



島のヌビヤレストラン

レストランでモロヘーヤのスープとタジン料理、川魚をトマトソース煮にしたもので

生くさいのが苦手な方であるが軽い身の魚で結構食べれた。 



レストランより見る風景

この辺りは景色が素晴らしく、もう暫くいたい気がしたが、早々と次へとの知らせ。

陸に上がり、バスにて次の船着場へ行く。 其処は沢山の小船がひしめき合っている。 



きらきら光るアスワンダム湖と船着場

船つき場で船に乗り込むと船頭は完全なアフリカ人、ヤマハのエンジンを起動し方向転換を始める。

船の操りがちょっと乱暴な様子。 他の船に当たろうとも顔色一つ変えず、相手も相手で

澄ましたもの、ここいらは一寸日本人の感覚では理解できない。 

客の手でも挟めば潰れてしまう様な危うさ。 今までこれで事故はなかったのだろうかと??

やがて、船の溜りから抜け出し、小気味良いエンジンの音をあげ走りす。 右手に長い堰堤

アスワンダムである。 これから行くアギルキア島はアスワンダムとアスワンハイダム

の間に出来た島である。  大きくカーブをして進むとイシス神殿が見えてきた。


アスワンダム堰堤




島・イシス神殿

イシス神殿は元はフィラエ島にあったが、1902年のアスワンダムの建設により島が殆ど

水没の状態にあった為、ユネスコの援助で隣のアギルキア島に移し呼称はフィラエ島

と今も呼んでいる。 アスワンダムは当時、世界最大のダムであった。


つづく  HOME