秋立つ穂高・涸沢カール

06・8・24〜8・25



此処のところ、毎日暑い日が続く。

家内に、何処か涼しい所へでも出かけるか? と声をかけるが、

” この暑いのに!” と一向に乗ってこない。  歩喜人の気持は納さまらず、

それではと、地図と睨めっこ! 一人で行く所を探す。 

暑い時には、いっそのこと汗でもかくか、と山行きにする。

  行き先は「穂高の涸沢」に決まった。  標高2400m涼しいだろうな・・・

早速、ネットで天気を調べると、まずまずの様子。

翌早朝、善は急げとばかり、東名・名古屋より中央高速経由上高地へと向かう。

中津川インターで下り19号をひた走り、木祖村より奈川木祖線を沢渡(さわんど)へと進む。

   沢渡大橋に10時過ぎに着くと、駐車場のおばちゃんが呼び込みをしている。

上高地へはマイカーの乗り入れが禁止されている為、ここで車を預け、

ピストンバスに乗り換える。 バスは10分毎に出ていて、車を預けると、直ぐに発車。

  渓流沿いに走り、釜トンネルを抜けると、渓流がざーざーと音をたて、

焼岳が真上に顔を出す。  更に渓流を遡ると、やがて、

視野が広がり真上に見えた焼岳が全貌をあらわす。



焼 岳


続いて大正池が見え、その先に穂高連峰が白い雲を従え青く輝く。



大正池より穂高連峰を望む


一瞬の感動の後、バスは田代池を貫け、帝国ホテル前を通過して上高地ターミナルに着く。

早速、案内書へ行き、ヒュッテの予約を頼むと、斡旋はしてない、と言う。

しょうがなく、涸沢ヒュッテに電話を入れ、様子を聞くと、”17時頃位はヘッドランプ無しでも

登って来られるお客さんもいるから、気をつけて来て下さい” と言われる。

OK!と即返事、10時45分出発。   もう心は涸沢へ!



日程とルート

ルート距離  16Km                           

8月24日 上高地バスセンター 10時40分着   10時45分出発

       河童橋経由明神   11時30分着    11時30分出発

         徳沢         12時30分着    12時40分出発

         横尾大橋       13時40分着    14時00分出発 

          本谷橋         15時10分着    15時20分出発  

涸沢ヒュッテ     17時40分着            

8月25日 涸沢ヒュッテ    7時00分発                                

ザイテングラード下 8時30分着発     

        涸沢小屋     9時30分着      9時40分出発

           本谷橋      11時50分着     12時20分出発    

          横尾大橋    13時30分着      13時50分出発

          徳沢       14時50分着      14時50分出発

          明神       16時10分着      16時10分出発

バスセンタ−  17時10分着               


上高地・穂高連峰周辺図





バスセンターより河童橋へは直ぐに到着、盆が過ぎたと言うのに結構人が多い。

やはり、今年の暑さを逃れてのことであろう? 一枚、写真をとり先へと進む。



河童橋の賑わい

陽が当たっているが、木陰の道に入ると、半袖では、少し寒く感じる。

暫らく歩けば、直ぐ暑くなろうと、そのまま着替えず、梓川沿いに歩いて行く。

穂高連峰が更に迫力を増し、迫ってくる。

残念ながら、さっき迄見えていた稜線が、こちらでは雲に覆われてしまった。



梓川と穂高連峰


朝の唐松林の木漏れ日の中、新鮮な空気を体に感じて歩くのは、心地よい。

何時の間にか、小梨平のキャンプ場に入る。

赤や黄色等、色とりどりのテントが張られ、タオルやシャツ等が干され

テント生活の様子が伝わってくる。



小梨平を行く登山者達

30分ほど歩いた所で、風穴を発見した。  これは先だってNHK・TV朝の番組「生活ホット」で

女優の市毛良枝が「上高地の散策」の中で風穴の紹介をしていた、その場所である。


風穴の横に赤ペンキで44と数字が記されていたのを思い出し、気が付いた。



44印の風穴 岩の割れ目から13度の冷たい風が吹き出している。



通り掛かりの女の子に教えてあげると、怪訝そうな顔をしていたが、

納得できたのか、こちらを見て、笑顔で、 すごい!!

