霊峰・木曽御嶽山登山・2
09.9.21〜9.22


どうやら小父さんたちの姿は見えず登りを諦めたようだ。 確かに明日の天気は期待できない雲行きだ。

少し上がると、道が別れ「三の池」と「頂上」の道標があり、我々は左の頂上への道を辿る。

すっかりガスが覆い視界がきかなくなってきた。 100mほどは見えるが、その先は霧の中。


激しい勢いで雲の流れが変化する。 岩場を登り、溶岩のガレ場を越えてひたすら頂上を目指す。


兄孫が頭が痛いと言い出した。 どうやら、高山病だ。 しかし、足の力はあり、もう少し

だから頑張れと励ます。 日も傾き気温が下がってきた。









岩場





ガレ場

やはり御嶽は活火山、硫黄の亜硫酸ガスの臭いが、時々漂ってくる。 やがて霧の晴間に頂上小屋が

シルエットをあらわす。 兄孫が「あれなに?」と聞く。 頂上小屋だと答えると、「わー!」と歓声。

もう後からは誰も登ってこない。 赤茶けた道を進むと四角い案内板が見え、右手に

万年雪を残した「二の池」が霧の中にエメラルド・グリーンの水面を見せる。

孫娘が二の池を見て「頂上に着いた!」と興奮する。 案内板を右に行くと

三の池方面、右は斜面を横切り、剣が峰の頂上方面へと道が伸びている。


頂上が近づき風が吹きだした。 急激に気温が下がって来る。

毛のシャツを着込み、手袋をはめるが寒くてしょうがない。 孫娘が寒いと泣き出した。

母親からフリースを着せられヤッケを羽織るが、疲労と寒さと酸素不足でへたり込む。

息子が早速、酸素ボンベをだして口に当ててやる。 兄孫も「僕も欲しい」と息子にねだる。




山頂小屋が見える。




左上山頂小屋





9合目上 案内板 右三の池方面、左頂上方面




左手斜面に残雪を残す二の池、池の右、二の池小屋


山頂小屋は直ぐ近くに見えたが、進むにつれ地形が変わり、見えなくなり

なかなか近づいて来ない。 するとまた、孫娘が動けないと、ぐずり出した。

 息子が酸素ボンベを与える。 兄孫も頭が痛いと言って、酸素ボンベを貰っていた。

 こちらまでも、足が重く頭がぼんやり、身体も冷えて酸素が欲しくなって来た。 しかし、

今回の目的は心臓の回復具合を確かめている身、喉から手が出るが、ここは我慢のしどころ。


 兄孫は酸素のお陰か先頭に出て平坦になった道をどんどん先に進み、とうとう霧の中に消えてしまう。 


呼べども返事がない。 心配になり後を追う。 登山道もなだらかになりピッチも上がる。

やがて霧に霞んだ先に山小屋が見えた。 兄孫の名前を呼ぶと返事があった。

「 こっち!!」

勇んで山小屋へ、やっと到着。 兄孫は寒いのに小屋の前でしゃがみ込み頭が痛いと

盛んに言っていた。 小屋の小父さんが、名前を聞いて「入りなさい」と言ってくれたが

もう直ぐ皆が来るのでと、断ったと言う。 早速、小屋に入り、板間にへたり込む。

山小屋の兄ちゃんが来て、「荷物だけ部屋へ運んでおきます」と、持って行ってくれる。


兄孫に「寒かったろう」と聞くと、「うん!」 と、一人では心細かったようだ。

一息入れて入り口のガラスから外を覗くと、やっと息子たちの姿が霧の中に見えた。



山小屋が見えなくなり、未だ先の様。 苦戦の一行





頂上付近に見る岩。




霧に包まれた山小屋の入り口


やっと、孫娘が憔悴しきった顔で到着した。 これで全員そろう。 

小屋はシルバーウイークで一杯の登山客、どうやら我々が最後の客の様だ。 早速

二階の個室に案内される。 小屋の兄ちゃんが、「ちょっと部屋が狭いですが、すいません。

梁が低いので頭を注意して下さい」と心配してくれる。

余程、頭をぶつける人が多いんだろうな〜 

(後ほど、やっぱり犠牲者が出た。 名誉のために名は隠そう)


