インド北部
06・12.10〜06.12.15


タージ・マハル廟


             イ ン ド
人口11億、中国に次ぎ世界第2位の国、多民族国家で
各州に異なる民族がいる。 主な民族は北部のアーリア
民族と南部のトラビタ系民族。
公用語はヒンデイー語、準公用語として英語を用い、14の言語が地方語として認められている。
宗教はヒンドゥー75%、イスラム15%他、ジャイナ、
キリスト、スイク、ゾロアスターなど。
経済、GDP世界4位で産業の7割を農業が占め最近はハイテクのソフト産業が発展している。


訪 問 先

インドは11月から3月までは乾季に入り、一年中で
一番過し易い季節と言うので訪れた。


11世紀から18世紀にかけてのインド・ムスリム王朝で一番栄えた16〜18世紀の
ムガル帝国の文化遺産や遺跡を主に、延べ700kmの行程で見た。


デリー     「世界遺産」 フマユーン廟、クトゥプミナ−ル
インド門 
            
ジャイプール  
シティーパレス アンベール城、風の宮殿   

       アグラ   
「世界遺産」 タージ・マハル、アグラ城、ファテープルシクリー



中部国際空港


中部空港より上海経由でインドへ向う。  上海ではトランジットにも拘わらず
入国の書類を書かされ、今回は防疫カードまで書かされた。 

イミグレーションでは、たらたらと一時間も要し、やっと入国、荷物を
受け取り、続いて出国カードを書き、又荷物を預ける始末。

 相変わらずの中国の乗客無視のサービスぶり。
 これが世界第2位の経済大国とは驚く。

デリー行きまで時間があるので、カフェでサンドイッチと紅茶を頼むと
若いお姉ちゃんが2180円と言う。 驚いてお姉ちゃんに掛け合うが

メニューを持ってきて説明してくれるが・・・よく見るとサンドイッチが68元
紅茶がポットで60元とおっしゃる。 毎度の二重価格制である。

デリー行きに、やっと乗りこみ、機内食が出てくれば、真冬と言うのに
冷めたいまんま。 ガックリ! おまけにビールのサービスもないという。

全く、8時間のフライトが永いこと、この上なし。

漸く、デリー・ガンジー空港に到着。 ターミナルに入ると御香の薫りが
漂いインドを感じさせる。

ターミナルは上海よりは小さいが、入国手続は、てきぱきと捌き、
上海とは比べものにならない。 感謝!感謝!

デュティ・フリーに入り、チョコレ−トを買い5ドルを渡すと、レジスターの
コンピューターの処理が遅く、アンちゃんが気を利かして、つり銭をくれた。

  レジスターのメイカーは韓国のLG社の製品だった。

バスに乗り20分程でホテルについた。  
ホテルはグランドスタイルのどてかいものロビーはオペラハウスのような
丸いドームのふき抜けとなり、二本のエレベーターのコアが上がっている。

http://asiatravel.com/india/hotels/delhi/centaur/centaur.html

ホテルのガーデンではイルミネーションが飾られ
テントが張られて大勢の人達が正装でたむろしていた。

ガイドのP氏に尋ねると、インドでは今の乾季が結婚シーズンでパーティだと言う。
添乗員よりルームキーを貰って、夫々部屋に分かれる。

一風呂浴び、やっと落着く。 窓から下を見ると驚き、大きな庭で先ほど
見かけた結婚パーティがたけなわの様である。 好奇心につられ覗いてみる。




パーティのテント

紅いイルミネーションのトンネルを潜ると絨毯が敷かれ、まるでマハラジャの
世界に入った様。すると給仕が寄って来て、盆に載った酒と料理を取れと言う。
カップを戴く。 軽いワインだった。

奥に入っていくと女性は豪奢なサリーを身に纏い、男性は首から
長いマフラーを垂らし、洋服を着ていた。
あちらにも、此方にもグループが出来、お喋りを楽しんでいる。


やがてホテルの方から新郎らしい人が出てきてテレビカメラのライトを浴びながら
お祝の品を来客から受け取っている。 ビニール袋に入った布団か絨毯の様な
贈り物を何人かの人から受け取りハグを交わしていた。

その後、新郎はステージに上がって、大きな椅子に座った。
やがて新婦が現われ、新郎のいるステージへとおもむろに上がって行く。

民族音楽の楽団がインドらしい旋律の曲を奏で盛り上っていく。

ステージの横のスクリーンにその様子が刻々映される。
テントの方では大勢の来客が食事をしながらステージの
新郎新婦を見詰めている。

それにしても何処の富豪か判らないが豪勢な結婚パーテイーである。
インドでは娘三人いると破産するというそうだ。


様子が写し出されるスクりーン





新婦のお出まし





ステージと取り囲む客席




紅潮した顔の新郎・新婦




団らんにふけるグループ、皆思いきりの盛装





美人トリオが快く応じて呉れた

部屋に戻るが、パーティーは、まだまだ続いていた。
翌日、聞いてみると朝の4時まで続いていたと言う。

窓から下を見るとスチロールの皿やコップが散乱し、宴の後を物語る。
昨夜とは打って変わり、それらを下層の人達が、かたつけていた。 

国が変われば、変わるものである。



         デ リー
インドの北部ヤムナー川西岸に広がる
首都ニュ−デリーと古くからのスルタンの
オールドデリーからなる1600万人の
大都市。

今日はデリーの市内観光、ガイドのP氏が早速自己紹介。
 大学の理数科を出て空軍のパイロットになったが
母に危険だからと諭され辞め、外国語の中で難しい日本語を勉強したと言う。

