五条川桜と犬山
09.4.7
愛知県犬山市の明治村・入鹿池の下流からの五条川堤の両岸は毎年春になると、
ソメイヨシノを中心にシダレ桜、ヤエ桜が咲き桜並木が7.8kmも続く。
岩倉市内だけでも1,600本が咲き乱れ日本の桜の名所百選にも選ばれている。
ここへ来て初夏のような快晴、気温もあがり、爽やかな日が続く、桜予報によると
桜も一揆に開いた様である。 自然の摂理かこの陽気に気分が高揚、ふらふらと出かける。
五条川桜並木の遊歩道は観桜客のそぞろ歩きが続いている。
川の水はぬるみ、藻の色は青さを増し、川の流れにゆらめく。
開いたばかりの薄い花びらたちは、陽光を浴びて春の風景をかたちづくる。
桜の古木は若木と同じ花びらを見せるが、何れの古木も幹が同じ方向にねじれ老いを見せる。
それが、また人間には落ちつきと安らぎを与えてくれる。
若木では味わえない不思議な力である。
岩倉は染色の盛んな所、五条川では「のんぼり流し」と言う鯉のぼりの染色糊を
寒の季節に、この川で洗う。 一部、この季節に合わせ鮮やかな鯉のぼりが桜の花びらと共に
川で流され洗われて、この辺りの風物詩をつくる。
白色に、薄桃色、花ははえ 草はみどりを増して春は膨らむ。
やがて五条川の川面は、いっぱいの花びらで鮮やかな花筏が流れよう。
桜山古墳の桜
桜並木からはずれて畑の中に、ぽつりと二本の桜が見える。
覗いてみると、こんもりと盛られた塚がり、たて看板に、「奈良時代の終わり
一人の行者が鬼門よけの天神を奉じ、杖として持っていた桜の枝をこの地にさしたものが
芽を吹き八重の花を咲かせたので桜山古墳と呼ばれるようになった」と記されていて、桜並木とは
かわり風格のある桜でであった。 また塚の裾には小石が並べられ花が供えられて
墓石は無いが誰かが葬られた墓のようなものが数箇所あった。
西行じゃないが、「願わくば 花の下にて春死なむ」 誰も、気持ちは同じようだ。
桜山古墳、立札
川に面したスーパーではテントを張り、休憩所を設けて不況期のためか観桜客にサービス。
不況期と言わず、ずーと続けてもらえば、花見客も有難いものだが、
あまりにも長い桜並木に歩きくたびれ、飽きも手伝い休憩、この後、隣の犬山市へと足を伸ばす。
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犬山は、何といっても国宝・犬山城が有名で、江戸時代、尾張・徳川の家老・成瀬正成から明治まで9代城主を務め
城は現在も成瀬氏の所有となっている。 城の関係か、城近辺は外国人の観光客も目につく。
犬山市はドイツのライン川の都市と、同じ川畔に城を持つことから
姉妹都市の提携をしている為か、ドイツ語を話す客と出くわす。
お城近辺の桜もやはり満開で、こちらも春たけなわ。
初夏を思わす本町通りの古い町並みを城へ向かって歩き、城を迂回し、木曽川河畔の遊歩道に出る。
午後の太陽が古い町並みに光と影を浮き立たせ、たび情緒を誘う。
中本町付近
景観整備が進む町並みは、江戸を残す商家や土産屋など江戸情緒を感じられる。
アトリエに何が魅力か?人だかり、何か民芸品でも? (手しごと屋)
城も目前に桜も国宝・犬山城を引き立てる。
天守閣全貌、 昨年秋
この度は、ご無礼して天守閣には上らず、迂回して彩雲橋へ。
木曽川遊歩道より望む木曽川とツイン・ブリッジ
木曽川遊歩道より望む天守閣。
犬山城は別名、白帝城とも呼ばれ荻生徂徠が長江流域の白帝城にちなんで名づけたそうだ。
名鉄犬山ホテルの桜
この記をまとめている今日の新聞によれば、はや五条川も桜の花びらで川は染められていると言う。
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