山陰の
07.4.4〜4.6


季節変動の影響か今年は暖かいかと思えば寒くなったり、花にとっては

開花期が狂ってしまった様である。 昨春は東京での花見に恵まれれたが、

今年は西の方へと、ひなびた春をもとめ、山陰方面に出かることにした。

訪れた所

津山城址(岡山県津山)−足立美術館(島根県安來)−玉造温泉(島根県玉造)

出雲大社(島根県大社)−松江市(松江城他)−境港(鳥取県境港)

打吹公園(鳥取県倉吉)−三朝温泉(鳥取県三朝)−鳥取城址(鳥取市)

浦富海岸(鳥取県と兵庫県に跨る)−泰雲寺(兵庫県新温泉)−

湯村温泉(兵庫県湯村)

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津山城址
(鶴山)

城址入口

京阪神地区の雑踏を抜け中国路、岡山県の北部、吉井川と宮川の合流点にある

鶴山の頂上にあるにある津山城跡は明治の廃城で天守閣を含む建物は壊され、

三層の石垣が残るだけであったが、平成16年に備中櫓が建てられたそうだ。


初代藩主・森忠政

初代藩主・森忠政は「本能寺の変」で信長と共に討死した森蘭丸の弟で

兄長可亡き後家督を継ぎ、秀吉、家康と仕え1603年こちらに入封し、

築城をして4代まで治めたが、4代目長成に跡継ぎがなく領地没収となる。

 その後、徳川系の松平宣富以下9代が継ぎ明治に至たったと言われる。


備中櫓

やはり、地方はご多分に漏れず都会と違い人出は少なく静かな花見ができる。

今日は曇り、薄ずんだ桜が8分から9分といったところ。 

日に映えた桜もよいが曇りの桜も墨絵の様にしっとりとして味がある。



津山を出て中国道より米子道に入る。 玉田山トンネルを抜けると、銀世界!

 少し冷えるなあと思ったら、やはり雪か、4月と言うのに驚きである。

蒜山高原を目前に、この辺りは日本海よりの北風の通る道で雪の多い

地ではあるらしい。 天気が良ければ、霊峰大山の雄姿が見えるのであるが

残念ながら白一色のガスの中。 蒜山高原を通り抜け米子に入いる頃には

雪もおさまり青空も見え、やがて安來市に到着する。


こちらでは足立美術館に入る。



足立美術館(安來)

足立美術館迎賓の庭

中国地方では大原美術館と並ぶ美術館で、大原美術館は西欧のもので

有名であるが、こちらは純日本の美術で日本画と日本庭園が売りである。

外観はコンクリート造りで普通の建物であるが、中へ入いるとその印象は一変する。

 木づくりではないが禅寺院や御殿様式のイメージのするデザインで

館内随所から庭が見え、窓が額縁の様で切り取られた絵の様である。

  茶室や喫茶室が所々に置かれ、ゆっくり観賞し落着いて寛ろげる。


常設では横山大観のコレクションがメインに、陶芸館では河井寛次郎と

北大路魯山人の作品が観られた。 特別展として榊原紫峰展が大展示室で催され

有名な花鳥画が展示されていた。 入場料が少し高い様に思われるが

民営だけに、これだけの庭園の維持を考えるとやむを得ない気もする。


魯山人の作品




京風の苔庭




枯山水庭

館内を廻り、休憩所に腰を下ろし枯山水の主庭をぼんやりと眺める。

庭の借景となる月山は、その昔、尼子氏と戦った大内氏と

毛利氏の戦場だったと言う。

美術館を出ると陽も傾き、今夜の宿泊地である玉造温泉へと向う。



玉造温泉(松江市)

玉造温泉・玉湯川の桜

玉造温泉は玉湯川の両側に旅館が立ち並び、こんな温泉何時か見たような

と思いきや、兵庫の城崎温泉とそっくりだった。  若者には退屈であろうが、

年寄りには、静かな温泉で何よりである。 歳を重ねると考えも変わってしまう。






玉湯川で足湯を楽しむ若者達

朝、散歩に出ると、バイクで着いたばかりの若者達が玉湯川で

足湯を楽しんでいた。  カメラを向けると、愛想よくVサイン!

