猿投山登山
09.6.6

孫達に誘われ、愛知万博で有名になった「海上の森」のある愛知高原国定公園内の猿投山に登ることにした。

豊田市と瀬戸市との境一帯に広がる原始林の中に、こんもりとそびえる山で古くから地元の人たちの信仰の山でもある。 

前日に厳しい雨が降り、決行は無理かな? と思っていた矢先、孫娘より ”明日、山登りするよ”と、電話が入り、

登山決行となる。  この様子では、明日は足元がぬかるみ山登りは大変だと思ったが、孫達の勢いに押され

出かけることになる。  豊田市猿投町を走る県道349号線沿いにある猿投神社で孫達とは落ち会うこととした。


 当日、孫達は元気な顔で、”お爺ちゃん来たか” と元気に迎えてくれた。


近頃は孫と逢うたびに元気を貰っていて、家族と言うものが生きる為に如何に重要な役割を

果たしているかを痛感する。 祖父母、父母、子供、孫 夫々が互いに影響をうけ合い

豊かな人生を覚える。社会においても同じ様に人々が互いに助け合って生きていることを自覚しないと、

住みよい社会はできそうにない。 そんなことを思いながら猿投神社から北へ向かう猿投川沿の道を

入ると登山者用駐車場が左手に見え、既に車がいっぱい、ぎりぎりのところで駐車ができた。

もう少し遅れれば駐車できなかったところ。 やはり今日は土曜日で客が多いようだ。

皆さん登山姿でストレッチをはじめたり、思い思いに山登りへの気分が高まっている様だ。




                    猿 投 山

  猿投山は景行天皇の子、大碓皇子(おおうすのみこ)が、ここで  

  毒蛇にかまれて亡くなられた為に陵墓が設けられ、陵墓の地域は
  
  宮内庁の管理地となっている。 猿投神社は御霊が祀られている。

  猿投山は巨石が多く「菊石]と呼ばれる球状花崗岩は天然記念物
 
  に指定されている。 山麓には猿投窯と言われる日本で最大級の

  古墳時代の古窯跡群も残っている。


     猿投山の標高は629mあり、

     猿投神社より御門杉まで1.6km 

     御門杉より展望台分岐点まで1.5km

     展望台分岐点より東の宮まで1km

     東の宮より猿投山頂上まで0.9km

     頂上までの行程は5.0kmである。
  






猿投神社・拝殿




登山者用駐車場の猿投山案内図


駐車場を出発し舗装された道を孫達と歩く、孫どもは前へ行ったり後ろへ遅れたり子犬のように進んでいく。

  やがて30分、登山口の標識が出ている。 道は森に覆われ天気は曇り光はあまり差し込まない暗い道のり

昨日の雨で湿度は100%に近いレベルに達しているのであろう。

 むしょうに蒸し暑く、つい水筒に口をつける。 「月の輪熊に注意」の標識もあり、

森の様子からさもあろうと想像できる。 そう言えば熊避けの鈴をつけた登山者も見受ける。


丁度、道が二つに別れ左は西コース、右は東コース、その分れ目に御門杉と言われる幹の別れた

大きな杉が伸びている。 我々は傾斜の緩やかな東コースをとる。 帰りは西コースより下りる予定。

道も急となり、呼吸が弾む。 しかし、孫達は相変われず身軽で余裕綽々。

何処で採ったのか? ”お爺ちゃん、これイチゴ!” と持ってきた。

それは「蛇イチゴ」食べると死ぬよ!と言ったが、 ”うそー” と一蹴された。


やがて右手にトロミル水車小屋が見えてきた。









蛇イチゴ






トロミル水車小屋


猿投山山麓では古墳時代から須恵器が焼かれ、これらが後の瀬戸焼となったり

南では常滑焼などに発展して行ったと言われ、このトロミル水車はその陶磁器のキジを作る

ための水力による土の粉砕機である。 昔は木造のものであった。


やがて視界が広がり藤岡町らしき山麓の町が薄靄の中にみえて来る。



大きな岩のある道









山麓の町・藤岡辺りか?


