韓国・世界遺産巡り

05.5.17〜5.20



今回の韓国は97年の訪問、以来である。

これまでは、ソウルよりの入国であったが、この度は釜山より入り、

北朝鮮と接するイムジン川(臨津川)までの韓半島の縦断となり、 狙いは韓国の

世界遺産巡りと新緑を楽しめればと思っています。



訪問コース

釜山〜慶州〜大邱経由〜伽耶山国立公園〜大田〜鎭川〜水原〜ソウル〜坡州


世界遺産

佛国寺、 石窟庵、 海印寺、 水原華城、 宗廟



 釜山へ 名鉄金山駅にて中部空港行きを待っていると、家内が切符が無いと言い出す。

     そこへ列車が入って来る。 切符は見つからないが、兎に角、乗り込む事とする。

     入って驚いた事に座席の番号が付いてい無い!どうやら列車を間違えたらしい?


      
次の駅で降り、駅員さんに聞くと、すぐ折り返し金山に戻れと言われ、慌てて列車         
     に飛び乗る。

     金山に着くと、快速特急は出た後、しょうがなく、次来た急行に乗りこみ、40分か

     かり中部空港到着。
     
     家内の切符もバックの奥から出てきて、目出度し、めでたし!  早々のトラブル  

     で先が思いやられる?  名鉄より空港のアクセスロビーへは直結しており、

     スムースに行けて、アクセスの良さの売りだけはある。 

      しかし、約束の時間は、もう過ぎている。  旅行社のブースに行って見ると、係員

      が、皆さん手続を済ませ入られましたと、気持良く迎えて呉れ、ほっとした。

      パレットで良かったなあ・・・・・  皆さんに迷惑をかけずに!

      連休明けのせいか、客はすいていて、待合ロビーもガラガラ。 この分だとのんび

      り行けそうだ?

      飛行機は三席二列のB737。  やはり釜山行は客が少ないのであろう。

      我々は窓側に座り、通路側は結局、誰も来なかった。

      やがて飛行機は滑走路に入り、エンジン音が一際高くなる。  背中に重力を感じ
    
      たかと思うと、急激な上昇確度で上がって行く。  知多半島を左に見て、南下

      して行く。

      小牧の風景と違って、新鮮で、旅の気分が涌き上がって来る。

      やがてシートベルトのサインが消えると、ワゴンの音が聞こえ、早速食事の

      サービスが始まった。

      飛行機は海上でUターンをし、琵琶湖上空を通過し、日本海に出ていた。

      食事が終わる頃には、すっかり釜山に近づいていた。  矢張り韓国は近くて

      楽でいい国!

