インド北部U
06.12.10〜06.12.15

ジャイプール

朝8時にホテルを出発。 
暫く、街並みの道路走ると、やがて小高い山の中腹に、アンベール城が
見えて来る。 羽目板を立てた様な赤砂岩の城壁に囲まれた宮殿が
朝日を浴び黄色く光っていた。

道が広くなり沢山のジープが並び、慌しく客の呼びこみをしている。
我々もバスを降り、ジープに乗ることにする。

幌を被せたジープに助手席と後に4人が乗ると、城を目掛け一目散に走り出す。
その慌しさ、彼等も生活の為に何往復か折り返すのであろう。

観光客を運ぶのか着飾った象が前から続いてやって来る。
象で城まで登ったら結構時間がかかりそう。 我々はジープで何より。

古い煉瓦やコンクリートで出来た街並みの細い道をエンジン音を響かせ登っていく。
 建物は壁などが落ち、朽ちているが、住人は生活している様だ。

排水溝がなく生活用水は道路に流されている。
王様がいた頃は、城にも近く、城下町であっただろうが、今は荒れている。
これから観光で稼いで、追々、良くなることであろう。

民家と城壁とに挟まれた狭い道を登ると間もなく城に到着。
太陽が低く朝の陰影が美しい。


            アンベール城
16世紀の末ムガル朝の3代目アクバル帝(イスラム)13才の時
に即位し、優れた指導力で司令官に城を建てさせ、ジャイプ−ル
遷都までの3代の王が城として利用した。
ジャイプールの北に位置した要害の城。




ジープより望むアンベール城の食糧庫、左には武器・弾薬庫があり長期戦の備え

ジープを降り、門まで行くと軍人のようなコスチュームの人達がいた。
こちらは現在、国が運営していて彼等は警備員だそうだ。

門を入ると、広場に出て、像が何匹か観光客を待っていた。



観光の象タクシー、揺られて街までは疲れそう。

歩哨が立っていた様なインド特有の東屋付きの建物の間を登って中に入る。




其処には中庭があり周囲は山に囲まれた強固な城であることが判る。
手足の長い猿が何処からともなく出てきて屋根から屋根へ飛び移っていく。
木のない禿山によく住みついているものだ。



広い中庭、三代の王が増築した跡がよく判る。





シーシュ・マハル宮殿、

細かなイスラム風とヒンズー風の両様式で建てられ、門の
上には女性の
結婚の部屋があり、彼女らは、こちらで暑い夏を過ごしたと言う。




式典時の入口






透かし彫りの飾り窓 姫たちが顔を隠し此方から眺めていた。

ハーレムとまでは行かないが、風とうしの良いこの窓より彼女達は外を眺めていた。






イスラム教徒でありながら完全なヒンズー様式で建てられ、
柱頭には蓮の花弁がデザイン化されている。
植物や動物の模様はイスラムには珍しい。 
よほどヒンズー教徒に気を使ったのであろう。





壁のない部屋が多くあり、綺麗な彫刻が彫られた柱の部屋である。




場外の姿とは想像もつかない精緻な装飾。





ヒンズー様式の大理石の柱頭飾り、石はイタリヤから取り寄せ造ったという。
古代ギリシャのアカンサスの柱頭とよく似た装飾である。





大理石に鏡を散りばめた謁見の間の壁装飾の豪華さ。
こう言った豪奢な構えで訪問者に威圧を示したのであろう。





スーク・ニワース宮殿

アンベール城を出て、ジャイプールの街への途中、
マン・サガール湖の真中に建つレイク・パレス(水の宮殿)
狩猟用に建てられたと言う。 

モンスーンの季節には水が一杯となるが、
現在は乾季の為、僅かに水が見える。




水の宮殿・レイクパレス

紅い建物や塀が見えだしジャイプール市街に入ったようだ。
赤砂岩の建物が多く、車も人も賑わっている様だ。

現在でもマハラジャの子孫が住んでいるというシティーパレスに入る。

      ジャイプール
ラジャスタン州の州都。
デリーの南260kmの位置にあり、人口
280万の都市で街は赤い建物が多く、
ピンクの街といわれている。



           シティーパレス
ジャン・スインU世が1726年に建てた宮殿
内部は博物館になっており、豪華なサリーや、
楽器等、展示されている。




シティーパレス門




門の拝みに付けられた紅い印が神の守り





ピンクシティーと言われる独特の模様とカラー。 街に多く見かける模様。





入口





暗い部屋に銀色に輝く光ったものは、銀の壷で2個置かれている。
この壷は1901年マド・スイン2世が渡英した際、水を入れて持っていった。

一個に8トンの水が入り、彼はテムズ川の水が不潔と思い、この壷にガンジス川の水を
詰めて現地に持って行った。  この壷を鋳造するのに2トン強の銀を使ったという。




旗のある高い建物に今もマハラジャの子孫が住んでいる。
従って此方はマハラジャ個人のもの。






宮殿への入口には白大理石の2頭の象が両脇を固めている。





象の彫刻の横の守衛さん達、カメラのモデルを頼むと、偉く緊張してポーズをして呉れた。
インドは英国仕込みの国、チップをそっと手渡と、にっこりと微笑みサンキュウ・サーという。




大きな中庭





宮殿出口の金の扉、よく磨かれている。





門を出た所では、蛇使いが笛を吹き大きい頭のコブラを操っていた。
ここでは蛇が怖くて、チップは御無礼してお暇する。

この後、ピンクシティーの街のシンボルと言われる風の宮殿へ行く。

      風の宮殿(ハワ・マハル)
1778年から25年かかってプラタ−プ・スイン
によって建てられた。
シティパレスから離れてはいるが、その一部で
5階建ての建物で多くの小窓を持ち、奥行きが
6畳間程度であるため風とうしがよいことから
風の宮殿と名付けられた。


やはり、ジャイプールの街の中心か、車や人が多く、特にバイクが目立つ。
建物に見惚れていると、交通が激しく、気をつけないと、危ぶない。



風の宮殿

昔は王族の女性専用でラジャスタン地方は元々暑い地域で
窓の多い構造のため涼しく、高貴な女性が顔を見られることもなく、
透かし彫りの窓から外の行列や街の眺めを満喫でき喜ばれたという。




プラタ−プ・スインは審美家であったと云われ、この様な斬新な
ハサードのセンスを持っていて、ジャイプールのシンボルとなっている。

風の宮殿を見て、230km先のアグラへと車は進む。
街では小屋のような所で散髪をしている店をよく見かける。

途中洪水により道が流れ至るところで工事中。 
しかし重機も使わず人海戦術で人が大勢たかって作業をしている。

4時間かかってアグラの街に入る。
もうすっかり日が落ち、イルミネ−ションで飾られた矢車を廻し楽隊の

派手な行列が行く。 これも結婚式の一団と言う。 インドの式は実に豪華。

ホテルは椰子の木に囲まれ、南国風の様式ホテルだった。

http://www.hotelclarksshiraz.com/


ホテルの軒で見たインドの三日月

異国で見る月は、又、違った感じで迫って來る。 インドでは満月を祝う
行事が多く、三月の満月には麦の収穫を感謝して、赤い粉や水を
お互いに掛け合うそうだ。



翼朝、部屋より見た日の出




ホテルの朝

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