更に歩き1時間をすぎ汗もびっしょり、身体も消耗、脈は速くなり孫達が声を掛けてくれるが、

返事をするのも億劫になる。 傾斜が厳しくなりセメントつくりの木材風の階段が設けられた

展望台への登り口に着く。  これから展望台までは600mの整備された自然観察路。

喘ぎながら階段を登って行くと、やがて目前に小屋が見え、孫たちは、

お先に登っていて、こちらを、覗き ”がんばって!”と声援を呉れるが、

こちらは足が進まず、やっとの思い展望小屋に到着。



東屋風の展望台小屋

展望台小屋では遠望をするが生憎の靄で名古屋も豊田も見れない。 クッキーをほおばり一息入れて

元の道へと階段を降りて行く。 帰りはやはり下り道、ずいぶん楽で息抜きができる。


 本道に戻るとパンツ姿の運動選手が、すいすいと走って上っていく。 流石アスリート達の

体力の凄さを見せつけられる。 やがて道が広くなり「東の宮」の鳥居前に出る。

山にはトイレが少なく、こちらで用を済ませて次に備える。



東の宮参道の鳥居





遊歩道案内図

鳥居前より東の宮・社殿までは約1kmの不規則な階段を登ること30分と言うことだったが

我々は時間オバーで到着する。 参拝をしてホッと落ち着く。 

辺りでは鶯の鳴き声が清々しく聞こえてくる。 東の宮と西の宮は猿投神社の分社であり

東の宮は皇太子の居所、西ノ宮は同妃の居所とされている。



東の宮・社殿

遷宮時の為か社殿前に土台石のおかれた敷地が準備されていた。


休憩をして尾根道に出る。 明るい尾根道を進むと大きな岩石

実は「カエル石」と言うそうだ。 鯨の頭のように見えたが、孫達は盛んに目玉を擦っていた。


 やがて平坦な尾根道の先にベンチが見えた。

ついに猿投山頂上に到着である。 8時45分に登り始め11時25分到着。

所要時間 2時間40分。 変化のある行程ではあったが、鬱蒼とした印象が強い。

疲れのせいもあろう。 天気がよければ、もう少し感じも変わるのかな?



