伊勢、石鏡ぶらり旅 04.3.21−22 妹夫婦から誘われ、昨夜は鳥羽市石鏡で泊まり、朝起きてみると、あいにくの 雨になる。 左、朝、ホテルの部屋 より眺 めた石鏡の湊 ここは、歌手の鳥羽一郎 の 故郷。 部屋は180度視野の 開けた 、シーフロント 幾つもの島々が浮かん でいる。 昨夜は人生話に、花が 咲き 夢路に入る。 さー 、今日は何処え行くかな? しばし思案・・・・ 家内の一言で、 おはらい町 伊勢市に行くことになる。 町につくと、雨にも拘わらず、内宮前の駐車場には、観光バスが沢山 とまっている。 我々は神宮の方は御無礼して一路、おはらい町に向う。 おはらい町通りは、伊勢神宮の門前町として五十鈴川沿いに開けた、800M 程の通りである。 ここは、古くから御師達(神職であるが、当時は旅行社がない為、ツアー コンダクターの役目を果たしていた。)が全国から募った参詣客を自分の館を ホテルわりにして泊め、神のお祓いを 受けさせ、 もてなした事から、通りの 名前に なったようだ。 江戸時代の後期には、半期に400万を数える参詣客が押し寄せたと言われる。 さしづめ今のデズニ−ランドといった所だ。 通りは電柱がなく、石畳の敷かれた江戸時代の雰囲気を残す、落ち着いた 街並みである。 平成になり、町おこしと、お伊勢さんの御蔭げを意味して、更に、おかげ参りの 賑わい を願い、 おかげ横丁として整備された。 |
古来、伊勢は神宮により
栄えて来たという事から
神宮の建築洋式である
” 平入り”を避け妻側を
正面に向けた、商家の街
並みとなり、京都等とは異
なり、山を連ねている。
左は地酒の店、これが典型的な切妻型
雨は相変わらず降り続き、石畳が光ってっている。
山形が繋がる街並み
丁度通りの中ごろに来た頃、赤福本舗があるはづ なのに、何故か見えない。
本舗はすっぽり青い工事シートに包まれていた。
家内が赤福に入りたい、と言っていたが、これではだめだ。
見えない筈である、と思ったのも束の間、向いの角に大勢の人が出いりし、
商い中では ないか。
前には”耐震工事の為、皆さんにご迷惑云々”と書いてあった。
やはり、風格のある建物であったから、後世に残したいという主人の気持であろう。
以前にも一度来たが宇治川に面した眺めの良い所だった。中では、長椅子が
並べられ、ガラスに囲まれた中で 若い女性が、慣れた手つきで、赤福に指の
後をつけていた。
未だ、朝の10時過ぎ、昨夜のお酒のかげんもあり腹はすいていないが、一服
することにする。
客は結構入っていた。
しかし、旅の為か、用を済ますと、直ぐ出て行く様だ。回転が速く店にとっては
好都合であろう。
昔であれば、各地からのおかげ参りの人達は、一休みし、赤福をほうばり、
長い道中の空腹と疲れを癒したことであろう。
それに引き換え、飽食に、うんだ我々 は、その味も解らず、なんて贅沢をし ていることか。
感謝しなくちゃ。
右がその仮店舗の売り場、
ピンク色の赤福の土産が見える。
左がおかげ横丁 の入口、伊勢路の古い 建物を 移築したり、芝居 小屋を設けたり、
建ちの低い店 を並べ、 江戸の 面影が
ただよって いる。
下、食事処”すし久”の暖簾と内部 てこね寿司、伊勢うどんのメニユウもある。
下、藍染めの老舗、松坂もめん
右 みたらしや
下 藍染め屋 下 おたふくの看 板で有名な岩戸屋
一通り見終わり、帰り道、意外な人々と出会う。
まさか? しかし、中国人の観光客である。
古くから日本人の心の源と言われる、この伊勢にどうして、不思議である。
皇大神宮が、ここにあると、知っていて来たのであろうか??
小泉首相の靖国参拝をあれだけ非難するのに、本音と建前が違うのであろうか?
いずれにしても、最近中国人の観光客が増えたと聞く、300万人/年とも言う。
急激な経済成長から、裕福な世帯層が増えている様だ。
石油消費量では既に日本を越えたと言われる、これから益々、
訪問者が増えることであろう。
しかし、小泉首相の靖国参拝はお止めになって頂くと、もっと、人気が
上がるのに。
ここの所、中国での国民感情が悪化し些細な事からのトラブルが増えている。
もう少し大らかな気持になって、詰まらない意地を捨てて呉れれば、
日中国民は、もっと豊かで友好的な付合いが出来るであろうに、国益国益と
良く言われるが・・・
ナンデダロウ??? とふと思う。
おわり
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