鎌倉追憶V
広場の如来像と神将
阿弥陀堂をでて、大黒堂を横目に観音堂にはいる。 長谷観音の御本尊であるだけに
豪華なお堂に、錫杖を突いた黄金色の十一面観音が見下ろしていた。
身の丈9mに及ぶと言う本邦最大級の木彫佛。
阿弥陀如来に比べ尊顔が丸く、金色の光背に後光がさしまくり。
ここも残念ながら撮影禁止。 フラッシュを炊かなきゃいいように思うが?
観音堂
長谷観音は古くより人々に親しまれ、奈良時代736年に開創という鎌倉でも
有数の古刹でだそうだ。 観音像については奈良の長谷寺の観音像と同時に
彫られたものと言われるが、事実は定かでないよう。 この後、経蔵堂へ行く。
中には大きな摩尼車の様なものがあり輪蔵と呼ぶそうだ。
そこには一切経が収められ、周囲を参詣者が廻っていた。
経蔵堂
上境内を廻り下境内に行こうとすると、一際、背の高い熟年の外国人が修学旅行の
女生徒にカメラのシャッターを頼まれている。 近頃の子供は世ずれているのか
ものおじせず平気なものである。 反面、危険と隣り合わせなのかも知れない。
と思いながら弁天堂へと下りる。 途中、放生池にはカラーの白い花が咲き
石橋の下に鯉がたむろしていた。 池の奥に弁天堂はあった。
放生池の鯉とカラー
弁天窟入り口
岩窟内の弁財天と16童子
岩窟内の壁に弁財天と16童子が彫られていて、いやに紅い照明がされていた。
同
弁財天を最後に拝んで長谷観音ともお別れ。
途中、鎌倉文学館への道を訊ねると、20分程度で行けると教えられ、訪れることにする。
長谷観音からは東の方向、静かなアプローチの若緑の紅葉に覆われた
なだらかな道を登って行くと、突如明るく開け、青い瓦屋根にベージュの壁の建物が現れる。
アプローチ
こちらは、以前、加賀百万石藩主前田利家の系譜である前田公爵家の別邸で
元は和風建築で建てられていたが火災で焼失し、その後16代当主前田利為氏が
昭和11年に全面改築し現在に至ったそうだ。
戦後は、デンマーク大使や佐藤栄作首相が借りていたこともある。
三島由紀夫の華族との悲恋を描いた小説「春の雪」はこの別邸をモデルに描いたそうだ。
現在は鎌倉市に寄贈され、鎌倉文学館として公開されている。
鎌倉は古くから文学の街と言われ、文人墨客が多く住みつき、その著名人の
原稿や手紙、愛用品等が展示されている。
別邸の外観
背後に小高い山を控えた高台に建ち、前は大きな芝生の斜面となり、終りの所が
バラ園となっている。 丁度、季節で色彩豊かなバラが満開となっていた。
バラ園の先には湘南の海が広がっている。
バラ園より望む別邸
別邸よりバラ園から湘南の海を暫く眺め、別邸をお暇。
長谷駅より江ノ電で鎌倉へと来た道を戻る。 この後、家内が杉本寺へ行きたいと
言うので地図で見ると20分程度、少し遠いが出かけるとする。
客待ちをする人力車
鎌倉駅から三の鳥居に行き、そこから右手に折れ、東へと歩くが、それらしきものは
見えてこず、足も疲れてくる。 通り掛けの小母さんに訊ねると、まだ15分は
掛かると言われ、がっくり、折角来たからと、尚も頑張る。 やっと到着。
道の左手に石段が真直ぐに上っている。 何処となく古色蒼然とした雰囲気。
それを登って行くと、上から夫婦づれが下りてきて、「今日はもうお仕舞いです、
4時半に三門が閉まりました」と、おっしゃる。 そうですか、と答えると、
「本堂には運慶作の十一面観音像や、行基作の十一面観音像もあり、見応えがあるので
是非、又来て見て下さい」と言われる。 やはり魅力のある寺のようだ。
益々、見たくなるが閉門では仕方がない、諦めることとする。
杉本寺の階段
寺の案内板
この寺は鎌倉最古の寺で奈良時代734年に行基が開いたと言われ観音霊場
として嘗ては栄えたそうだ。
次回、訪問の楽しみに残し、帰途は重い足を引き摺りバスに乗り込む。
大船観音
翌朝、ホテルより見える観音像は神々しく見えた。
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