新緑の上高地・飛騨高山
09.6.12〜6.13


妹から誘われ上高地に行くことにした。 梅雨の最中、山遊びは天気の善し悪しにより楽しさは決まる。

後は運を天に任して待つことになる。 前日の11日になり予報は好転してどうやら12日は晴れの様子

本来は現地で一泊し朝の上高地を見るつもりであったが、天候都合で日中の訪れとなる。

自宅で落ち合い東海北陸道経由で出発、通勤時間のため市内の道路は混んでいたが

高速道路は、割引のない金曜日せいか道路は空いていた。


東海北陸道に入って長良SAで昼食を仕入れ清見インターへと急ぐ、やはり梅雨時

天候が不安定なのか、晴れたり曇ったりではっきりしないようだ。 2時間少しで清見インターより

中部自動車道に入る。 高山西を越え、ナビを見ると新しい道路の為かナビの矢印はふらふらしている。

どうやらナビにはない道路で迷っている様子、やがて道に乗ったが、方角がおかしい。

高山の街を避けて通るはずが、市中ど真ん中に入ってしまった。 しょうがなくナビに頼って行くと抜け出た。


 乗鞍岳が白い残雪をマダラに残し勇姿を現す。 や〜 いよいよ奥飛騨だ!

郊外にでると坂道とはなるが信号もなく、車も少なく実に気持ちよく走れる。 158号線よりの

飛騨鍾乳洞への入口を過ぎ、登りに掛かったところで家内が「赤かぶの里」に寄りたいと言う。

命令に従い立ち寄ることにする。 腹がすいてきたので、少し早いがサンドイッチをぱくつく。

やはり入るものが入ると元気が出るものだ。 後は上高地で歩き腹がすけば何か調達するとするか。

 158号を更に北上すると「ほうのき平スキー場」へ  もう平湯だ。

長い平湯トンネルに入る、ここを貫ければ、平湯温泉!!