「食事は何時しますか」と言うので、時計を見ると既に5時だった。 

余裕を持った行程と思ったが、すっかり遅れ、4時間半を要していた。

食事は6時にお願いすると、「こちらに、持ってあがります」と言う。 どうやら一階は宿泊客で

食事の場所がないようだ。 兄孫は頭が痛いと、布団をかぶって寝込んでしまった。

孫娘も、口数がなくなり、目はうつろで、ぐったりと横になっている。


疲れと高山病でかなりまいっているようだ。 やがて食事が運ばれて来る。 

大人どもはビールを頼む。 料理はマスの甘露煮、ゼンマイと蛍烏賊の和え物、漬物と梅干。

味噌汁とご飯はたっぷりとあった。 孫たちに食事と呼ぶが、食べたくないと言う。

小屋の兄ちゃんに訊ねると、「高山病なので、水を飲ませて頭痛薬を与えて下さい」

と言われる。 そう言えば、孫たちは寒い為、あまり水を飲まなかったな〜

早速、母親が頭痛薬を与え水をやると、えらく沢山飲んでいた。


大人たちは、一息落ち着き、やっと乾杯!!  ビールが美味い。

高地では酔いが早いというが、あまり感じない、兎に角美味かった。

素朴な料理も美味しく、味噌汁が身体を暖めてくれた。 


天気はすっかり悪くなり、日没の夕焼けも結局、見ることが出来なかった。

部屋は石油ストーブがあるが、温度が上がらない。 だいぶ冷えてきた様だ。

食事を上げてもらって、布団を敷くと、ぎりぎり一杯。 これでは、夜中に用を足す時、

誰かを踏んづけそうだ。 寝る前に用を済ましておこう。


一階に下りてみると、もう消灯、川の字、三の字になって皆さん寝ていた。

消灯は8時のはずが、もう山男たちは早い、明日に備えて寝てしまっている。

部屋に戻って、こちらも消灯する。 少し寒いので、着たきり寝込む。



満員の小屋と左手、兄ちゃん


雨音で目を覚まされ、時計を見ると4時であった。

この分では朝日も拝めそうもないと、思いつつ、うつうつとしていると

孫娘が「おしっこ!」と母親を起こす。 用を済まして戻って来ると、母親と、ぼそぼそ。

宵の口から寝ていた兄孫が起こされ、話に加わる。

更に、お爺んまで加わって朝が明ける。 息子は未だ寝ている。


昨夜、食事抜きで腹が空いたのか、兄孫が「お爺ちゃん、チョコレートある」と問う。

あると答えると、孫娘も「わたしも〜」と、余程、腹が空いたようだ。

孫たちは、すっかり疲れも取れたようで、回復するのも早い。


元気になって何より、これで一安心したが、日の出の時刻(5時半)になっても

陽は見えず相変わらず雨は止みそうにない。


6時前になると兄ちゃんが朝食を持って来てくれた。 早速、ご馳走に。

山小屋の朝は半熟玉子に味付け海苔、漬物、味噌汁といたって普通の食事。

兄孫は昨夜食べなかった為か、食欲旺盛。 それに引き換え娘孫は少し手をつけて

「もういらない〜」 と、母親が「ご飯前にチョコレートを食べるから」と。

こちらも同罪、少し耳が痛い。 ごめんね〜


食事を済ませ、下に降りると、昨夜の大勢の客は、雨が降るのに

出かけるのが早く、2組ほどが残っていた。

こちらも勘定を済まし、小屋の小母ちゃんと兄ちゃんに、礼を言って外に出る。
 
往きは裏から入り帰りは表から出ると、直ぐ右手に石の階段が伸びそこはもう頂上。

頂上の剣が峰神社があった。



小屋の外、雲で包まれ、ぼんやりとした小屋


石段を30段ほど登ると剣が峰の御嶽神社があり、雨の中で一同無事登山の感謝!!