      それにしても、久しぶりのKALだが、クルーのお嬢さん方の日本語が巧くなった

      のには驚かされる。

      以前は、すぐに日本人アテンダントのサポートを呼んでいたが、今は彼女達で

      十分こなしている。

      これも韓流の為せる技か?  唯一、日本人アテンダントは案内アナウンスが

      メインになった様だ。

      飛行機は金海空港上空に来るが、いっこうに降りようとしない。 

      変だなと思っていると、アナウンスが入り、管制官よりの指示でウエーテイングして

      いますとの由。 

      その後、海上を一周して来て、目出度くランデイング。  
        
      入国手続を済ませ外に出るが、わが方の迎えが見つからない。

      きょろきょろしていると、30代半ばの其れらしい女性が寄ってきて、名前を

      聞いてきた。

      ズバリ当り!   感のいい女性である。
  荷物をバスに積み込み、釜山、

      龍頭山公園へ向う。



釜山は人口400万の韓国第二の都市で、
龍頭山公園は釜山港を

真下に見下ろす180mの高さの山の上の公園で、写真に見られる

通り釜山タワーがあり、タワーを背景に李舜臣の銅像がある。

周囲は松林が多く、きれいな花壇も設けられている。

日本と韓国とは、1400年代、朝鮮王と同じ様に

足利義満は明の皇帝より冊封を受け、交隣関係 が

       あ ったが、 秀吉の時代になって、







   彼は諸国統一の勢いをかって、1592年、朝鮮に15万の兵を持って攻め入った。     
   
       韓国ではこれを壬辰倭乱と言っている。 この戦いで、李舜辰は秀吉軍を敗退さ  せた英雄として崇められている。

    公園には、失業者が見うけられ、公園に来ていた老人に李舜辰のことを訊ねて

    見ると、彼は亀甲船有利に戦い制海権を握り、豊臣軍への補給路を断って、

    敗北に追い詰めたと教えてくれた。

    しかし、これは秀吉が亡くなり、各大名の厭戦気分が高まり引き上げたのでは

    なかろうか。 

    何れにしろ、豊臣軍が撤退したのは間違いない。

    彼は前に日本に住んでいたとのことで、日本語が巧くて、子供はソウルに

    いて、 今は奥さんと二人で釜山に居るとのこと。 

    釜山市HRL   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%9C%E5%B1%B1%E5%B8%82

     この後、山を降り国際市場に向う。

        

国際市場は、小さな間口の店が寄り合い、又、狭い道に露天商

までが出て、ゴチャゴチャ。 衣料から雑貨、何でも売っている。

その中で輝いていたお嬢さん、写真を撮っても良いかと、聞くと

どうして私なのと言っていた。 
イェポ(きれい)だからと言うと、

冗談マセヨ!(言わないで)って言っていた。







釜山劇場前の交差点、映画館や劇場が集まっていて、賑やかな所。

レコード屋で最近の人気曲と言って買った
テープが古いタイプの演歌だった。

此方は、もっとPOPなものと思っていたが、

よぽど、こちらをお爺んと見て気を効かした
のであろう。


製造月日を見たら今年の四月になって
いるので驚いた。








この後チャガルチ市場(水産物市場)に
行く。

水産物市場と言うのに、何故か豚の頭を
売っていた。

あっ、そうか、 豚は魚類だったかな???

そう言えば海豚とか河豚と言うのが
いたな?









    これより北へ115KM慶州へ走る。   途中、山の斜面に茶畑が作られていた。

     韓国では今まで茶の栽培は見られなかったが、緑茶を飲む様になったのだろうか?

     ガイドに聞いてみると、最近、カテキンが含まれ健康に良いと云うことで、飲む人が

    出てきたと言う。

    但し、日本の様な飲み方でなく、ジュースやコーラの様なソフトドリンクとして飲まれ

    ているという。

    韓国も生活が豊かになり、飽食から、あっさりした物へと嗜好が変わって来たので

    あろうか、それとも日本からの影響だろか?


    やっと慶州に入いって来た。 日も、すかり傾き、今夜のホテルは吐含山の麓の

    ホテルである。

     コーロンホテル URL   http://www.seoulnavi.com/hotel/hotel.php?id=1027

     暫らく走るとホテルが見えてきた。 松林と芝生に囲まれた慶州の静かな

      場所である。



 慶州にて 昨夜はホテルの傍の韓式食堂で海鮮鍋の食事をとり、今朝は明け方から、

        かなり激しい雨が降った様で、今は上がっているが、霧が深い様だ。

        その霧が、又、こちらの風景に合い素晴らしい。 いい気分で朝を迎えることが

        出来た。


        朝食は写真の食堂でカルビタン(ばら肉の煮込)定食、アメリカンや

         コンチネンタルの朝食と違って、自分には口に馴染んで有り難い。

      

           
                           慶州の韓式食堂

         
      慶州市は新羅の古都で、街全体が公園の様で古墳や旧跡も多く日本の奈良の

      雰囲気を持っている。

      ビルが無く、屋根の反り上がった韓式家屋ばかりで、周囲は小高い山に囲まれ

      田園と松林と緑で、修学旅行の子供も多く韓国第一の観光地と言われている。

      韓国人は韓国をウリナラと呼び、”我等の国”という意味で、日本の奈良と言う



      呼び方も韓国語のナラ(国)よりきたとも言われる。

                     


