仲秋の越前・加賀2
08.10.8〜10.9

翌日は北陸では観光地としても人気の高い那谷寺へと向う。 

山代温泉より東へ7kmほどの石川県の小松市にある。

宿を出て山あいの道を10分ほど走ると到着した。


                    自生山・那谷寺

  那谷寺は奈良時代の初め泰澄法師が十一面千手観音菩薩を彫り安置し   
  
  たのが始まりで、その後、南北朝の時代、戦乱で荒廃したが、近世に

  なって加賀三代藩主・前田利常によって再建され、高野山・真言宗
  
  別格本山となっている。 本殿、拝殿、唐門、三重塔、護摩堂、鐘楼、
  
  書院などが国指定文化財となっている。 那谷寺の名前は「那智観音の

  那と西国33番「谷汲」の山号から一字づつとり那谷寺と名付けられた。





山門

山門を潜って、朝日の木漏れ日の参道を進むと左手に朱色の金堂・華王殿がある。

中に入ると天井までの十一面千手観音立像が安置されていて御神体は金色に塗られ

東南アジアや中国でよく見かける派手なものである。 何か、こちらにはしっくり来ない。


やっぱり、我々には寂びたものが、なじみやすい。



金堂・華王殿

金堂は650年前に焼失したが平成2年に再建されたそうだ。

泰澄法師と花山法皇が祭られ、那谷寺の仏事祈祷は、こちらで行なわれるそうだ。


金堂の横手には前田利常の書院(重文)がある。 こちらは金堂とは反対に古色対照的で

利常公、自らがこちらに滞在し寺の再建(1637年)に当たったと言われる。




庫裡書院

玄関は土天井で、南面2間は仏間兼対面の間、東に装束の間があり、北は

利常公御成りの間となっている。 




利常公の使った籠




書院より見る庭と雪見灯篭

庭園は小堀遠州の指導を得て造庭奉行・別部卜斎の1640年の作と言われ

重要文化財に指定されている。

茶庭に続き、「石琉美園」がある。 こちらは自然の岩壁を

利用した庭園で一面苔に覆われて、素晴らしい深山幽谷を感じさせる 

見ごたえのある庭である。  竹垣のアプローチを行くと右手に大きな岸壁が

そそり立ち岩の襞から木々が生え、前には池があって中央には宝来島が座り

緋鯉が跳ねている。 掛け軸に見る水墨画の雰囲気である。



大岸壁と宝来島





苔むした庭園

庭園内の庭木はよく刈り込まれ手入れが行き届き、東屋や観音菩薩像などが置かれ

庭園にアクセントを付けている。 庭の奥には茶室が建ち庭全体を引き締めている。




茶室

岸壁の脇からトンネルが設けられ、辿って行くと、元の参道に出た。

奥へと進むと左手に大きな池があり、その対岸に奇岩の岩肌の懸崖が見える。

こちらは「奇岩・遊仙境」と呼ばれ、紅葉と奇岩で有名で、補陀落山をイメージした

極楽浄土を表しているそうだ。 奇岩には窪みが掘られ磨崖佛が多く祀られている。

 池の先、左手に折れ奇岩の横を抜けると、本堂への石段へと繋がっている。 

確かに、変化にとんだ興味をさそる寺である。

 名刹は勿論、観光地としても人気のあるのが頷ずける。



奇岩と洞穴の仏像





本堂への石段

石段の参道を登ると岩山の中腹に大悲閣拝殿があり、唐門構えの四棟寄舞台造りの

こった拝殿となっている。 本殿は岩窟内にあり十一面千手観音が祭られている。



舞台造りの拝殿

拝殿を右に出ると、大きな奥池があり、その横を受けた一段高い茂みに三重の塔が建つ。

小ぶりではあるが重要文化財だけに四方の壁面は唐獅子や牡丹の彫刻が施され風格をもっている。

中には鎌倉時代の作と言われる大日如来像が安置されている。 この像は、前は那谷寺金堂にあったが

南北朝時代になって足利尊氏が寺を城塞に利用した為、新田義貞軍により攻められ焼かれたが、

白山宗徒たちにより火の中より救い出されたものと言われる。



三重の塔





大日如来像