* 興味のある方は明神館への道の右側を見て行けば直ぐ見つかります。

顔の汗は直ぐとれること請負ます。

やがて予想よりも早く明神岳が鋭い尖峰を現す。



明神岳

高揚している気持ちの為か、予定よりも早く明神館に着く。

山荘の前では大勢の登山者が休憩をしていて、今、山を下りて来たのか寝ている人もいた。




明神館前の登山者

ここより梓川を渡った所に明神池があり、傍に安曇野の穂高神社の奥宮がある。

こちらの御祭神は穂高見神と言われ、神武天皇の叔父君にあたると伝えられている。

以前に、明神池に来た時に、澄んだ水の中に岩魚がいて、子供達が捕まえる と

興奮していたのが思い出される。



明神連峰

明神を出ると、上高地散策の人たちは、すっかり少なくなり、登山者が主となる。

今年は豪雨が多かった為か、梓川が荒れていて、大きな岩や倒木がごろごろしている。

川原の横を貫けると、カラマツやシラビソの森林地帯に入り、熊笹がおい茂った所で

カメラを構えた人がいるので、何を撮っているのかと、見ると、日本猿が

真っ赤な顔をして、こちらを向いている。 目が合ってしまい、やばい、と思ったら、

カメラの人が、「此方の猿は人馴れしているので大丈夫です」と此方の気持ちを

見透かした様だった。  その一言で、一安心する。

よく見ると、付近に3匹もいた。
  一人だったらびっくり仰天のところ・・・

道は、緩やかな蛇行を繰り返し、樹林帯に入って行く。

一時間ほどで芝生の広場に出る。  

木陰にはテントがぱらぱらと張られ、山小屋らしい建物が見える。  

着いた所は徳沢だった。  此方のベンチで食事をとることにする。

握り飯とバナナをほうばる。



徳沢園

此方には以前牧場があったそうだ。 山荘は徳沢園と言って井上靖の小説、

「氷壁」に登場する山小屋である。  最近、NHKの土曜ドラマにもなっている。

* 
原作ではナイロンザイルが社会的に問われ有名となった。

主人公、魚津と友人小坂が冬の前穂高・東壁に挑戦、2人を繋いでいたザイルが切れ

友人の小坂が落ちて行く・・・・ ザイルの切れた原因の解明の展開に絡み

男の友情と男女の愛を描いた小説。



食事を済まし、次の横尾山荘へと出発。

今までは、平らで歩き良い遊歩道であったが、ここから険しくなり

登山道に変わり、 昇ったり下ったりしながらも、上がって行く。



明神と茶臼頭

樹林の切れ目から明神岳と茶臼頭が左手に見える。  だいぶ雲が出てきた様だ。

明日の天気を按じながら更に進むと、修復されたばかりの大きな崖崩れ現場に出る。

今年の集中豪雨で崩れたようだ。 

 かなり高い所から岩石が不安定に重なり見るからに落ちてきそう。

  「落石注意、急いで通過」の案内があり、えい!とばかり走って貫ける。

暫らく歩くとガレ場となり、其処を貫けると屏風の頭が梓川よりむっくりと聳え立っている。

だんだん登山の気分が盛り上がってくる。




屏風の頭

更に梓川に沿い遡ると、横尾大橋に到着。  

こちらは槍と涸沢の分岐点となって、真直ぐ進むと槍ヶ岳に進み、

横尾大橋を渡ると穂高涸沢方面となる。



横尾大橋バックは屏風の頭





橋の傍の横尾山荘

此方の標高は1615mとあり、目指す涸沢は更に800m程登ることになる。

少し休んで、本谷橋に向け出発する。

横尾大橋を渡ると、梓川を渡る風が身体の汗をさらって行き、実に心地よい。  



つり橋の横尾大橋

これで梓川ともお別れし、これからは横尾谷に沿って左へ大きくうねり、

道は険しくなり、登って行く。 シラビソやカラマツの倒木もあり荒れている


だんだんとカラマツ林の登山道に屏風岩が近づいて来る様だ。

この岩場でクライマーがロッククライミングをするそうだが、今は見えない。



屏風岩

熊笹の茂った道を登って行くと、ガレ場になった。

不規則にころばる岩の上を足場を選びながら一歩一歩登る。 

足場の悪さと勾配がきつくなった為か、汗が盛んに滲んで来る。



ガレ場の入口

左手に見えていた屏風岩の形が進むに従い姿を変えていく。

喉が渇きポカリスエットへの回数が増える。 飲めば軽くなって良い様なものだが、

もう途中には、水の調達場所がなく、節約をしなければと思う。



裏側からの屏風岩

漸く屏風岩の裏側が見えた頃、前に本谷橋の姿が見えた。  やったあ!

さすが、皆さんも疲れたのか、これから始まる2時間の急勾配の坂道に

備えて、谷間で休んでいる。 歩喜人も、最後の挑戦に、一服することにする。


 
本谷橋                 本谷橋下の横尾谷の登山者

チョコレートを食べ、10分程休む。   時計を見ると15時20分、さあー出発だ!

