太子縁の地・2
07.10.14〜10.15

法隆寺を出て時間があるので大和郡山市小泉にある慈光院に寄ることとする。

25号線を東へ中宮寺東より左折、法起寺を過ぎると10分ほどの所にある。


慈光院

慈光院は豊臣家五大老の一人である片桐且元の弟・片桐貞隆の子・貞昌が

父の菩提を弔う為、1663年に建立した京都大徳寺派の寺院である。

貞昌は大和小泉藩の2代目藩主で、片桐石州と称し茶人として名をなし、4代

徳川家綱の茶道指南役ともなり、茶道石州流の地位を築き上げた。

自然石を敷き詰めた垣根のある参道を登って行くと一の門に着く。

茂みに包まられた露地を更に入ると、茨木城楼門(二の門)がある。



茶道石州流発祥之寺の石碑がある一の門

この門は石州が生まれた摂津茨木の城門を移築し、屋根を書院の茅葺屋根に

合せて葺き替えたそうだ。 如何にも茶人らしく場内全体がお寺と言うよりも

茶席をイメージして造られている様である。



茨木城楼門より茶席への路地





書院

玄関で受付し、書院へと案内される。 書院は四方を廊下で囲まれ、よく手入れされた

庭が眺められる。 13畳の上間と茶室、中間、それに下間からなっている。 

上間は書院造りで紅い毛氈が敷かれている。

係りの人が、こちらで緑茶と松風を出してくれる。 庭を眺めながらここで一服。



書院・床の間

毎年、中秋の日には観月会が、こちらで開かれるそうだ。

さぞ風情のあることだろう。  住職が出てきて、京都でも、これだけの

茶の湯で人を迎えるため環境を含め整えられ所は数少ないと自慢していた。 

今は観光化して本来の侘びをあじわえるところは、少ないかもしれない。

確かに茅葺屋根にしたり寺院にしては、たちが低く座席重視の様子が覗える。



書院より見る庭

庭は禅寺の庭園ではあるが庭石を殆ど少なくして、多くの木々を植え、茶席の

庭として季節の風情を楽しめるようにしていると言う。 

確かに庭木がよく手入れされ趣のある静けさを持っている。




茶室・高林庵

書院の奥に片桐石州の代表的な茶室がある。 床前を点前座とした様式である。

書院と並び国指定重要文化財に指定されている。



女の字手水鉢・重要文化財

高林庵より細い廊下を渡ると突き当たりに「閑茶室」がある。

高林庵に比べ席が暗く、躙り口ではなく廊下からの入口になっていて

高林庵の陽に対し閑茶室の陰と言った感じがよく分かる。



閑茶室

閑茶室の前は中庭を挟んで本堂(方丈)となっている。 本堂へは渡り廊下が伸びている。




本堂への廊下・飾り窓

本堂には中央に釈迦如来像が祀られ、左に片桐石州像、

右に開山の玉舟和尚像が安置されている。



本堂・ご本尊




庭園より見る書院の棟、背後は本堂

院内を見終わり、戦国の世から戦いがなくなり、高級武士が茶の湯に

人生のエネルギーを注ぎ込んでいた往時を少し垣間見ることが出来た。


慈光院を出て、今夜の宿舎信貴山観光ホテルへと向かう。

25号線に戻り行きに来た道を又、戻り法隆寺の前を抜け龍田大橋を渡ると

やがて信貴山のある三郷町に入り登り道となる。 曲がりくねった山道を

登ると信貴山観光ホテルの建物が見えるが、入り道が見つからない。

更に進むとホテルは遠ざかる。 これは戻らねばと折り返してバス乗り場で

訊ねると、”この道から入るんです”と言われる。 道の直ぐ横に進入禁止の

標識があるので通り越してしまった。 よく見るとバスロータリーへの標識であった。

相変わらず、そそつかしいこと。   ホテルは、すぐ奥にあった。

チェックインが4時からと言うので、フロントで信貴山朝護孫子寺

の場所を聞くと15分程度で行けますと言う。 荷物を預け出かけることにする。



信貴山朝護孫子寺

ホテルより少し歩くと大きな谷に赤い手摺の開運橋が見える。

その橋を渡ると小さな門前通りがあり、小さな土産屋や食堂が並んでいる。



開運橋より見る信貴山観光ホテル





赤い手摺の開運橋

参道を暫く行くと山門があり更に進むと、朱色の赤門がある。

石畳の階段の道を行くと、大きな張子の虎があり本堂が上に見える。



三門





赤門

信貴山の始りは聖徳太子が物部守屋との戦いに望み、信貴山に登り祈願をしたのが

最初と言われ、その時、毘沙門天が現れ戦勝のお告げがあったそうだ。

その時が虎の年・虎の日・虎の刻であったため、信貴山の毘沙門天は虎に

縁のある福の神とされ崇められる様になったそうだ。 

この虎を「世界一福虎」と呼ばれている。




世界一福虎の先に本堂が見える。

更に赤い手摺の石段を喘いで登る。  結構、登りの多い寺である。

ある程度は登らないと有り難味も湧くまい。

やがて弁天堂がみえ、二層の煌びやかな塔が立っている。



弁天堂

更に曲がりくねった石畳を登ると立派な多宝塔が見える。




多宝塔

多宝塔の下を通って、愈々、本堂への登り口、権現作りの唐破風をくぐり更に登ると

其処には赤い欄干の舞台のある本堂が姿を現す。 本堂からの眺めが素晴らしい。


信貴山朝護孫子寺は信貴山真言宗総本山で本尊は毘沙門天である。

本堂は豊臣秀頼の時、片桐且元により再建されたが、昭和26年火事で消失

現在の物は昭和33年に再建されたもの。


本堂へ




日本一大地蔵と三重塔

信貴山は高さ400m程度の山に堂塔伽藍が広範囲に点在していて

かなりの健脚でないと全部廻るには大変の様である。

ホテルに戻り、やっと落ちつく。 

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昨夜の料理はまずまずであったが部屋で夕食が出来たのが

何よりであった。 お陰で周囲に気を使うこともなくお酒も進み

落ちついて食事を楽しむことができた。 おまけにビールも酒代も

安いのは庶民には、何よりのご馳走であった。 感謝!!


朝、ホテルの皆さんに見送られ、信貴山の龍田大社へ行くことにする。

道路が曲がりくねりカーナビが目を回したようにくるくると方角が変わる。

かなり行きにくいコース、15分程度と聞いたが結構手間取り到着した。


龍田大社

龍田大社は天御柱命(あめのみはしらのみこと)・国御柱命(くにのみはしらのみこと)

を祭神として龍田風神とも言われ、農業・漁業・航空・船舶など風にまつわる関係者の

信仰をえている。 崇神天皇の時代、凶作や疫病がおき神から龍田の地に宮を造れと

の神託があったと伝えられている。 古くより天皇家の崇拝があったと言われる。   



龍田大社拝殿

石垣の上に厳島神社の様な鳥居があり両側に紅いのぼりが立ち雅な感じがする。

流石に、大社と呼ばれるだけの構えをしている。

玉砂利を踏んで拝殿へと、奥に更に鳥井があり本殿が鎮座。

旅の安全を感謝し、いとまを乞う。  御終い。

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今回は「太子ゆかりの地」と言うことで法隆寺と信貴山を訪れ、番外もあった。

奈良から南大阪に掛けては日本のまほろば、まだまだ歴史的なスポットが沢山ある。

韓国語で自分の国のことを「ウリ ナラ」と言う。 奈良の語源が当時、渡来人が多く

その言葉の影響を受けた気がしてならない。 こちらは又、来て見たいところである。

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