伊豆箱根と三島湧水
箱根と鉄舟寺 04.8.17

ホテル玄関と部屋より見た芦ノ湖

昨夜は、こちらで、お盆の活タラバ蟹のデイシュに舌つづみを打ち、ぐっすりと寝こむ。
朝早く目が覚め、外に出てみると、ホテルの女性が芦ノ湖園のススキや草花を摘んでいた。
”オハヨウございます” と挨拶される!

朝はやっぱり気持がいい! 暫らく散歩をしてホテルに戻ると、フロントのカウンターに
先ほど女性が摘んでいた草花がいけられていた。

朝は和洋中のバイキングをチャンポンにして済まし、先ず旧街道の資料館に出向く。

箱根旧街道資料館                  甘酒茶屋


萱葺きの古い民家を移築したもので、資料館と言う程資料はなかった。
隣には江戸時代より続くという甘酒茶屋があった。
賑わっていて、それらしい雰囲気で、オバさんが、旧道を歩いて来た人には、
甘酒を無料でさし上げると言っていた。

食事を済ましたばかりでもあり、見るだけにして、
大涌谷に向かう、芦ノ湖沿いの道を走り、登り坂に入る。
上は、ガスっている様、案の定、大涌谷の吹き上げは霧で見えず、
ロープウエーの駅で暫らく様子を見る。
他の人達も恨めしそうに空を見上げ、手もちぶさだの様だ。

一向に晴れず、諦めて下山する事とする。
元箱根の恩賜公園に車を止め、ぶらぶら歩きとする。
関所に出て横目に見ながら、前の道を杉並木へと歩く。
天気の為か関所はおおはやり!!



箱根関所の門                 関所通り



自動車道路を横切り、旧街道の杉並木に入る。
何故か、気持が落ち着く、確かに昔の旅人にとっては、夏は陽射し除けに、
冬は雨風除けに、この並木で助けられて、ホッ!としたであろうに・・・・・
今日は秋雨でも、それを感じない!







杉並木を最後に箱根ともお別れとする。
帰り道、息子が清水市の久能山の傍に面白い寺があるからと言うので寄る事にする。

行って見ると、派手なのぼり旗を掲げ、受付小屋を覗くと、
歳かっこの似た、お爺さん達が碁をしていた。
その内の一人が、”宝物館を見られますか”と出てきた。
様子を聞いてみると、鎌倉時代の仏像は勿論、義経の愛用した笛、
山岡鉄舟の書等々が有るという。


寺の山門                     本堂

寺の説明によると、この寺は鉄舟寺といい、元は久能寺と呼ばれ、今の久能山にあって、
1300年前、国士、久能忠仁により建立され、その後武田信玄が、今川氏を攻略し、駿河に
入るに及んで、険要の久能山に築城する事になり、現在の地に移された。

その後、武田氏が亡んだ後も、徳川氏が保護して来た。
明治維新となるや、その混乱の中で、住職もいなく寺は荒廃した。
山岡鉄舟は、これを惜しみ再建に乗り出したが、寺の完成を見ず鉄舟は亡くなり、その後、
清水の魚商、芝野栄七が意志を継ぎ、明治43年完成を見て、現在に至った。
  


山門をくぐると、正面に、宝物館があり、右手に本堂がある。
何故か本堂の扉は閉ざされていたが、
山水の有る庭は美しく手入れがされていた。
その奥に鉄舟の墓があった。



宝物館は薄暗く、如来や菩薩像が無造作に並べられ、木像の物は、
かなり朽ちていて寺の荒廃期に捨てられていたのであろう?
保管が良ければ、重要文化財に指定されていたであろうに・・・・

国宝としては、鳥羽上皇出家の際、藤原氏一門の手により書写された
法華経で厳島の平家納経に匹敵する逸品と言われる。
それに薄墨笛、悲劇の武将源義経が牛若丸時代から愛したと言われる横笛

意外な物では、清水の次郎長の木像、彼は咸臨丸壮士の墓を建てた事から
山岡鉄舟に認められ、鉄舟寺建設の際にも、人夫の提供や、
伊豆から巨石を運んだと言う。


見終わり帰途に着く、三日間の親子旅も天候には恵まれなかったが、
運転する息子の横顔は満足そうで、何よりだった。

終わり

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