理由は難しく、やる人が少ないから役に立つと思ったと言う。

彼はヒンドゥー教徒で、父は弁護士、教養も高く、何故観光のガイド等と
思われるかもしれないが、産業の少ない途上国ではガイドは社会的にも
地位が高く所得も高いと言う。 

以前ハンガリーがEUに加盟した頃に訪れたが
やはり、ガイドは元大学教授だった。 社会主義崩壊のあとで、
教授では生活ができないと言っていた。

ホテルを出てバスは街外れを走る。 牛や犬がうろつき、狭い間口の露天
とも店舗とも見境のつかぬ構えで商売をし、薄汚れた布ぎれで身を包んだ
人達が道路脇にうずくまっている。

小さな店で小麦粉を揚げた様な食べ物を、労働者風の人達が食べている。
恐らく、中国辺りでよく見かける風景で朝食なのだろう。

バスが止まると子供達が寄って来て、珍しい見世物を見るかの様に
我々に愛嬌を振るまき、おどけた顔をしたり、踊ったりして
パーフォーマンス出迎えてくれる。


ガイド氏曰く。 「ヒンドゥ−教では、不殺生、輪廻転生、布施」を教えとする為
牛や動物、大地を惠を生み出すものと考え、それを護る」という。

従って、貧しい人も生まれ変わることを信じ、明日に希望を持って生き、
富める者は施すことが当り前と考えている。

殺生を禁じているので、いじめもないようだ。
街で、ぼんやり一日過ごす人は何を思っているかは解らないが
日本人の様に死ぬことは考えてないと言う。

やがて、最初の訪問地クトゥプ・ミナ−ルに到着。


     クトゥプ・ミナ−ル
イスラム教のミナレット(塔)のことで
1200年にアフガンより来た王が建立
世界遺産となっている。
隣にはインドで最初のモスク遺跡や
アショーカ王の錆びない鉄柱もある。


王の名前が付けられたミナレット

場内では鳥が囀り、世界遺産だけに綺麗に清掃されていて
公園の様になっている。





1階から3階は第1代の王が建て、3階から上は2代目の王が造ったそうだ
1〜3は赤砂岩で積まれていて4・5は大理石が使われている






初めて造られたモスク遺跡

イスラム教徒は11世紀頃に侵入してきて、ジャイナ教の寺院を
作り変えたそうだ。 その為、ヒンドゥー様式とイスラム様式が
混在している。




ジャイナ教様式

この後、フマユーン廟へと向う。

      フマユーン廟
ムガール帝国二代目の王の墓で
ペルシャより嫁いできた姫により
1564年に建立された。
これがタージ・マハルのモデルに
なったと伝えられている。

場内はイスラムの廟らしくシンメトリーの様式道路があり、
赤砂岩の砂か土まで赤いものを使っている。


廟への入口正門、全く左右対称

イスラム式のアーチ構造の門構えをしている。



廟のドーム

正面一直線に水が引かれ、ムガールのスタイルで日本人には
キッチリし過ぎていて、何処か落着かない。



赤砂岩が使われ幾何学模様が施され比較的空白が多い




ドームに入った所、この中に墓がある。 比較的シンプルに装飾が少ない




ドームを中心に十字の伸びた参道と門

フマユーン廟を出てニュウデリーに行く。

        インド門
イギリス植民地時代の1921年
にたてられ第一次大戦の戦没者
が祀られている。



インド門

ニュウデリーのメイン通りラジパットに建てられた門の正面には大統領官邸
のドームの屋根が見える。 1月26日はインドの憲法記念日で大パレードが
この道路でなされる。その為、道の両側にビティーで桟敷席が組まれていた。



昼食をしたデリー市内のホテルのテラス。

昼食を済ませ、一路ジャイプールへと260kmの道をバスはぶっ飛ばす。
クッションのよくないバスに道路も今一、揺れること、揺れること。

街を出ると黄色い菜の花畑がいち面に広がり、麦畑は若葉が伸び
春には収穫されると言う。  まさに、春の陽気。

 空は霞み、空気が乾燥している為、爽やかな春と言った絶好の陽気である。
道路には緑が多く、菩提樹や連珠の木、ハゼの木などが目に付く。

道中、至る所で工事が為され、道沿いが整備されている。
建物は鉄骨造りは見られず、殆どが柱とスラブをコンクリートで造り
壁を煉瓦で積み上げるといったタイプの造りである。

約5時間半かかってジャイプールのホテルに着いた時には暗くなっていた。

http://www.travelmasti.com/kkroyal.htm

インド風の屋根に四隅の歩哨小屋を持った感じのいいホテルで
入ると
赤いコスチュームの小父さんと子供が楽器と踊りで迎えてくれた。



音楽と踊りで旅の疲れを解してくれた親子




朝のホテル風景、手前はプール

大きな山ではないが、山に囲まれ、この当りは、ジャイプールの郊外
盆地のような街でホテルにはテントハウスをあったり
リゾート地の雰囲気である。




ホテルのテントハウス、シャワーからベッド炊事と全てが整っていて
傍にはプールも完備している。


ジャいプールへ   MUNU