三重の塔の先には楓月橋と呼ばれる朱塗りの橋がかかり、この橋より見る

奇岩遊仙境の眺望が境内一の絶景と言われている。
 特に紅葉時が最高と言う。



楓月橋より見る奇岩・遊仙境

楓月橋を渡り降りてきたところに、芭蕉の侘びた句碑がある。 芭蕉は「奥の細道」の

道中、1689年夏、こちらを訪れ当時は紅葉よりも枝ぶりのよい松の景勝地だったらしく

こちらの石山を見て 「石山の 石より白し 秋の風」 と詠んでいる。

その美しさに暑さを忘れたのであろう。



芭蕉の句碑





護摩堂

芭蕉は加賀では他に金沢や小松、山中などに立ち寄っている。 句碑を見て

石段をあがった所は護摩堂(重文)である。 鬱蒼とした木々に囲まれ壁面には

八面相の唐獅子と牡丹の彫刻がなされている。



那谷寺を出て、来た道を山代へと走る。 山代からは大聖寺川に沿い鶴仙渓(山中温泉)へ。

やがて深い渓谷の橋を渡ると温泉街の山中に入る。 温泉街のはずれの駐車場で下り、

細い道を渓流の方へ下りると岩不動があり、その先に鶴仙渓の名勝地「こおろぎ橋」がある


上から見下ろすと深く下を渓流が流れている。 こちらは昔から芭蕉や夢二など文人墨客の

が多く訪れたところ。
 ここから鶴仙渓が始まり黒谷橋までの1.3kmの渓流に遊歩道が

設けられ散策が楽しめる。  紅葉には、少し早く、今回は緑の渓谷と森林浴と行こう。



こおろぎ橋の碑





鶴仙渓の清流、楓が少し色づいている。





渓流沿いに建つ旅館





山中温泉街の静かな佇まい

温泉街で食事を済ませ、次は福井へ出発。 山中から福井へは幹線道路を戻る必要がある。

戻るのも、くやしく山中道を走る。 走ってみると、やはり山又山。 ” 山中恋しや 山にくし” ♪


福井には10億本のコスモス苑があると言うから、一ぺん見てみたいと言う気持ち。

休耕田を、ほって置くのもと、思うのも自然な話し、それで1995年頃からコスモスを植えたらしい。

山中道を走り、漸く福井に入る。 416号へ入り越前平野を東尋坊に向かいひたすら走る。10kmほどか?

九頭竜川の流れる明治橋を渡り、右に進んで御所垣内町に入ると案内板が出ていた。 

案内板から農道に入って行くと、のぼりが立っている。


   コスモス苑は10数haの広さで日本一と言われている。 東京ドームの10倍以上だそうだ。



果てしなく続くコスモス

流石に広い! これだけのものは見られない。 天晴れ耕作者のみなさん!






この後、市街に入り、城北にある「養浩館』へ行く。 


 
                        養浩館(旧御泉水屋敷)

   養浩館は福井藩主・松平家の別邸で江戸時代には”御泉水屋敷”と呼ばれていた。

  養浩館の名前は明治になって最後の藩主・松平春嶽がつけた名前だと言う。

  福井城から北の400mの外濠に接した位置にあり、書院造の建物と回遊式庭園で

  江戸中期を代表する庭園の一つと言われる。 現在の規模の建物と庭園が完成したのは

  元禄12年(1699)で、その後、拡大と縮小を繰り返してきた。
   




庭園の奇岩を通して見る御座敷群

池の渚に栗石の岬が作られ、池に変化をつけている。 池に張り出した寄棟の小亭があり

多重の石塔などを配置し変化を増している




柿葺き寄棟の小亭「清廉」





御月見の間と御座の間につづく飛び石

池の先には芝の枯れた築山が汀近くまで張り出している。



御月見の間

出書院の上部に雲形の欅板をはめ、明障子を入れて、池に映る残月を見る為の窓と言われる。

家人は風流を楽しんだのであろう。 更に、酒杯に映る月をも愛しんだかも・・・?



秋の日も西に傾き、先人の風雅の世界を思いつつ帰路につく

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