トンネルをぬけて直ぐの三叉路の真ん中の道を入り、平湯温泉バスターミナルのところでホテルが

分からずバスセンターの小父さんに訊ねると、直ぐ傍の路地を入った奥にあるとのことで

入って行くとホテルはあった。 時計を見ると12時前だった。 

ホテルはチェックイン前でも気持ちよく車を引き受けてくれた。 バスターミナルは

2・3分で行けて便利な立地。 こちらから上高地へ30分おきにシャトルバスが出ている。


幸いにバスも直ぐ出発した。 お客は、ぱらぱらと、ゆったりした席どり、夏休みともなれば

こんな調子では乗れないだろう。 ハイシーズンをはずしての特権である。



平湯温泉バスターミナル、 この静かなこと。


バスは動き出し左にカーブを切ると、まもなく安房トンネルに入る。 トンネルは岐阜県と長野県を結ぶ

4.37kmで1997年に開通した。 トンネル工事は焼岳活火山帯が通っていて「中の湯」では水蒸気爆発

事故が起き犠牲者も出て一時中断したり難工事であった。 トンネルなき時代は葛篭折れの安房峠を越さないと、

両県とは行き来ができなく観光シーズンには5時間を要したそうだ。 それが今では5分で通過。 


現在では高山市・松本市間の大動脈として利用されている。 

安房トンネルを貫け直ぐ「中の湯」から続いて「釜トンネル」に入る。

釜トンネルをぬけると、梓川が流れ、そこは、もう上高地内、焼岳が姿を見せる。

上高地とは大正池から上、横尾までの10kmの梓川沿いの平坦地域を言うそうだ。


我々は”大正池で降りる”と、話をしていると、運転手さんが聞いていたのか”降りるのであれば、

停止ボタンを押して下さい” と言われ、慌ててボタンをを押す。

バスが止まって降りようとすると、なんと、我々以外にも降りる人達がいて、結局、

乗り越す人の方が少なくなっていた。



大正池より見る穂高連峰  画面中央はライブ・カメラ


バス停から川に下りると、ひんやりとして肌寒い感じ。  しまった!上着を忘れてしまった。

やはり標高1500mの所、涼しいはず。 山々は、うす曇であるが、雲が高くくっきりと姿を見せる。 

池に手を入れると水は冷たい。 思わず身震い、模様して大正池ホテルのトイレへ。

 戻ってくると、皆さん待たしてしまい、寒そうな顔! 申し分けなし。


上高地も3年振りであるが、前回は8月の盆過ぎ、今回は新緑、まるで違って見える。

これから梓川に沿って河童橋へと進むが、その前に一番手前に鎮座する「焼岳」に見ほれる。

緑に覆われて噴火の赤肌を一部みせる姿は何時噴火するとも知れない活火山の不気味さが伝わってくる。

 反面、川面と接する部分は緑の姿を川面に映し静寂そのもの。 何とも言えない山のコントラスト。


焼岳も低く見えるが標高は約2450m、上高地が1500mの海抜であり900m程の山になる。


 
梓川に姿を映す焼岳                                     一部埋まった大正池








川沿いの道を歩いて行くと穂高が見えたり隠れたり、水辺ではマガモやオシドリが戯れ岩魚らしき魚影も見える。

やがて田代池に出る。 田代池は大正池と同じく大正4年の焼岳の噴火で千丈沢が堰きとめられてできた浅い池で

人工的に造られた様に木がほどよく間隔をおいて生え、湿原と透き通った清水が風に波紋を見せる。

美しい植生と湿地が素晴らしいところ。 もう少し深入りすれば更に魅力が?