その右手横に剣が峰の標識3067mがある。



雨に煙る剣が峰 御嶽神社





剣が峰3067m地点の我が一行


参拝を済ませ、ガスがきつく見渡しが悪いので予定の三の池巡りのコースを断念し

往き来た道を降りることにする。 雨は相変わらず降り、濡れた岩場を

注意深く降りていく。 孫たちも機嫌よく元気に下りて行く。



御嶽神社の鳥居




9合目付近の美しい岩場

往きと違い返りはやはり早い9合目目に順調に降りた。

覚明堂小屋の前で往きに会った2人ずれの小父さんたちを思い出す。

果たして今日頂上に登ったのだろうか? 興味深々。 



9合目覚明堂上の神社


更に下って御嶽山で一番の紅葉の見所へ到着。 何処kらか雷鳥の鳴き声が、

カ、カ、カ、・・・・ 声はすれども姿は見えず。

紅葉の全貌はガスで見渡せないが、もうかなり赤色が際立ち、これからの

1週間は素晴らしい紅葉が下へ下へと広がりを見せることだろう。

紅葉を横目に見ながら更に下ると、2人づれのおばさん達がやって来た。

足を見ると雨の中を裸足である。 「足は大丈夫ですか」と訊ねると「業が深いので大丈夫です」

と言って通り過ぎて行った。 御嶽教の人達の様だ。 修行も厳しい。

やがて、往きに叩いた仏像広場の鐘に到着。


無事登山の鐘をならす。 か〜ん か〜ん ♪



8合目から9合目への紅葉




  
仏像広場の鐘


鐘を鳴らすのはいいが、孫娘が、膝が痛いと言い出した。

もうじき8合目だからと励まし、何とか8合目女人堂までたどり着き休憩をとる。

残すは後一合何とか頑張ってくれるかな???

一息いれて出発をする。 孫娘は何も言わず歩きかけた。 どうやら回復

した様だ。 子供は悪くなるのも早いが良くなるのも早い。

何れにしても、何とか7合までもってくれればいいが・・・


しかし、「痛い!」と言い出した。 「階段が降りれない」と言う。

「身体を横にして痛い足から先に下ろしなさい」と教えるが、

どうも巧く行かない様で、少しは何とか下ったが、とうとう大きな

岩に腰を下ろしてしまった。 テーピングを持っていたので、巻いてみるかと

聞くと、「 うん。」と言う。 気分だけでもと、膝にたすき掛けにテープを掛け

後、膝上と膝下を巻く。 「これで痛くならない!」 と暗示をかける。



8合目女人堂小屋前の神社、山はすっかり雲の中。


案じるより生むが安し、どうやら巧く行った様で黙ってゆっくりと下りて行く。

これで安心何とかなりそうだ。 痛みがなくなったのか、話し出した。

ところが、今度は自分の膝が痛くなって来た。 やっぱり左足、我慢しながら横歩き。

今度は、孫娘から「お爺ちゃん足痛いの?」と言われ、「うん。」 と答える始末。

しかし、何とかこらえ7合小屋まで到着。 今日は天気も悪く客は誰もいないひっそりとしたもの。


これで何とか後は下りでなく平坦な道、頑張って歩いて呉れればいいが・・

や〜と ロープ・ウエーの山頂駅へ到着。


万歳!!!  時計を見ると昼前、登りと同じ様な時間となった。



7合目行場小屋

何とか無事登山を終え山麓駅の食堂で、全員笑顔で昼食をとる。

登山はじめには駐車場に一杯の車は一台もなく、ただ我々の車だけが残っていた。



山麓駅食堂


登り終えて

信長時代は人生50年と言われたが、昭和22年も平均寿命は男50歳であった。 

自分が世帯を持った昭和30年代には定年で会社を辞めた先輩達が直に亡くなることが多かった。

 従って、この頃は自分の生きている間に、子供を社会人に育てると言うことが大命題であった。

 それが医学の進歩や食べものなど諸々の条件にも恵まれ、現在では平均寿命が男78歳と伸び

高齢化率は22.7%と世界に類を見ない水準に達している。


とっくに大命題も終わり孫達にも恵まれ、この度、敬老の日に3000mを越える高山に孫と一緒に登る

ことができ自然との触れ合いを楽しむ事など以前は夢のまた夢、それが祖父母の顔も

知らなかった自分が真坂、実現できると言うのだから、これ以上の喜びはない。


きっと孫たちも、いい思い出をつくり、情操を高めて行ってくれる事と思う。

残す余命が後どれ程のものかは分らないが、いい人生をおくりたいものである。


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