慶州には、左の様な饅頭形の円墓が
彼方此方に見られる。

円墓の前では、農家の人が苗代から
苗を集め、これから田植シーズンに、
なるのであろう。












    
    これより、バスで吐含山(745m)に上り、世界遺産の新羅石窟庵へ向う。
 
    ホテルを出ると直ぐ登山道路があり、青葉になった桜並木を上って行くと、辺りは

    赤松の林となり、ニセアカシヤの白い花が辺りに咲いている。  曲りくねった道の
   
    所々で、新緑を通して慶州の街が顔を覗かす。  霧さえなければ、もっと素晴らし


   景色が望めるのであろう。

    この山でもマッタケが採れるそうで、殆どは日本への輸出だそうだ。 3・4%は韓国で

    食べるらしい。

    吐含山は字の通り雲を吸い、且つ吐くと、言われ、それで霧が多いかと、ガイドは

    言っていた。

   やがて広場に出てバスを降りる。   これからは歩いて登る。 

    樹木に囲まれた参道は気持がいい。 やがて石の敷かれた落差の激しい上りの

    道となる。

    相変わらず、霧が晴れず、上の方はガスっている。 漸く霧の中に御堂が見えて来た。

    山の頂上の少し下で、鬱蒼とした松林の中にあり、前は小さい広場となっていた。

    天気が良ければ、この辺りの見晴らしは奈良の若草山からの眺めの様らしいが残念!

       

      左、石窟庵の御堂、この奥に釈迦如来の石仏がある。


    この石窟庵は奈良時代の751年、新羅の景徳王代、時の宰相・金大城が建て始め

    25年掛かって完成したと伝えられている。   本尊の釈迦如来座像は高さが3.4m  
   
    の純白の花崗岩で彫られた。

   石窟庵はドーム状で菩薩像を始め、四天王、帝釈天等がレリーフで釈迦像を囲んで

    いる。

   中へ入って見ると、なんと撮影禁止ではないか。 石造りで、フラッシュを焚かなきゃ

   何も影響はないと思うが、・・・・  偉く、もったい仏陀ものだ!

   確かに、世界一美しい石仏像と言われるだけの事はあが、日本の仏像と違って体形が

   逆三角形で特に曲線の滑らかさは素晴らしく、韓国の石工の技が今でも高いと言うの

    が頷ける。

    釈迦如来の顔が穏やかで眉間の水晶が黄色く光っているのが印象的だった。

    早朝、釈迦の顔に朝陽がさす時期を狙い、韓国人は山に上るという。

    その時は口では表現できない位、素晴らしいらしい。  

    釈迦を拝み、新緑の参道を降りる。  案内通り通り、修学旅行の子供を始め観光客

    が多い。

     


               霧で霞んだ石窟庵の売り場、 数珠、御守を売っていた。
        
       石仏寺の鐘楼の傍でバスに乗り、次は仏国寺へと山を降りる。



       世界遺産・仏国寺はホテルの傍にあった。

    この寺の創建は535年の新羅時代と言われ、現在の様になったのは、景徳王代の金大城

    により新羅仏教建築の最高技術で完成されたという。 その後1592年の文禄の役(壬辰倭乱
    
    で豊臣軍に焼かれ今も大雄殿の基壇に当時の黒く焦げた跡があると言う。

    バスを降り新緑に囲まれた参道を行くと仏国寺の山門に出る。

    
丁度、旧暦の4月8日は釈迦の

生誕日で韓国では祝日として祝われ

ている。

その時の提灯が今も飾られてい、

提灯に灯を燈し釈迦を迎えるのが

風習とか。




 
           
          

          山門をくぐり、石橋を渡り、更に進むと天王門に出た。




天王門には、日本であれば普通、

仁王さんが仏を守る為に立っている

が、此方は四天王がその役目を果た

している。












四天王の内の二天、日本の様な渋さ

はなく、極彩色。

持国天、広目天??













