秋立つ穂高涸沢カール2
06.8.25


夕べは興奮していたのか、良く眠れなかった。  3時頃トイレに起きると濃紺の

空に満天の星が煌き、久しぶりに見る空に子供の頃を思い出す。


夏空も、冬空もこんな星が出ていたけれど、やがて山に来ても、こう言った空

が見られなくなるのかもしれない。 中国の空気汚染は急激に進んでいると言う。

 日本は、その経験を惜しまず、協力の必要があるのだろう。


ベッドに戻り、うつうつと、したかと思ったら、隣の大学生さんとお連れの

オバさんが、ヘッドランプをつけて暗い内から出ていった。 

それにつられ時計を見ると、はや5時、朝の山を見る為、

こちらも、ごそごそと、起きる。

ヒュッテの部屋

テラスに出て見ると空気が冷んやりして身が引きしまる。 12・3度だろうか?


ここ涸沢カールは、穂高連峰の東に広がる日本でも規模の大きいものである。

カールとは、氷河により侵食され彫られて出来た地形を意味する。

此方は景観の美しさから登山者達にも愛され、登山の基地としても名を知られている。


 前穂高の北尾根の端にある屏風の頭から始り、前穂高、それにつながる

主峰奥穂高へと結ぶ吊尾根。 続いて奥穂高から支稜のザイテングラード

を挟んで涸沢岳、北穂高の峰へと繋がった馬蹄形にかこまれた地域で、

夏でも多くの雪渓を残し、秋にはナナカマドやダケカンバで彩られた

紅葉風景は日本アルプスでも随一と言われている。


俗に穂高と呼ばれる山々は、主峰の奥穂高、標高3190m日本第三位

を中心に、涸沢岳3110m、北穂高3106m、前穂高3090m、西穂高2909m

を言い、アルピニストにも人気の高い山々である。


テラスには、もう大方の人達が出ていて、夫々の思いで朝焼けのドラマの

始まりを待っていた。  やがてヒュッテの東の空から切って落とされ、 

朝焼けの空に屏風頭のシルエットか浮かび上がる。

暫らくすると西側の穂高連峰のモルゲンロート(朝焼け)が始り、時間と共に

その色合を刻々と映り変えて行く。
屏風の頭の朝



前穂と奥穂の吊尾根 第一幕



同 第二幕



主峰・奥穂高岳のモルゲンロート 第一幕



同 第二幕



同 第三幕



左涸沢槍、右北穂高 第一幕



同 第二幕




同 第三幕



涸沢岳 第一幕



同 第二幕




同 第三幕


穂高の朝の幕開けを見届け、ヒュッテに戻る。 顔を洗って食堂に行くと

皆さん食事をして、夫々、目的があるのか、慌しく出て行く。 山男達は

夜も早いが、朝も早い。  それじゃあと、こちらも一寸、急いで食事をする。

朝食は和風、味噌汁に焼海苔、卵焼き、粕漬けの鱈の焼物と言った

普通の朝食、昨夜よりは食欲も出てきたが、卵焼きは残してしまった。

昼弁当が必要で、ウエイターに頼むと、”もう売りきれました”と言う。

何とかできないかと、お願いすると、調理場へ確認に入っていった。

戻ってくると、”20分ぐらい掛りますが、宜しいか”と言う。

昼飯抜きにも出来ず、待つことにする。 やがてフロントから

連絡があり、”弁当が出来たから、来てください”、という。

フロントで金千円を払って弁当を貰う。 ついでに杖があると楽だと

思い訊ねてみると、直ぐにフロントの女性が持って来てくれた。

一本500円と言うので、昨日、聞いたオジさんのアドバイスを思い出し

二本借りることにする。 女性から”返却はバスセンターにして下さい”と

念を押される。 未返却が多いのか? それとも信用していないのか?

