六華苑 桑名市大字桑名663ー5
諸戸氏庭園を出て北に廻ると築地塀と黒漆喰の蔵が見えてきた。更に進むと堤防に出る。
この辺りの土地は諸戸家の敷地の様である。 諸戸家のグループ会社が目につく。
堤防の手前右手に長屋門が見える。 こちらが六華苑である。
六華苑(旧諸戸清六邸)は山林王といわれた桑名の実業家二代目諸戸清六の邸宅で明治44年に着工、大正2年に 竣工したもので、特に洋館部分は、鹿鳴館等を設計し「日本の近代建築の生みの親」と呼ばれたジョサイア・コンドルが 手がけた地方唯一の作品として注目されている。 揖斐・長良川を望む18000m2余の広大な敷地に洋館と和館・蔵等 と庭園で構成され創建時を略、その侭に留めている貴重な遺構である。 第二次大戦で被害を受け一時期桑名税務署の 仮庁舎になりその後諸戸家の事務所として使用されて来た。現在、洋館と和館は国の重要文化財に指定され他の建物は 三重県の重要文化財に、離れ屋は桑名市重要文化財に指定されている。 また庭園は一部を除き国の名勝に指定されて いる。 尚、現在は桑名市が平成3年に土地を取得し、建物を諸戸家から寄贈を受け「六華苑」として公開管理している。 |
諸戸家屋敷
六華苑・入口(長屋門)
敷地の東中央部に揖斐川右岸堤防道路に接して、方形の入口広場があり、広場の南と西を
築地塀で囲んで、門はこの広場の北側に南に面して建っていて武家屋敷の様である。
アプローチ
門を入ると敷石が敷かれたアプローチが気持のよい曲線で導いてくれるが玄関は見えて来ない。
しばらく生垣に沿って進むと、ロシアのエカテリーナ宮殿を思わす色合いの塔屋を持った
洋館がジュンブライトの光に眩しく現れる。
洋館正面
洋館と和館の玄関
洋館は、白い装飾で縁取った窓枠が印象的で、四層の塔屋が圧倒的な存在感を持っている。
木造2階建スレート葺の構造であるが日本式の真壁方式を用いずルネサンス様式で建てられている。
当時の洋風建築には一部和館が併設されることが多ったが、こちらの和館は大規模なのが特徴と言う。
白い玄関を入る、明るい印象はがらりと変わり、重厚な赤い絨毯と、しっとりとした木調のホールが迎えてくれる。
同じジョサイア・コンドル設計の三菱財閥・岩崎邸に比べると装飾も少なくシンプルな感じである。
ホール階段
ホール右手奥に二階への階段があり、階段下のテーブルには
アールヌーボー調のスタンドが置かれ大正ロマンを漂わす。
左手には応接間と食堂が接している。 応接間は明るくアイボリーで纏められ、シャンデリアの
下がる天井の漆喰装飾は設計者コンドル氏の好んだ薔薇をモチーフのデザインと言われる。
1階応接間(ベランダ側)
天井、コンドル好みの薔薇の装飾 一階応接間マントルピース
食堂
応接間の隣は食堂、ホールと同じ様式で重厚な感じの内装がされている。
一階を見て二階へと上がる。 二階は応接、書斎、居間、サンルーム、寝室、女中部屋からなる。
二階サン・ルーム
明るいサンルームにはロッキング・チェヤーが置かれている。 主人が椅子に揺られ本でも読んで
いたのであろうか、それとも御祖母さんが編物でもしながら、うとうとと・・・・
サンルームから見える庭
サンルームからは視野が広く庭園の見晴らしが素晴らしい。
2階・書斎
手前の・デスクは英国製、椅子はデンマーク製のもの
奥はゲーム・テーブルと猫足の椅子で英国製。
居間と暖炉
二階より下り一階ホールより続く和館へと入る。 棟の長さに驚く。
一番奥が格調高い客座敷・一の間と次の間、次いで手前へ二の間と次の間が続く。
ホ−ルより見る和館
畳廊下と板張廊下を持った造りで畳は主人と来客、板張りは使用人が使っていたそうだ。
それにしても奥行きが長く先が見えないくらい。
二の間座敷、桑名の千姫にちなんだ折鶴が床の間に、
千姫は大阪城落城後、豊臣秀頼亡き後、1616年、桑名藩主・本多忠政の嫡男・本多忠刻に嫁ぐ。
その為、桑名では毎年10月千姫・折鶴祭が行なわれている。
この折鶴は桑名に伝承された一枚の紙から数羽の鶴を連続して折る独特のものである。
江戸時代、桑名市・長円寺の 住職魯縞庵義道(ろこうあんぎどう)によって考案された連鶴で、
2羽から最高97羽の鶴を一枚の紙に切り込みを入れるだけで 繋いでいく方法で折るものと言う。
(無形文化財)
次の間より見る一の間座敷
一の間座敷前に広がる池泉回遊式庭園
和館廊下の一番端にある一番倉、接客用調度品などを収納していた所。
東南より見た洋館
洋館前は芝生が広がり和館の方は和式庭園となる。
新婚組みが記念写真を撮っていた。
芝生庭園
和館前、大きい池の池泉回遊式庭園
西より見た和館と洋館
南より望む洋館、右側に玄関が見える。
和館玄関前にあるレストハウスと・ローズガーデン
庭内を一周して7里の渡しへ向う。
七里の渡につづく HOME