                                       
                                                                                                            更に進むと、広場となり寺らしく大きい

松が塩梅良く植えられ、正面に紫霞

門が待ち構えている。

その前の上下二段構えの石橋の白

雲と青雲の二橋は仏教建築の傑作

と言われ、国宝に指定されている。

青雲橋は世俗の人間界との堺を表し

     
 白雲橋は仏の世界、あの世の境を表し、極楽浄土となっている。




横から見た白雲橋、複雑な石組がされ

ている。

現在これらの橋は保存上使用を禁止

しており、右手の通用口より入ると、

そこには大雄殿があり、金色の

釈迦如来が祭られていた。









大雄殿は日本の寺院建築と違い極彩

色の丹青塗りで仕上げられているが、

240年前のものとは思えない色の鮮や

かさを保っている。  釈迦如来と左右

に菩薩像が安置され、何れも日本と

違い金ぴかの物である。








大雄殿を囲む廻廊、何処か法隆寺の

廻廊を思わせる。
















廻廊に囲まれた中には二つの国宝の塔が

ある。

日本の場合は三重の塔、五重の塔、殆どが

木造であるが、此方は、石で造られている。

その一つは釈迦塔と言われ、大雄殿の左側に

あり、基底には釈迦の舎利が納められている

装飾がなく直線的でシンプルなのは、釈迦

涅槃の心を表している

と言われ、百済の石工によって建てられた。

右側に建てられなかったと言うのは百済勢


     の力が衰えていたのであろう。





此方は大雄殿の右側に建つ多宝塔で花崗

岩で造られているが手摺等、複雑な
モチーフを木造で作った様に仕上げている

釈迦塔と違い曲線が多く、装飾されていて

こちらは新羅方式と言われている。







    仏国寺を出て、昼飯は参鶏湯。(若鳥の腹に具を詰めて湯がいた料理)鶏が小さくて

     小骨が多くイマイチだったが、二階の食堂より見える風景は古都そのものだった。




 伽耶山 これより世界遺産、八万大蔵経のある海印寺へ向う。

      大邸への道に茂るニセアカシヤの樹がどれも白い花を垂らし新緑の中冴えていた。

      又、この辺りはビニールハウスが多く、街場の野菜を賄っていて、韓国農業も近代化

      されぶどう酒用のぶどう畑も良く見うけられ栽培品種も収入の良い物に移りつつ

      ある様だ。

      大邸に入ると、韓国第三番目の都市だけに、高層アパートが何本も束になって

      建っていた。

      やがて伽耶山に近づくとニンニクの本場らしく、大蒜畑があちこちに見うけられた。

      暫らく進むと山道に入り、伽耶山の駐車場に到着、何時の間にかこちらは快晴の空。


注車場より見る伽耶山の萌の新緑。


伽耶山は1430mの高さで、渓谷や

紅葉も美しく

山全体が国立公園に指定されている

世界遺産・海印寺、その南側中腹

にあり、参拝客以外に登山者や自然

   

          散策の客も四季を通じ多いと言う。




    この寺は韓国三大名刹の一つで、大伽藍を有し、八万大蔵経抜きには考えられない

     802年、新羅・哀荘王の時代に順応により建立され、高麗時代に統一事業に功労が

     あったという事で太祖より第一禅林寺と名付けられてから有名になった。

     文禄の役、以降も幾度か焼失し、現在有るものは、

     朝鮮王朝末期の物である。


    駐車場より坂を登り広場に出るとオバちゃんが家で作ってきたヨモギ餅を売っていた。

     グループの誰かが買い、美味しいと、言って偉く奨めていた。

     オバちゃん達は大した額にはならないが仕事がない為、生活の足しにしているので

     あろう。

                                  

渓流の音を聞きながら橋を渡り参道を

登ると、海印寺の門(一柱門)ががあり、

そこを抜け登って行くと、紅いモミジが

植えられ、その先に、大きな古木が

あった。 










                             






説明によると1200年の銀杏の樹と言う。
















    



        
                         四天王壁画




門の先は大きな広場となり、大伽藍が

連なる。

大寂光殿(本堂)には華厳経を信じ

毘盧遮那佛が奉納されていた。











広場の左手に梵鐘楼があり、鐘楼の

真下の土間が鍋底状に掘られていて、

鐘の響きを良くする為と言う。

日本では見られない工夫である。








     






唯一残った三層石塔

















              
                          八万大蔵経閣門
          

                                                                 

左は大蔵経の倉庫である経板閣、

現在南北に二棟、寺域の奥に建てられ

校倉造りと言われているが、そうは見え

ない。

大蔵経は仏教を国教としていた高麗

末期、蒙古に攻められ、都を開城より







 江華島に移し国の安泰を願い1236年に経典版木の彫造に掛かり、15年掛かりで完成させた。 

    日本が蒙古に侵攻されたのは、この後である。


   その後、版木は1398年海印寺に移された。 版木は白樺を使用し漆で仕上られ、

    現在も万余版が所蔵されている。

    朝鮮王朝になり、仏教を儒教に変え、国を治めた為、日本より版木の譲渡を願った

    こともあったと言う。


経板閣より見る大伽藍の甍。



海印寺を見終わり、日本との繋がりを

思いつつ大田へ向う。









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