田代池

田代池より更に林を進むと、やがて田代橋へでる。 ここから橋を渡って対岸の道へ移る。

 梓川は雪解けの水と湧水を合わせ豊かな流れを見せ、その先には穂高連峰がある。


 対岸はホテルや山荘も建ち遊歩道が整備されている。 唐松やハンノキ、白樺、ミズナラ

ヤナギ類など植生が豊かで観光客への木陰をつくって散策を楽しませてくれる。




田代橋より望む穂高連峰





上高地温泉ホテルと背後は焼岳





整備された遊歩道

景色のよい遊歩道を歩いていると疲れを感じない。 寒かったのも忘れ何時の間にか

背中は汗ばみ実に気持ちのよい散策である。 河童橋までは3.3kmの約1時間20分の

行程であるが、知らぬ間に「ウエストン碑」の所まで来ていた。



ウエストン碑

ウエストンはイギリスの牧師で明治時代に来日し槍や穂高など日本の山々を歩き近代的な登山意識を

わが国にもたらし日本山岳会結成のきっかけをきずき、日本アルプスをヨーロッパに紹介した。




ウォルター・ウエストン碑 とプレート


ウエストン碑より更に上へと歩くとアルペンホテルを始め山荘やロッジが立ち並び

その背後には穂高連峰が見えるという素晴らしいロケーションで、一度はこちらで

ゆっくり逗留しながら山を見たいと思う気持ちがこみ上げてくる。






やがて上高地の中の上高地と言われる河童橋に到着。 こちらは穂高連峰のビューポイント。

こちらで皆さんに習って記念撮影。 どうやら天候も味方してくれて素晴らしい穂高が仰げた。




河童橋より望む穂高連峰





同 明神岳






同 焼岳




   
河童橋たもとの賑わい」

河童橋の賑わいをよそに、残雪が霜降り肉の様に残る穂高の山と新緑が繋がる風景を追って

しばし見とれる。 山々は夏に向かって更に雪を落とし岩肌を見せ夏姿に変わっていく。 

梅雨が明けるころには、ザックを背負った大勢のアルピニストの挑戦が始まることであろう。

山々は静かにそれを待っているようだ!! あ〜 上高地、この世のパラダイス〜 ♪♪




奥穂高





ジャンダルムと奥穂高











写真を撮り 五千尺ホテルの前で、ソフトクリームを家内たちが調達、そのおこぼれが来て

野外椅子に腰を下ろし口を癒す。 暫く休息して小梨平へと足を伸ばす。 

唐松林のキャンプ場は、まだキャンプ者は見かけない、学生風の若者達がバベキュウを盛んに

焼いていた。 キャンプ場を1周し、センターの食堂でロールケーキとコヒーで

一息いれる。 梓川を眺めながらのロールケーキが出来立てで暖かく、疲れた気持ちを

リフレッシュしてくれる。 山で、口のするものは、何れも美味い。

明神池までは少し時間不足、次回に繰越、今日は、これにて引き返すこととする。


上高地バスターミナルまでカラマツの林の道をぶらぶらと、途中、TVの中継車が新緑の

中継でもするのかスタッフが働いていた。 上高地バスターミナルにて4時30分発のシャトルバスで

平湯温泉までもと来た道を下る。 バスはガラガラでゆったりしたのも、こういう季節の特権だ。

ホテルに到着、外装の塗料が剥げどこか錆びれている。 値段が安いせいかスタッフが少ない様だ。


テェックインして、係りの女性が、別館の方に案内をしてくれる。 エレベータで3階へ上がり

3階で別館に渡って部屋は2階であった。 外装から部屋の心配をしたが、内部は新しく

充分な造りで安心できた。 どうやら西部大国と言われた全盛の時に買収でもした

ホテル(プリンス)の様だ。 外装はメンテナンスが届いていないが内部は充分である。

ふれこみでは三つの露天風呂が貸切で利用できると言うので、早速、入ることにする。




部屋から見える露天風呂の囲い


露天風呂は別館の一階にあり、部屋からは近くて花菖蒲の咲く岩の階段のアプローチを

進むとぷんぷんと温泉の匂いがただよい奥また右手に一個と左手に二個の風呂が並んでいた。

入り口は中から鍵が掛けられる様になっていた。 石灰分を含んでいるのか薄く濁った

青色をしていて大きな湯船、温度は41度と表示され、掛け流しである。


岩の湯床に身体を横たえ、草花や新緑に囲まれ空を眺めると梅雨時とは思えない秋を思わす

高い雲にツバメが乱舞し、6月の風が渡って行く。 大きな湯船を一人締めに実に気分が清々しく

素晴らしい湯である。 何といっても空いていて、結局、他の客は誰も来なかった。


一方、本館にある内湯の方は温度が高く熱くてゆっくり入れなかったそうだ。

6時になり夕食の案内があり、本館の食堂に行くと、正面に笠ヶ岳が見え

素晴らしい眺めである。 料理はふれ込みどおり飛騨牛をメインにした会席料理で