どちらとも解らずヒュッテを出る。 時刻は7時半、時間もあるので、

穂高岳山荘に向け出発! 穂高山荘へは、先ず涸沢小屋へ行き、

それから登りになる。 行程は約三時間の予定。

前の涸沢小屋へは、直ぐ傍に見えるが、涸沢カールのテント村を通り

15分程掛かかった。 昨日のヒュッテ前の雪渓では、息が上がって

前に足がよく出なかったが、一晩泊って、身体も慣れ、

高度順化が出来たのか、今日は調子が良さそう。


涸沢ヒュッテから涸沢小屋への道

涸沢小屋の右手から小屋のテラスを通り抜けると、ナナカマドが茂る

大きな岩のガレ場の急勾配の道となる。 昨日はヒュッテへの到着を焦って

ペースが速くなり失敗したので、今日は、杖を頼りに、1歩1歩マイペースで、

歳、相応に、ゆっくり登ることにする。


やがて、朝早く穂高山荘を出て来た人達が、次ぎから次ぎ下りて来る。

こんちわ!、こんちわ! と挨拶が続く。 ぼちぼち疲れてきて、立ち休み。

足元ばかり見て登っている為か、顔を起こした瞬間、頭がぼーとする。

やはり空気が薄い! 脳が酸欠の様だ。 もう少しゆっくり行こう。


下を見ると、昨夜、泊ったヒュッテやテントが小さく見えていた。


上から見る涸沢ヒュッテ

道の広がった所で、一服していると、中年のオバさんの二人連れが

下りて来て、横に腰を下ろす。  一人のオバさんが頭に包帯をしていた。

訊ねると、穂高で足を滑らせて転び、手を着いた所が岩の間だった為、頭を

打ってしまったと言う。 中高年の登山者の事故が多いと言うが、さもあらん、

と思うことしきり。 因みにケガのオバさんは今日、横尾山荘で泊る予定で、

歳は昭和18年の生まれと言っていたが、足元おぼつかなく降りて行った。

  やはり、ある程度、足腰が確りしていないと、風に振られたり、

浮石でふらついたりした時など、危険である。

こちらも自分に言い聞かせ、先へと進む。  暫らく登るとナナカマドが

途切れ、視野が広がり、直ぐ上に涸沢槍が見え、穂高の山々が迫って来た。

その目の醒める様な美しさと、自然の造形の素晴らしさに、我を忘れる。


涸沢槍



前穂高の北壁

暫らく休み、更に登ると、膝が痛くなる。 登るか、戻るか、どうするか? 