社殿敷地





カエル石





はぐれ鳥 疲れきった筆者、 





山頂標識

頂上のベンチで昼飯のサンドイッチをとり、どうにか生きがえり午後の下りに備える。

午後は西コースで下りる。 東の宮鳥居まで戻り自然観察分岐路に入り、

日当たりのよい道を進むと道脇に大きな棺石の様な岩が二つ横たわっている。

孫たちは好奇心旺盛、直ぐ身軽に駆け上がり、岩の上より下を見下ろす。

この岩は御船岩(おふないし)と言われ祭神である大碓命が乗っていた船が、

石になったと伝えられ、古墳時代には、よくでてくる船の話である。


御船岩をちらりと覗き横を通って西の宮へと進むと、珍しく頭まで届く完全装備の

ザックを背負った女性が急な坂道を登ってくる。 ”キャンプをされるんですか”と訊ねると、

” いや、槍に登る為にトレーニングをしているんです”と仰る。 中身はペットボトルの水だそうだ。

凄い体力である。 地もとの登山家は、この西コースをよく練習に使うそうだが。

やはり、気持ちよく山を登ろうとすれば、万全をきした準備が必要なのも頷ける。

お互いエールを送って別れる。





帰りは下り坂、滑らないように足を運ぶ。 道の右手に城跡の様な石垣が林の中に見え

それを伝って急な階段を下りて行くと、周囲は柵がなされ宮内庁管理地とされていた。

そこにあったのは「大碓皇子の陵墓」である。

 やはり皇族の墓らしい鳥居としめ縄の素朴な構えである。 



大碓皇子の陵墓

大碓命は景行天皇の第一皇子で日本武尊とは双子と言われ日本書紀によると、

天皇よりの蝦夷征伐の命を恐れて逃げた為、美濃国に封ぜられた。

後に、こちらの開拓に尽くし、猿投山に登る中途、蛇毒に噛まれ亡くなったという。

麓の猿投神社には主祭神として祀られている。



西の宮・社殿

西の宮へは約1km、1時間程で到着した。  こちらは大碓命のお妃の居所だそうだ。

西の宮を参拝し下ることにするが、西ノ宮の登山口まで来て、息子が ”帰りは猿投川コースより

広沢川渓流の猿投七滝遊歩道を下りる方が面白そう”と言い出し、急遽コース変更する。

しかし、このコースは6kmと長く、後で孫娘の不評を買うこととなる。


こちらのコースへ入ると1日がかりと言われ天然記念物・球状花岡岩の菊石や、七つの滝も

見られて見どころも多いが、コースは大きく西側にそれ猿投川と平行して流れる広沢川の渓流を下る。




まず「二つ釜の滝」へ整備された遊歩道を降りる。

小さな滝であるが大きな花崗岩の岩盤に長年の時を経て水により

岩は削られ溝ができて水路となっている。 新緑と水しぶき整備された回廊、美しい渓谷美である。 

特にこちらの花崗岩は、美しく渓谷を形づくっている。

遊歩道は渓流を向こう岸に渡って、また戻ると言った具合に繰り返し、渓谷を縫って下っ行く。

体力のある者にはすばらしいコースである。 但し足元に注意しないと滑って転ぶことになる。



上から見た二つ釜の滝、 流れが二筋に分かれている





二つ釜の滝、孫ども





舗装道路より見た渓谷





苔むした遊歩道





球状花崗岩の渓谷底の様


最初は渓谷を上ったり下ったりして来たが、皆疲れたのか渓谷から舗装道路へ

上がろうとすると、蛇が現れた。 孫たちは ”毒蛇じゃないね” とおっかなびっくりで蛇に近づく。

猿投神社の神さんは毒蛇に噛まれて亡くなったと言うと、神妙にして眺めていた。

この後、金網に囲まれた菊石と言われる球状花崗岩の渓谷床を見るが、水が流れているし

菊の文様は鮮明には確認できなかったが、丸みを持った表面が印象に残っている。

この一帯は天然記念物に指定され金網で保護されていた。





後は林道へ上がる。 やはり岩場をあるくよりは随分、楽である。

しかし、渓谷美は横目に時々木々の合間に覗くと言ったところ、やがて武田道登山口にでる。

もう山は下り切ったようだ、地もとの民家も見え里に出た。 下の孫娘が疲れたのか ”何時着くの?”

とぐずりだした。 さもありなん。 朝の8時45分から歩き7時間になる。 クッキーを食べないかと言っても

振り向きもせず母親にべったりと、すっかり甘えの態勢。  ぐずぐず言いながら、それでも県道に出る。

県道を左へ猿投神社に向かうが一向に見えてこない。 東海環状自動車道の高架を潜って漸く神社の屋根が見えた。

孫娘のぐずりも益々ひどくなるり、遂に母親の背に捕まってしまった。 息子が気を使って駐車場まで車を取りに

我々は、これでやっと苦痛から開放され、猿投神社で車を待つことになる。

やはり、大黒柱は大変だ!  皆ども息子に感謝! 

これで、猿投山登山1日コースのお仕舞い。



駐車場へ向かう息子


終わりに

やはり戸外に出て体を動かすと体は疲れるが、運動によるけだるい疲労感が気持ちがよい。

近頃は増加をたどるメタポ症候群の予防や中高齢者の増加による健康への関心、環境意識など

ロハスな(健康と持続可能性の若しくはこれを重視するライフスタイル)生活意識が普及し、

登山が盛んになり、特に中高齢者の登山者が増え事故も増えているようだ。

こちらも、やはりその中の一人で、そんな中、比較的安全で危険性も少ない猿投山への

孫達一家との登山は、心身両面に快く、こんな近場に楽しい一日があるとは・・・

灯台下暗し! これから、もっと身近に転がる宝を求め、近場の山を見直してみたいものだ。


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