京都洛東の紅葉
05.11.24
天 授 庵
金地院を出て、南禅寺山内で一番由緒ある天授庵に行く。
ここは南禅寺の開祖である大明国師を祀る南禅寺の開山塔であり、1336年虎関師錬
により建立されるが、応仁の乱などで焼失し、慶長年間に至り、細川幽斎(藤孝)の肝いりで
1602年、本堂、正門、等諸堂が再建された。 尚、此方には幽斎の墓もある。
庫裏入口
本堂に入ると薄暗い部屋を通して開放された濡れ縁を額縁とした紅葉が目に飛び込んで来る。
玄関より見える紅葉
本堂の前の石畳の通路
本堂前枯山水の庭園
この庭は細川幽斎の作と伝えられ、彼は和歌、茶の湯等、風雅の世界に秀でた一面を伺わせる。
枯山水の庭園は白砂に苔の緑が映え、正方形の敷石が斜めに置かれて枯山水には珍しい。
本堂前庭
本堂の枯山水の庭の後、南庭園の書院に向うと、その雰囲気はがらりと変わり楓の多さに驚く。
楓に囲まれた書院
木々が繁り、その色とりどりの中に木漏れ日が差し込み、光と影の綾なす怪しげさ。
巧みに作られた回遊式の池と書院の造作が心憎いまでに、うちとけ、暫し時間を忘れさせる。
何世紀もの時を経て、人と自然が作り上げてきた、幽寂の美の世界!
今、暫らく静かに浸っていたい気持になる。
書院の光と影
池の鯉
池には黄金色の鯉が水面に現われ、あやしげな光りを描き出す。
池端では二人ずれが何故か釣り糸を垂らしていた。 風雅の世界にしたっているのか??
書院南庭
真紅そのもの! 竹垣の書院の楓
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永観堂禅林寺
永観堂入口
後ろ髪を引かれながら、天授庵を出て、ぶらぶらと北へと歩く。
人込が見え、黒いパッチを着た人力車の兄さん達が、盛んにお客を勧誘していた。
もう其処は永観堂の入口だった。
幼稚園と書いてあるので、門番らしきオジさんに聞くと、”ここからでも入れます”との事であった。
左手に進むと、見事な紅葉が続き、図書館前に出る。
手入れされた庭
永観堂は「見かえり阿弥陀」で有名である。 それは1082年の朝、東の空が明けかけた頃
阿弥陀仏堂で夜を徹して念仏行に励んでいた永観律師の緊張が解けた一瞬
光の中に誰かがいる。 はっと気付いたその時、”永観、遅し”と声がかかる。
後ろを振り返った阿弥陀佛が永観を見つめていた。
それは永観への仏の慈愛であった・・・
禅林寺は863年真言密教の寺として建てられた。
それを永観が発展させ、鎌倉時代には静遍が法然の教えにきえし、
浄土宗禅林寺派の総本山となる。
図書館前
敷石の立派な参道に出ると、其処は鮮やかな 紅葉!紅葉! 紅葉!
参道
放生池
放生池
水面にも紅葉の色を落とし、写しもみじを描き出す、境内は錦秋で満ちていた。
”これでもか!”と、言わんばかりの永観さん。 御婦人方は上を向いて、お口は開いたまんま。
流石、永観!!と云わんばかりの阿弥陀佛。 いづれにしても素晴らしい紅葉。
大玄関より中に入ると、釈迦堂に大勢の人が集まり前庭を眺めていた。
釈迦堂前庭
前庭の白砂の砂盛りは、いち松模様が描かれ、勅使は、ここで砂を踏み身を清めて
中に進んだと言われる。
釈迦堂から方丈へ、中庭に向って何かもの思いのオジさん。
瑞紫殿
中庭の鯉
錦鯉も美しいが、水面の散紅葉が侘びの美を見せる。
中庭の紅葉
三鈷の松と臥龍廊
葉先が三つに分かれた珍らしい松の木、三鈷とは慈悲、知恵、真心、を表す。
阿弥陀堂に入ると右手の方に「見かえり阿弥陀仏」が安置されているが、もう少し大きな佛像と
思いきや、意外に小さい。 尊顔が覗えないので右手に廻りこみやっと拝む。
穏やかな表情で、笑みを浮かべた様に見うけた。
参拝を済まし、拝殿を出ると若い僧侶が下足の所で参拝者の混雑を捌いていた。
もう、お寺がテーマパークに成ってしまった様だ。
山内一番高い所に見える多宝塔
本堂を出て外にでて來ると、登るのを諦めた多宝塔が、眺められた。
暫らく行くと、珍しく青葉が茂り、その中に観音像が見える。
やすらぎ観音
放生池
放生池まで来ると、ススキが紅葉を背景に、又一段と美しく見えた。
ススキは楓で浮かび上がり、楓はススキに引き立てられる。
自然に生きるものは、持ちつ持たれつ、何れも依存しながら生きている。
人間もまた、然り!
錦絵の様な茶店
池端に茶店を見つけ一服とする。 小腹もす、きぜんざいとみたらしを戴く。
永観堂を出て、つぎは青蓮院へ。
つづく HOME