丁度、ザイテングラード(支稜)へ入る道の所で、これからが更に険しく

なるので、ここは残念であるが身の程をわきまえ、引き返す事にする。


ザイテングラードに迫るクライマー達



奥穂高の岩稜

下りかかると、後から、”どうされました” と声があり、振り向くと

初老の男性が降りて来た。 こちらの状態を告げると、”少し休ませた

方がいいです”と言って、一緒に休む事になる。 彼が言うには疲労から

来ているから、休ますと軽いものであれば、かなり楽になると言う。

彼は羽曳野市から一人で来たらしく、大阪梅田から直通バスで上高地まで

来て、1日で穂高山荘まで登ったと言われる。 若い頃にはよく登ったらしく

今回は久しぶり、会社の都合がついたので、出て来たらしい。


やはり、体力の衰え(59才)を感じさせられたと仰る。 

今日は直通バスの出発までに上高地まで、降りるそうだ。

甘いものを食べると良いと言って、チョコレートを差し出す。

「自分も持ってますから」と断わるが、どうぞどうぞと。

それではと、戴くことにする。  チョコレートを戴き休憩する。


5分程休み、二本の杖を支えに、そろ、そろ降りることにする。

やはり、二本の杖は大正解、即、効果を発揮する。

昨日、出会ったオジさんに感謝する。

羽曳野のオジさんに、遅いので先に行ってもらう。

健脚で、あっという間に降りていった。


奥穂高の岩峰

膝は曲げる時に少し傷むが、休んだのが効いたのか、何とか行けそう。

奥穂を右にして、杖のつき所を確かめ、腕に出来るだけ頼り、足を運ぶ。

後からの人に、どんどん追い抜かれるが、ここは歳の功で忍耐強く道を譲る。

時計を見ると9時を差している。 後、僅かで涸沢小屋、もう、ひと踏ん張り。



岩場を降りる登山者


岩から岩を踏みしめ、涸沢小屋に到着。  小屋のテラスでは大勢の

山男や山女が、朝の太陽を浴び、くつろいでいる。 おでんを食べる人、

ソフトクリームを頬張る人、昼寝をする人、地図を見てルートを探す人

等々、実に穏やかな風景である。 登山者が山に惹かれる心は山の頂に

立つ開放感もあろうが、こうした雰囲気に浸れることも一つであろう。


休息の人達の中に、羽曳野のオジさんを発見、や〜!と、古くからの

友人に逢った様に近づく。  「膝は如何ですか」と問われる。

「まあ、まあ、何とかなりそうです」と答えると、安心された様に

「昼には、まだ早いし小腹が空いたので」と、ソフトクリームを舐めていた。

こちらも、仲間入りしてソフトクリームを食べる。


ここからは前穂の北尾根が素晴らしく、行き掛けの様子とは、

様変りして明るく輝いている。 暫らく休み、彼とは別れ、先に出かける。

涸沢小屋テラスより望む前穂北尾根

氷河に削られたレキで埋まった谷を歩き、ヒュッテへの分岐点へと進む。

後を振り返る度に、小屋が小さく遠のいて行く。


レキに埋まった涸沢と遠のく山小屋



山小屋も見えなくなった穂高連峰

漸く、ヒュッテの分岐点を過ぎ、涸沢の雪渓尻に合流する。  往きとは違い

温度も上がって、雪渓を渡る風は心地よい。  膝の傷みも落着き

この分だと何とか行きそうだ。


涸沢の雪渓



穂高の山々も裾から見えなくなって行く

涸沢谷に沿い、更に降りる。  これからは穂高連峰の華麗な雄姿も

裾から見えなくなって行く。  やがて涸沢の谷は横尾本谷と合流し、

大きく右にカーブする。 屏風岩を迂回し、本谷橋へと進む。

往きの様子からすれば、帰りは簡単と思ったが、意外に遠く

往きと同じぐらいの時間を要し、本谷橋に到着。

丁度、昼の時間でもあり、大勢の登山者が寛いでいた。

こちらも仲間に入れてもらい、ヒュッテで貰った弁当を広げる。

山での夕食に比べ、御飯の量が多く、登山者の体調を良く考えて

作って呉れている様だ。  胡麻の振りかけられた御飯を

菜っ葉の漬物で、よく噛んで食べると、実に味がある。

終戦直後、食糧難の時期、梅干で白い飯を食べた時の様だ。

食後、清流で顔を洗い、身体を拭くと爽快な気分となり、疲れもとれる。


本谷橋で寛ぐ登山者達

さー 出発だ。 吊り橋を渡り、横尾谷を右にして針葉樹林帯を進み

一気に横尾大橋まで降りる。 横尾山荘で水を補給していると、羽曳野の

オジさんが追いついて来た。 彼は、やーと言って、バスに間に合わないから

失礼しますと、慌てていった。 彼とも別れ、こちらは急ぐ事もなく腰を上げる。


今までは、足元が悪く下ばかり見て歩いて来たが、平坦な遊歩道となり、

顔を上げて歩けることが、こんなに気持が良いものかと、感じる。

普段は当たり前に思っている事が、出来なくなって初めて気付かされる。

物事って確かに表裏があり、裏を知って初めて表の意味が解るってことか。


本谷橋から横尾橋まで調子に乗りすぎた為か、又、膝が痛みだし、

今度は蹴りが効かなくなり、踵で歩くような感じ、そんな不恰好な姿で

徳沢を過ぎ、明神を経て小梨平に入ると、テントから14・5才位の女の子が

こちらの不恰好さを見ていたのか、眼が合うと「こんにちわ」と笑顔で言う。

こちらは、まさか挨拶されるとも思わず、慌てて「こんちわ」と返す。

何時の間にか、爽やかな気持になる.。  

そう言えば、登山道では、出会った相手に、お互い挨拶を交わす。 又、

身も知らずの人に、何故か心安く話掛けが出来、実に良い人間関係である。

 そう言った様子を子供達も見て習って行くのであろう。  街場では

知らない子供から、又、大人から滅多に、挨拶をされる事はない。

時間に追われ、競争に迫られ、気持がイライラした人達が、その環境

から逃れ、山の自然の懐に入ると、こうも穏やかな心になる。

不思議なものである。  勿論、お互い同じ「山を楽しむ」と言う

一つの目的を持った者同志の安心感からもあろう。 


山は傲慢と甘えには厳しいが、謙虚さには寛容だと言われる。

 何んにしろ、思いっきり汗をかき、新鮮な空気を吸い、

雄大な自然に身を委ねると、こうも気持が良くなる。

 自然は何も言わないが、いつも何かを教えてくれる。


そんなことを思いながら、何時しか上高地バスセンターに到着していた。

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