岐阜・金華山界隈(岐阜城)
05.9.15



9月に入っても地球温暖化の為か一向に温度が下がらず、蒸暑い日が続いた。

今日は久しぶりに爽やかな日となり、岐阜に出かけることにした。

東名阪に乗り、東清洲インターまでは、スムースに、走しれたが、22号線に入り、

木曽川近くまで手間取り、やっと木曽川を渡る、これで尾張より美濃に入る。

金華山は近くに見えたが、道路は大きくコの字に曲がり、岐阜市内の雑踏を抜け

漸く金華山の麓、岐阜公園に到着する。





岐阜公園駐車場より見る岐阜城


の案内によると、岐阜城は嘗て稲葉山城と呼ばれていた。

こちらに初めて砦を築いたのは鎌倉幕府の執事二階堂山城守行政と伝えられている。

戦国時代には斎藤道三の居城でもあったが、岐阜城の名を天下に示したのは織田信長である。

1567年この城を攻略し、この地域を平定して地名も岐阜と改め、

稲葉山も金華山と呼ぶようになり、天下統一の本拠地としてからである。

しかし1600年の関ヶ原の前哨戦の際、信長の孫、秀信が西軍に、味方した為、

徳川軍に攻め入られ、激戦の末落城した。  翌年岐阜城は廃城となり、

天守閣、櫓等は岐阜・加納城に移された。

現在の城は昭和31年に鉄筋コンクリート造り三層四階構造で再建された物である。





ロープウエーより見る長良川


先ず岐阜公園より出ているロープウエーで金華山に登ることとする。

乗り場は小さな豆電球で飾られたアーチのトンネルを潜って行くとあった。

夏場は夜間営業をしていて、それで乗り場が電飾されているとの事であった。

山頂岐阜城よりの夜景のパノラマが美しいらしい。

切符を求めてロープウエーに乗る。  金華山は329mの高さがあると言う。

急勾配であるが景色を見ていると、あっと言う間に山頂駅に到着した。

  5・6分は掛かったろうか?


駅で下りると急峻な山らしく岩の階段が待ち構えていた。

少し登ると第一の門に出会う。




第一の門


木に覆われた日陰の道を行くと旧馬場跡と案内板があるが、一向に馬場らしい広場は見付らない。

  やがて階段に出会い、そこを登ると、二の丸門に出た。

 気が付くと汗びっしょりとなっていた。 




二の丸の白塀


木立の空けた所から天主閣が輝いて見えた。 もー 間もなくだ!




二の丸より望む天守閣


二の丸の赤い橋を渡ると、その先に軍用井戸があった。

現在は使用されてないが、よくもこんな高い所に井戸が掘れたものだと思う。

井戸を抜けて坂道を右にカーブすると木々の視界が開け、その先に櫓が見えた。

櫓は資料館で昔は武器庫だったと言う。


その手前の遊歩道に彼岸花が咲いていた。 

彼岸に忘れず咲く所を見ると、染色体の何処かに暦でも刷り込まれているのであろうか。


  






資料館より濃尾平野を望む


資料館にて暫し小休止、景色を楽しむ。




資料館櫓


資料館より岩場の階段をあがるとそこに忽然と天守閣が現われた。




天守閣





天守閣入口


入口にて木戸銭200円を払って中に入る。 三階までは史料展示室となり

一階は信長の肖像画を初め昔の書状等が展示され、二階には兜、陣笠等の帽子類

三階には陶磁器や刀剣類が陳列されていた。




織田信長肖像画



  
兜、陣笠等




金華山焼水差


四階は展望台となり、その眺めは素晴らしい、南は濃尾の大平野がひろがり、

名古屋上空であろうか、積乱雲が輝いていた。  

西には長良川の向うに伊吹山や養老山脈が繋がり霞の中に消えて行く。




濃尾平野の広がり




天主より西を望む




長良橋と川向うは岐阜メモリアルセンター





美濃の山々


北には美濃の山波が幾重にも日本アルプスへ繋がる。

東は眼下に長良川が中州を包み蛇行し、砂の白さと水面の青さがコントラストをつくり

清流の水質の良さが未だ維持されていることを物語ってる様だ。





絶景の長良川


天守閣より360度の絶景を堪能し、城を下りる。

帰り道は調子に乗って階段を降りてきた為か、膝が痛くなり、やはり歳の為せる技か

と諦め、ゆっくりと降りる事とする。  それでも松風橋から暫らくは平坦な道で助かった。

その後、山上駅までのきつい階段には、流石に痛く、足を引きずり降りる事となる。




松風橋

やっと駅に着いて見ると、ロープウエーは出たばかりで30分待ちと言う。

所作なく、アイスクリームでもと思って、ほお張っていると、駅員さんから”臨時が出ます”

とのこと、慌てて飛び乗りゴンドラの中でアイスクリームをなめる事になる。

ガイド嬢がちらり此方を見て、含み笑いをする。

此方も、にやりと微笑み返す。

やがて彼女の案内が始まり、ゴンドラは進む。







降り際、彼女に”ありがとう”と声を掛けると、彼女も”有り難うございました”と答えて呉れた。


        つづく    HOME