吊り橋を渡り、横尾谷を右に見ながら、涸沢に向かう。 

やはり、ガラ場の上り坂である。  ばてない様に、スピードを落とし、ゆっくりと登る。

谷よりだいぶ上がり、谷の姿は見えなくなったが、相変わらず瀬音だけが

ざあざあと聞こえて来る。  

3、40分樹林帯を登った所で疲れたので、腰掛け易い岩を見つけ其処で休憩する。

後にも先にも人影が見えないのが不思議なくらい。

どうやら、本谷橋で休んでいた人達は、山を下りてきた人達だった様だ。

 こちらが最後の登山者になってしまった。

休んでいると、60歳過ぎの男性が登って来て、”いいですか?” と横に座る。

”どちらからですか?”と訊ねると、”滋賀県から来ました” と言う。

”今夜はどちらに泊まるんですか”と聞かれ、”涸沢ヒュッテです” と答えると、

彼は ”涸沢小屋が改装したと言うので、其方にしました” と言う。

彼は会社をリタイヤして、彼方此方山に登っていると言う。

又、杖は2本持っていると、捻挫をしても何とか単独で下りられるので

そうすると良いと教えてくれた。

話が弾み、暗くなってもいけないと思い、お先に出発することにする。

暫らく登ると、雪渓を抱く穂高連峰が見えてくる。



穂高連峰

山の日暮れは早く、つい気持ちは焦るが、足が動かず、呼吸ばかりが早くなる。

後ろで声がするので、振り向くと、先程の滋賀県の彼が追いついて来た。

”お先にどうぞ”と言うと、”じゃあ”と言って、軽るがると抜いて行った。

余裕があるようだ。  彼の健脚が羨ましかった。



北穂高岳

こちらは歩けば歩くほど空気が薄くなった為か足が重くなり、前に出ない。

少し進んでは立ち休み、悪戦苦闘の末、やっと涸沢の道標を見つけ、ほっとする。

左・涸沢ヒュッテ、右・涸沢小屋となっていて、こちらは涸沢ヒュッテの方にコースをとる。

もう、すかり暗くなって来た。  行く先に、長い雪渓が横たわっている。



この写真は同じ場所を帰りに撮った。 雪渓、右手のこんもりしたナナカマドの林の奥にヒュッテはあった。


雪渓に出ると、渡って来る風が冷たく、汗びっしょりだった身体が寒くなり長袖を着込む。

雪渓につけられた足跡を頼りに一歩一歩進むが、足は滑るし、

よけい呼吸が苦しくなり、心臓はバク、バクして足が前に出ない。

酸素が薄く、酸素交換が巧く行かないのか、70年を過ぎても使っている

ポンコツの体が悪いのか? それにしても機械であれば、とっくに

取り換えているが、生身の身体、騙しだまし、もう暫らく使わなきゃしょうがない。

ザックまでが肩に食い込み、ヒュッテは一向に見えず、心細くなってきた。

間もなく雪渓も終りに近ずいた時、右手のナナカマドの林の方から

カラ、カラと音が聞こえて来た。 これは発電機の音に違いないと思い、

音の方向を見ると、ヒュッテの旗が見えた。  しめた!

動かない足を引きずって、階段をよじ登る。 ヒュテまで結構、階段が長く感じた。

ヒュッテの受付の女性に名前を告げると、” お疲れの様で、ベッドが空いていますが、

そちらにしますか? 千円ですが” と言うので、その部屋を頼む。

すぐ彼女は部屋を案内してくれて、

” 皆さん食事が終わっているので、すぐ食事をしてください” という。

部屋は「からまつ」二段ベッドが両側にある8人部屋、上段は全部空いていた。

相客は高年のおばさんと男の大学生、それに高年のおじさん。

挨拶を済ませ、食事に出る。 その前に、山を見ておこうと、外に出る。

黄昏の空に穂高のシルエットに薄暗い雲が移ろうのを、暫し眺め、

寒くなり、食堂へと駆け込む。


黄昏の穂高連峰

食堂には、中年の男女一組が隅のテーブルで話し込んでいた。

ウエイターが来て、食事を運んでくれた。 飲み物は生ビールを頼む。

料理はハンバーグと鰯のフライ、パスタとキャベツのマヨネ−ズあえと、トマト

それに漬物」と味噌汁。 疲れ過ぎたのか、食欲が沸いてこない。

しかし、汗をかいた為かビールだけは、実に美味い。

それでも、口当たりの良いトマトやパスタを食べ、ビールを飲んでいると

少しづつ疲れが取れ、食欲が出て来た。

ウエイターが早く仕舞いたい様子なので、早々に切り上げる。

帰り際、ウエイターが ”明日の朝食は5時半です
と言う。

やはり、全員一斉のようだ。


部屋に戻ると、皆さん明日の準備をしていた。

大学生の彼は大学院の教育学部にいて山岳部に所属していると言う。

現在、教育実習をしており、今回、連れの小母さんから誘われ、

東京から世話役でついて来ましたと言う。

その小母さんは67歳で現在八ヶ岳の別荘を基地として、あちこちの山を登り、

マキンレーにも登ったと言う。 今回は北穂高に行って来たそうだ。

道理で何処か山慣れした落ち着きを感じた。

もう一人のおじさんは、松本市に住んでいて、ちょくちょく此方に来るそうだ。

小屋の付近をぶらぶらして、明日帰るとのこと。


小母さんは明日早いからと、早々に、ベッドのカーテンを閉め床に着く。

我々も、明日に備え、9時の消灯で寝ることにした。


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