充分なものであった。  翌朝は隣の「宝の湯」に入ったが昨夜の「安房の湯」よりは

少しぬる目の湯であった。 朝も早くから相変わらずツバメの乱舞が朝もやの中に見られた。

朝食を済ませ今日は平湯大滝へと向かう。 ホテルから車ではごく近く大滝川を上ると、

広い大滝公園があり、足湯等も楽しめて、公園の一番奥に悠然と太い水筋を落としていた。 



大滝公園広場






平湯大滝

日本の滝100選にも選ばれている大瀑布で、幅6m落差64mあるそうだ。

それほどには見えないが、人と対比すると、その大きさが見えてくる。


武田信玄の家臣・山県昌景が飛騨攻めの時、峠超えの疲労と硫黄岳のガスにより疲弊し平湯大滝付近で

動けなくなり、一匹の白猿によって教えられた温泉につかって疲労を回復したという伝説がある。

大滝を終え、次は159線を高山市へと進む。 天気は今日も、どうやら曇ってはいるが

何とか持ちそうだ。  まず、車を市内の何処かに預けて見物ることにする。 そこで

158号線の鍛冶橋の袂にある市営かじ橋駐車場に預ける。 駐車場の小父さんが

見所は、まず橋を渡り対岸の朝市を見て、次いで日下部民芸館を見て桜山八幡宮の祭り屋台を見る。

その後は高山陣屋を見て、後は古い街並みで時間調節をすればよいと教えてくれた。



市内を流れる宮川、鍛冶橋より

言われたとおり鍛冶橋を渡って川沿いの宮川朝市の通りを北へ遡る。

やはりよく人が出ている。 売り子のお婆ちゃん達が声を掛けてくる。 食べ物屋が

多いようである。 男どもにはあまり興味はない。 ぶらぶらと市の外れまで行き右折すると

日下部民芸館の道路標識が見えた。 この通りは古民家が並ぶ古い街並みの一つである。



宮川朝市通り

前で奥さんと思しき人が話し込んでいた。 日下部家は天領時代幕府の御用商人として栄えた商家で、

明治12年に建築されたものだそうだ。 高級な基材を使った弁柄格子構えの重厚感あふれる町屋でである。

隣の吉島家と共に重文に指定された。



国の重要文化財に指定されている日下部民芸館

日下部家の前を通り貫け、右に折れると桜山八幡宮の参道に出る。

その先に大きな鳥居があり、いわずと知れた秋の高山祭りの神宮である。

応神天皇を主祭神とし、日本武尊命も祀られている。



桜山神宮拝殿

屋台会館はあまり興味なくパス、次の高山陣屋跡へ。 その前に小腹が空き、鍛冶橋傍の

「やよい蕎麦」が美味いと言うので、そちらで、蒸し暑いので「中華のざる蕎麦」を頼む。

こちらは中華と言っても、鰹だしのうどんの様な味付けで独特。


腹ごしらえをして、南へ下ると立派な赤松に囲まれた大きな敷地の中、門構えの高山陣屋がある。

元は、この地を治めた高山城主の金森氏の長屋跡であったが1692年、徳川幕府は直轄領とし

明治維新に至るまで177年25代の代官・郡代が派遣され幕府直轄領の政務を行ってきた。


現在、お役所・郡代役宅・御蔵が一棟あり全部を「高山陣屋」と呼んでいる。

維新後は地本官庁として利用され、昭和44年には飛騨県事務所が移転し、

現在は郡代役所を保存する為、県教育委員会が管理している。



大広間・大会議場

高山陣屋を見た後、朱塗りの中橋を渡ると右手は高山で一番賑わう古い街並み通り、外国人も目立ち、珍しく

ひだ牛の串焼きを売っていて、みたらし団子と同じ様に町屋の前の椅子に座り食べている 人も見かける。 

確かに、京都とは、一味変わった雰囲気をもった町屋街である。 この大勢の中に人力車がのんびりと

観光客を乗せ、説明をしながら時を忘れマイペースで進んでいく。 魅力的な店が多く、つい入ってみたくなる。

 その為か、古い町並みは多くの観光客でいっぱいだった。 これは地もとの人達が培って来た

文化力というか、素晴らしい想像力のなせるもので、今後も引き続き観光客の心を惹きつけ

上高地や奥飛騨温泉群とつながりリピーターを掴んで行くことであろう。

  
古い街並みの風景

高山の街も歩いてみると、想像していたより小さく感じた。 駐車場の小父さんに教えてもらった所を

見終わり、車を貰って帰途に着く。 名古屋に着く頃には5時半を廻っていた。 夕食を食べようと

回転寿司屋に寄ろうとしたが、店は電気が消え廃業か倒産でもしたようで真っ暗。

つい先日も回転寿司屋が廃業し、今月に入って2軒目。 厳しい世の中になったものだ。

小売までも不況で競争が激しく、大変なようだ。 それなのに政治は

国民の意思とは関係なく選挙もせず4人目の総理大臣への動きもある。 

気持のよい旅であったが最後に来て、いや〜な現実を見せ付けられることになった。


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