遠州・加茂花菖蒲園
06,5.31
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二の丸美術館を見終わり、「功名ヶ辻」も、これから信長が討たれ、
愈々秀吉の天下統一へと進み、その中で掛川城もT.Vに出て来ることであろう。
そんな場面を期待しながら車は、県道40号線を北上して行く。
原谷橋まで来ると、案内板があり、それに沿って進むと、
大きな駐車場に入り込んだ。 掛川城より15・6分掛かった様だ。
少し時期が早かったのか、駐車場はがら空きで、ゆったりしたもの。
反面、花は咲いているのか? 少し心配になって来た。
木戸にて入園料を払う、駐車料ともで1000円/人
菖蒲園入り口
純日本風の入口を中に入ると、心配する事はなかった。
広ろ〜い池の様な湿地に花菖蒲は勿論、睡蓮まで咲いていた。
湿地の右手には長く続いた棟屋があり、ベンチや椅子が置かれ、花見客が、
くつろぎながら、お喋りをしたり、スケッチをしたり、花を楽しんでいた。
左手には、古い白壁の続く武家屋敷風の建物が見えていて、
昔に戻った様な長閑な山里の風景である。
案内によると、こちらは掛川市の北部、1ヘクタールの広さを持つ花菖蒲園で
原里の山の麓に、江戸中期に建てられた加茂家の庄屋屋敷だそうで、
戦後の農地改革で50町歩の農地を失い、家計維持が厳しくなり、
昭和30頃より始めた花菖蒲園が今日に至って実を結んだと言う。
加茂家は桃山時代からの庄屋で、浜松城主であった徳川家康よりの書状を初め、
江戸時代の古文書も多数蔵し、加茂家文書としても知られている。
江戸中期には小作地も増え、末期には、旧桑地村一の地主となり、
掛川藩から地方御用達の金融機関にも指定されていた。
その為、幕末頃には掛川藩に対する貸付けが嵩み、
明治に藩政が廃止されると、多くの貸し倒れが発生したと言われている。
現在の建物は長屋門、母屋、厩、納屋は安永(1773年)の建築で
蔵は安政の地震後、明治になって建て替えられたと言われる。
先ず、屋敷から見ることにする。 東の長屋門より屋敷に入る。
長屋門は鬱蒼とした緑に包まれて、静かに佇んでいて、実に風格がある。
中に入ると、母屋があり、この部屋で往時は一家が食事をしていた。
梁やら柱の基材が立派で、建具や置物も、掛川城御殿より立派に見える。
かなりの大店といった感じ.。
部屋の障子の外には大きな庭があり、池には沢山の鴨や黒鳥までいた。
水が豊かな土地柄なのか池は大きく菖蒲園までつながているようだ。
池に遊ぶ鴨達、先に白壁の土蔵が見える。
池の島の上には、オシドリもいて、木漏れ日で、羽を休めている様子。
東屋が庭に張り出し、此方からの庭の眺めも、又格別。
なまこ壁の白い土蔵に「あやめ」が良く似合う。
花菖蒲園も各地にあるが、こういう江戸時代の屋敷を背景にした風情は珍しい。
花菖蒲園内には遊歩道あり、池には板木の道が設けられ、自由に入れる様になっている。
これより、遊歩道をたどって散策とする。
花菖蒲は赤、青、紫、白・・・1500種100万株があるそうだ。
最盛期には未だ少し間があるそうだ.。
長屋門前
これより睡蓮池へ
菖蒲園を見終わり、帰りかけると、木戸のおばさんが、”温室は見られましたか”
と訊ねるので、”まだ” と答えると、”是非、観ていって下さい”という。
入口の横の廊下を入ると、艶やかな花の温室が広がっていた。
菖蒲園とは異なり、こちらは紅の世界、中には休憩できる白いテーブルがあり、
赤い花の中で一際目だって見える。 疲れた時には有難い場所でもある。
天上からはベコニアやブーゲンビリアなどの花が下がり、
12・3cmもあろうべコニヤの花がさいている。
他にも知らない花がいっぱい置かれていた。
温室の中程に鸚鵡がいて、置物かと思っていたら生きているのに驚いた。
まさか放し飼いをしているとは・・・・
ベコニア
ベコニア
カーパス
温室を一通り見終わり、白いテーブルで一服する。
家内が温室の売店の子にソフトクリームを注文する。
ソフトクリームを食べながら、女の子に、花の名前を訊ねると、
一生懸命資料を調べて呉れて、「カーパス」と教えてくれた。
ちょっと訊ねたつもりが、大げさになってしまって、何か申し訳ない気がした。
”そろそろ引き上げるとするか”と家内に言うと、トイレに行きたいと言うので、
”それでは外で待っているから”と、待てども待てども、一向に顔をみせない。
とうとう痺れを切らし、木戸のおばさんに断り、菖蒲園を捜すが見つからない。
温室に戻って白いテーブルを見ると、なんと一人居るではないか。
途端に口論となり、 ”外で待つ”と言ったのに!
”いや、ここで待つ”と言った! 言った言わないの水掛け論。
お互い記憶力の鈍った二人。 真相は藪の中??
すっきりしない気持ちで帰路につく。
つづく MENU