広島から来たと言っていた。 お互い旅の安全を交換してお別れとする。


旅館前の桜

今日は快晴、宍道湖の南岸を走り出雲大社へと向う。

宍道湖の南に広がる出雲平野は山陰屈指の穀倉地帯、田園の中に

ポツポツと黒松の防風林を持った農家が点在して懐かしい田園風景である。

以前、砺波の散居村を見たが、あちらの風景とよくにている。

ただ防風林の高さが、こちらは短く抑えられているようだ。


北西両面に防風林のある出雲平野の農家

玉造温泉より40分程で大社に到着。




出雲大社(大社)

出雲大社拝殿

大鳥居を潜り松並木の参道が続く、その奥に拝殿がある。

参拝は普通2礼2拍手一礼であるが出雲は2礼4拍手1礼だそうだ。

出雲大社は日本で一番古い神社建築と云われ、伊勢神宮とは

様式が異なり、千木の先が垂直に切られたり、千鳥破風のつま側が

正面を向いている大社造りと言われている。

御祭神は大国主命(大黒天)が祭られ縁結びの神として親しまれている。

大きな神社は森林で困れている処が多いが、こちらは本殿の後ろに山を

配してはいるが、大社や神宮と名のつく神社とは趣きを異にしている。

10月を一般には神無月と言うが、出雲では神在月と呼び全国の神が出雲にお出ましに

なるからだそうだ。 又、善哉はこちらが発祥と伝えられ「神在」から来ているそうだ。

神楽殿のジャンボ注連縄




大国主命像




本殿八足門



本殿前の大柱発掘場所

平成12年の春工事で発見された巨大柱の跡で、直径が3mの三本束ねの大柱の

上に高さ48mの神殿が建てられていたことが証明された。


本殿



本殿千木、先が垂直に切られている

出雲と言えば神話の里、小学校の頃、習った「八岐大蛇」や「因幡の白兎」の話

が懐かしく甦ってくる。 子供には怪しいと疑いながらも、本当の様にも思ってしまう

イマジネ−ションがある。  年齢と共にその思いも、何時の間にか失せて行く。


本殿の参拝を済まし松江へと向う。 途中、出雲のワイナリーに立ち寄り、

甘口から辛口まで試飲をさせてもらう。  買うまでには至らず、お暇。

その後、一畑電鉄に沿い宍道湖の北岸を通って松江市に入いる。



松江市

宍道湖東岸・白潟公園

松江市は水の都とも呼ばれ宍道湖・中海を挟んで南と北に街が跨がり

江戸時代松平家が10代に渡り治めた城下町で古くより京都や金沢と並ぶ

茶の湯の盛んな街だそうだ。 その為、和菓子の一人当りの消費量は

全国一と言われている。 これは松江藩、第七代藩主松平治郷が江戸時代の

代表的な茶人の一人で号を不昧と称し、不昧流を建てたことから、茶の湯が

栄えたと言われる。 その所為か街が何処となくしっとりとした古き昔を漂わす。


早速、街のお茶屋に立ちより、こちらの銘菓に抹茶と煎茶を戴き、

暫し、不昧公を偲ぶ。  お茶は甘味のある結構な味であった。


宍道湖南岸と嫁ヶ島を望む

宍道湖は淡水に海水の混じった汽水湖で周囲が45kmあるそうだ。

湖の南岸に見える嫁ヶ島は1200万年前火山活動で出来た玄武岩の島。

 嫁が姑に虐められ実家に帰る途中、氷が割れて水死し、

島になったという悲しい話が伝えられている。

南地区の街を歩き、和菓子の老舗で味見をして一番口に合った「朝汐」を

買い込み、北地区の松江城へと行く。

宍道湖北岸




宍道湖大橋




壱の門

松江城は桜の名所、花が満開だった。 この城は1611年に堀尾吉晴築城し

以来、堀尾三代、京極一代、松平十代の居城として街を治めてきた。

城は5層6階の天守閣を持ち姫路や松本の様に木造で残る天主閣である。



城内は雪洞で飾られ艶やかな雰囲気。 しかし、花見客は静かなもの。

何処も地方は人出の少ないのに驚く。 桜ばかりが例年の如く咲き誇るが

街財政は大変という皮肉な巡りあわせ。


天主閣








城山稲荷神社






   つづく    HOME