太子縁りの地(法隆寺・信貴山)
07.10.14〜07.10.15


大和の斑鳩へは3年前に淡山神社に桜を見に来て寄ったことがある。

その時は法起寺、法輪寺、中宮寺と廻り法隆寺の夢殿までは見たが西院伽藍は見れなかった。

 今回は、法隆寺を中心に他の大和も見ることにした。

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国道25号線の法隆寺前より参道に入り通りの駐車場に車を預ける。

美しい松並木の参道の先に法隆寺の南大門が見える。

最近はこう言った松の並木道を見ることが少なくなった。

正面参道より南大門を潜り境内に入る。 両側は赤土の土塀が続き石畳の

アプローチが中門へといざなってくれる。



松並木の参道

法隆寺は金堂の薬師如来の光背銘や伽藍縁起文によると
用命天皇が病気の平癒を願って、寺と仏像を誓願したが、
その実現を見ずに崩御した。その後、推古天皇と聖徳太子
が用命天皇の遺願を継いで607年薬師如来と寺を造った
のが始まりと伝えられている。                 




中門への参道

法隆寺は日本政治の曙時代に建てられた世界最古の木造建築と言われ

日本では最初の世界遺産に推薦されている。 

西院では金堂、五重塔、中門、回廊など第1号の世界遺産に指定されたそうだ。




中門と五重塔





国宝の中門

中門は出入りが遮断され、とばりが下りている。 門の両脇には金剛力士像が建ち、

ギリシャ彫刻を思わす表情とダイナミックなポーズと筋肉を見せている。 

薄らと砂埃を被り、どこかシルクロードの雰囲気を醸し出す。(711年作)

ご婦人が、暫く阿形像に見とれていたかと思ったら、カメラを出しパチリ!




金剛力士・阿形像





回廊の奥に経蔵、右隣は大講堂

中門の中は玉砂利が敷かれ並列する金堂と五重塔が立ち、一番奥正面に大講堂がある。

周囲は回廊に囲まれ、その柱列が美しい。 柱がパルテノン神殿と同じように、

中央が緩やかに太くなっていると言うが、それ程目だたない。 

これが視覚に与える安定感の技なのか?



回廊

先ず、右手入口より金堂に入る。 こちらが法隆寺の本尊を安置した中心部である。

入って行くと仏像の周囲を一周できるようになっていて直ぐ後に大勢の団体が入って来た。

ガイドの説明が始まったので、こちらもお相伴にあずかる。 須彌壇の中央には聖徳太子を念じ

造られた釈迦三尊像が安置され、その右に太子の父・用命天皇を表す薬師如来像、

左には母・穴穂部間人皇后を表す阿弥陀如来像(鎌倉)が安置されている。

三像とも埃をかぶり堂にか金銅製の造りである事が覗える。

釈迦如来と薬師如来は飛鳥の百済寺の大仏の顔立ちに似て面長、韓国の仏像を彷彿させる。

勿論、作家の止利仏師が渡来人であるからでもあろう。

それに引き換え阿弥陀如来像は顔立ちが全く違い丸顔の阿弥陀佛である。

如来像の四隅を持国天、広目天、増長天、多聞天の四天王が護っている。



金堂





五重塔

五重塔は飛鳥時代のもので我国最古の塔と言われる。

五重塔には仏舎利が納められていると言うが、世界各地に舎利塔がある。

釈迦の骨がそれほど在ったのだろうか??

頂上には水煙を載せ姿はインドやビルマのストゥーパや西安の雁等とは違い、

日本独自の木造建築美、シルエットが美しい。 これまでに地震に合っただろうが、

木組造りの構造が耐えてきたのだろうか、先人の技術に敬服する。

塔は修学旅行生で賑わっていて、こちらは遠慮することにした。 



シルエットの美しさを見せて呉れる

塔の先には横に長く一層の大講堂がある。 韓国の新羅時代の寺院の様に

屋根先が跳ね上がり、今にも飛び立ちそうな鵬のようである。

こちらは僧侶達が仏法を学んだり法要を行なった所で今は薬師三尊像が安置されている。

現在の建物は火事で消失し990年に再建されたものだそうだ。




大講堂内・薬師三尊像

大講堂を参拝し回廊の外に出る。 鏡池の前を通って東に行く、新しい伽藍が見えてくる。

こちらは平成10年に出来た百済観音堂を中心とした大宝蔵院である。



大宝蔵院・観音堂

西院の古色蒼然とは打って変わり丹塗りの伽藍、宝物の展示館と言った雰囲気である。

中に入ると最初に青銅製の背の丈1mほどの夢違観音像が目に飛び込む。

白鳳時代の丸顔の優しい表情で右手を開き説法の印を組んでいる。 

以前は東院の絵殿の本尊(国宝)だったそうだが。

左には木彫の四天王や十二神将がずらりと並んでいる。 

どれも風化が進み年代を感じさせる。

国宝では推古天皇の仏殿と言われる玉虫厨子(飛鳥時代)がある。

須弥基壇の上に二層の造りで2mほどの高さである。

今では薄汚れて玉虫の羽も見えない。 往時は塗漆が光り透彫金具の下に

玉虫の羽が青緑色に怪しく輝いていたのであろう。 その外、国宝には

唐より伝えられた白檀の九面観音像(719年)、光明皇后の母、橘夫人厨子

(白鳳時代)などがある。 展示館の奥は観音堂となり一際天井が高くなる。

そこには何と言っても法隆寺の最高の宝である百済観音菩薩がある。

入ると、直ぐその仰ぐような気品と優美さ、光背を背に、すっくと立つ細身の

フォルムに圧倒される。 面長で静かな慈愛の相、百済観音の美しさに暫し見惚れる。

法隆寺の国宝、重要文化財に指定されたものは190件、点数で2300余点に及ぶそうだ。





百済観音の余韻を引き摺り外に出る。 今日は斑鳩天神の祭りだそうで

神輿が境内に繰り込んでいて、賑やかな姿を見せてくれる。 

神輿とすれ違い石畳を東大門へと進む。



神輿の先に東大門

門を抜けて築地塀に沿った一直線の道、突き当たりに国宝・夢殿を中心に東院伽藍がある。

四脚門入ると東伽藍回廊、左手に国宝の鐘楼が見える。 

袴付きの鐘楼では日本最古と伝えられている。




東院鐘楼と回廊

中へ入ると石の基壇の上に八角形の夢殿が広場の真中に鎮座している。

こちらは聖徳太子の元斑鳩宮の跡で、太子の子・山背大兄王が住んでいたが

蘇我入鹿によって焼き払われ、王家一族は自殺に追い込まれたと言う悲劇の地である。

その後、僧行信が聖徳太子を偲んで739年、伽藍・上宮王家の院を建てた。

その中心となる建物が夢殿(国宝)である。


八角形の夢殿

中は聖徳太子の等身大と言われる救世観音(飛鳥時代)が祀られている。

手には宝珠を持って観音堂の百済観音像とよく似たフォルムである。

表情も飛鳥時代の面長で女性的な雰囲気を持っている。


舎利殿・絵殿

夢殿の奥に欄干の付いた長い建物は左半分が舎利殿で、右半分は絵殿として

聖徳太子一代の障子絵が納められている。 

元は夢違観音像がこちらの本尊として安置されていたそうだ。

混んでいたので、外だけ拝見し、念願の法隆寺めぐりを終える。



夢殿の八はぎ屋根と四脚門


つづく