身延山と新緑の甲斐・3
09.5.4〜5.5


フラワーセンターとは反対方向中央自動車道を横切って西側の北杜市武川町にある

実相寺の有名な神代桜に行くことにする。 前々から来て見たい所であったが、桜が過ぎた

新緑の季節に来る人は少なかろうと訪れたが、その通りで静かな田舎町、お寺は車止めまで置かれ

駐車場へも入れなくなっていた。  仕方なく車止めの前の小さなスペースに止める。

勿論、駐車禁止どころか、車も見かけることができない程の南アルプスをま近にした静かなところ。

野良仕事のお婆ちゃんに訊ねると、フェンスの門扉が開きますから、そこから入って下さいと仰る。

物好きな、おっさんと思ったことだろう。 入ってみると、それでも同じ様な人がいるものだ。

夫婦連れがいて桜の案内を見ながら、ひそひそと話し合っていた。



                             実 相 寺                   
                              
   実相寺は日蓮宗の寺であるが元は真言宗の寺であったと言われ、日蓮上人を身延山に招いた   

   南部六郎実長の子・伊豆守実氏が身延山の鏡円阿闍利日台上人に師事し、実相院日応と名のり  

   波木井にあった真言宗の寺の住職と法義を闘わせて寺を譲りうけた。 それ以来、日蓮宗に改め、

   その後、武田信玄により、この地が寄進されて現在に至ったと伝えられている。



日蓮聖人像と本堂

桜を見たい気分を抑え、まず本堂に敬意を表するが、気持ちもこもらず

早々に桜の方へと足が向かう。



本堂内






南アルプスと観音菩薩


桜の丘とでも言おうか本堂左手は一段高くなり玉砂利が敷かれて観音菩薩像も立っている。

更に、その前は竹垣で囲まれ盛り上がった所に日本一古いと言われる神代桜が岩と間違う様な幹で鎮座している。

境内には、この桜以外にも沢山の古木が生えているが、この桜の醸し出す存在感には圧倒される。


    
   案内によると山高神代サクラと呼び、樹齢2000年とも言われエドヒガン桜と言う。

   日本三大桜の一つで日本武尊が東夷征定の折、この地に留まり記念に、この桜

   を植えたと伝わる。その後、日蓮聖人が木の衰えを見て回復を祈ったところ、再生した

   ため「妙法桜」とも言われている。 1922年にサクラとして初めての天然記念物と、

   なったが、近年の環境変化により樹勢が衰えて来た。 樹勢を回復させるために

   南側の道路を迂回させ、2001年には根や病気の調査をし、翌年からの工事では

   弱った根に活力を取り戻す為、養分と有用な土壌微生物にとんだ土に入れ替えた。

   これからも末永く伝えるため、ご理解と協力を賜りたいとのこと。  

        高さ10.3m 根元幹周11.8m 枝張り東西17.3m 南北13.0m
   




岩の様な桜の幹

勢力が衰え何度も枝が朽ち新しい枝を生かして生き残ってきたのか、幹の大きさに比べ枝張りが小さい。

 得てして老木によく見る現象。 大正11年には枝張り30m(南北間)あったものが

13mと小さくなってはいるが、その分、幹が発する精気は不老不死の神仙のようである。

桜の花が見られないのが残念ではあるが、充分に桜の気が伝わってくる。




根を踏まない様、柵で保護されている。


神代桜に未練を残し、次の清春・芸術村へと向かう。 


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清春・芸術村

芸術村は北西に向かい北杜市の中西部の 長坂町清春にあり、10分ほどでついた。

清春・芸術村は白樺派の武者小路実篤や志賀直哉と親交の深かった銀座画廊社長の

吉井長三が1975年、町村合併で廃校となった旧清春小学校跡地に芸術村を開き清春白樺美術館を

建設し、ついでパリ・モンパルナスの集合アトリエ「ラ・リューシュ」をモデルに会員制のアトリエを造り、

現在では梅原龍三郎のアトリエが移築され、ルオー礼拝堂やミュージアム・ギャラリーなどがある。 




「ラ・リューシュ」 モンパルナスの集合アトリエ


旧・小学校の跡地だけに立派な桜並木に囲まれた門を中に入ると、芸術家らしき人達が

テントを張って受付をしていた。 今回は美術館でルオー展をしていると言うことで

入場料800円を払って入る。 正面にレンガ造りの円いモダンな建物・ラ・リューシュが

