名古屋開府400年


名古屋は今年、開府400年を迎える。 関ヶ原の戦いで勝利し江戸幕府を開いた徳川家康が、

天下統一の構想の下、清須城の土地が低く木曽川の氾濫や水攻めの恐れがあったことから東海道の

要所にあり大阪方への備えと陸海の連絡の地点でもある名古屋に築城し、清須から遷府をして

発展をしてきた都市である。 この度、戦時中、空襲で焼失した本丸御殿をこの記念事業として

再建すると言う。 そんな事から先日、「北大路 魯山人展」を見ての帰り名古屋城を覗いて見た。


名古屋市役所左と愛知県庁右

地下鉄・市役所前で降り東門より入場。



名古屋城東門




内堀




二の丸より望む東南隅櫓(辰巳櫓)





青松葉事件遺跡

門を入って二の丸広場の左手に「青松葉事件遺跡」の碑が建っている。

この事件とは幕末の大政奉還が決まった後、尾張藩では佐幕派と尊皇派の対立が激化し

時の藩主・徳川慶勝が佐幕派の過激派をこちらで粛清した。 重臣を含む斬首14名、処罰

29名に及んだ。 これを機に中山道筋の諸藩が新政府派へと変わって行った。 今、HNK・TVの

「坂本竜馬伝」で吉田東洋の暗殺など土佐藩内の対立が険悪化しつつあるが、尾張藩も同様

新政府樹立の影に多くの命を失っている。



二の丸の梅林は、とき遅く散り果てていたが、一人ばえの枝垂れ梅が満開であった。




加藤清正、石曳き像

梅林の先には加藤清正像がある。 清正は家康より福島正則や前田利常らと共に

名古屋城の築城を命ぜられた。 像の前では、小学生が何やら揉めていた。


辰巳櫓

焼失を免れた櫓で二重屋根、内部は三階の櫓、東南面には軍事用の「石落し」が張出し

鬼瓦には葵の紋が付けられている。




表二の門を入ると、そこは本丸、開府400年祭で加藤清正に扮した小父さんが

来場者にせがまれ、はいポーズ!



東二の門にある清正石

加藤清正は天守閣の石塁の構築を命じられ、巨石の運搬に自ら音頭をとって

木遣りを唄わせ、民衆と綱を取って運んだと言われている。



本丸より見る天主閣




西の丸より望む天主閣





西南隅櫓

構造、規模は東南櫓と同じであるが、明治の濃尾大地震で石垣が崩れ崩壊したが

宮内省により復旧された。 その為か瓦の紋が葵でなく菊花紋になっている。



西の丸にある樹齢600年の榧ノ木

初代藩主・徳川義直が「大阪の陣」に望むに当り、この実を供したと伝えられている。



榧の木の傍に、開府400年祭の張子の金鯱





正門・西の丸

本丸御殿の工事現場は仮設の建物で覆われ中に新しい基材が持ち込まれ作業が行われていた。

 完成は平成30年とのことで、未だその姿は想像もできないが、名古屋もトヨタの影響から

元気をなくしている。 これを契機に何とか良くなってちょう!


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