パリの雰囲気をもって建っている。 現在は閉されていたが、芸術家たちの

創作の場として生活ができるよう備えられていると言う。




白樺美術館

白樺美術館は文字通り白樺に囲まれた静かな佇まいで、今回は美術館所蔵の

ルオー作品の特別展で館内全体に展示されていた。

どの絵も黒い野太い輪郭の重量感のあるキリストをテーマにしたものばかりで、

初期の他の作品も見たかったが残念ながら展示はされてなかった。

係員に常設のものはないのか訊ねると、アルバイトらしく、”少しお待ちください”と

何処かに聞きに行き、今回はルオーの特別企画で常設分は展示されてないとのことであった。

この美術館は白樺派同人の絵画や原稿等の資料なども所蔵しているそうだ。



フランスの彫塑家・セザールの作品「親指」 美術館前






ルオー礼拝堂

小さな礼拝堂の中には、やっぱり、黒いルオーの絵が掛かっていた。





梅原龍三郎アトリエ

東京からこちらへ移築されたもので、中はイーゼルがたてられ、描きかけの絵やパレット、絵具

絵筆などが置かれ、本人が棲んでいた雰囲気が伝わってくる。 何百万もするであろう

梅原龍三郎の奔放な絵画が無造作に置かれていて、盗難の心配はないものか、

こちらが気を使ってしまう。  


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須玉歴史資料館


芸術村から中央自動車道を越え東へ10km程の北杜市・旧津金小学校へ向かう。

こちらの校舎が歴史資料館となっていると言うので覗いてみた。


明治、大正、昭和の校舎があり明治8年の校舎が歴史資料館となり

文明開化の匂いのする洋風建築物で縄文土器やオルガン、電話機、学習材料など

が展示されている。 大正校舎では陶芸、工芸、農業体験ができるようになっている。

昭和校舎ではパン工房やレストランがあり宿泊も可能となっていて、観光客よりも

地元の人達の利用が多く、どの校舎も地もとの人達の交流の場になっている様だった。



大正校舎・手前と明治校舎





明治校舎・資料館






大正校舎内部、 陶芸造りのよう





昭和校舎



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海 岸 寺


海岸寺は須玉歴史資料館と同じ津金地区にあり佐久往還道を北上すると、

長野県との県境、清里の手前、八ヶ岳の裾野にある。 

行基が1300年前の養老年間に庵をかまえ、観世音菩薩を彫り祀ったのが始まり

と言われ、その後、737年に聖武天皇より祈願所として光明殿の額を賜った。

新羅三郎義光が甲斐の国主の時代には、京より高僧を迎え鎮護のため大道場を開いた。

 室町時代に至り、鎌倉・建長寺より石室善玖和尚を迎えて律宗を臨済宗に改め海岸寺の開組とし、

津金山・海岸寺として今日に至っている。




参道

天気がよければ山岳風景画すばらしいところだろうが、今日は、にごし色の空で山は見えにくい。

なだらかな古びた石段に落ち葉が積もり人もあまり通わない様な寂びた感じの参道である。

その先に杉林に囲まれた仁王門がある。  門には阿吽閣の額がかかり

いかにも歴史を刻んだ古めかしさ、中には行基作と言われる赤い阿吽像があり

門をぬけると、この地の主のような杉の木が聳えていた。



仁王門





吽形像





杉の大木

杉の木を仰ぎ見て階段を上ると門のような鐘楼が見える。

新芽が光り赤い躑躅も見える、この辺りは何とも言えない古刹の雰囲気をもっている。

鐘楼を潜ると、両翼に回廊が伸びるように美しい石仏が並ぶ。

どの石仏も違った尊顔に彫られ、新芽の緑の光を映し美しく、見ていると何とも穏やかである。



鐘楼






石仏




   








石畳の右手に本堂があり、左手には経堂が続いている。 周囲は鬱蒼とした森に包まれている。

幕末までの禅宗華やかなりし頃には、時の著名人達が多数訪れたと言われるが、

今では、時の流れを、この風景に偲ぶだけである。




本堂





  
経堂                                                        









境内には、未だ桜がひっそりと咲き、行く春を静かに見ている様で、

古刹のひと時をあじわい旅を終える。



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