信州・中信地区の秋
美ヶ原高原、高ボッチ山、松本、美ヶ原温泉)
10・10・12〜10.13


                           奈 良 井 宿

   奈良井宿は江戸時代の五街道の一つ中山道69次の34番目の宿場町で現在は塩尻市にある。

   木曽11宿では一番標高も高く、一番栄えた宿場で木曽路1kmに渡って家並が続いている。

   その繁栄の様を「奈良井千軒」とも言われ、その賑わいぶりが窺える。 これは鳥居峠と言う

   難所を控え身支度の逗留が多かったからと言う。 現在も、江戸時代の香りを残す建物が建ち

   往時の面影を残して伝統的建造物群保存地区に指定されている。   
   



奈良井宿

奈良井宿は江戸側から下町、中町、上町と分れ、取っ掛かりに大きな奈良井宿の案内板がある。

これより宿場に入る。 丁度、昼になり街の案内板で食事処を物色するが、五平餅や蕎麦屋が多い。

そこで、有名な越後屋で蕎麦でもと街並みを見ながら歩き出すと、左手に「木曽の大橋」の道標があり

つい、そちらへと道をそれる。 坂を下り中央線の線路を横切ると盛んに土木工事を広場でしている。

何の工事か訪ねて見ると、駐車場が少ないので造っているとのこと、確かに季節盛りには車の

留める所が少なく大変だろう。 何処も町興しに懸命だ。 工事現場の先に太鼓橋の「木曽の大橋」が

見えてきた。 この大橋は全て木造りで木曽の樹齢300年以上の檜で造られているそうだ。

橋脚がなく、川の強い流れに耐えられる様、橋脚をなくし木組方式により造られている。



宿場の街並み




木曽の大橋

木曽の大橋を見て街並みにもどる。 家々には夫々、屋号が書かれ、やはり「はたご宿」の多さに驚く。

これだけ、鳥居峠越しの為に泊まり宿が必要だったのであろう。 暫くして「越後屋」の屋号をやっと見つけた。

今は宿ではなく食事処として、黒い連子の窓を持ち、往時は参勤交代など行列をこの格子から覗いていた

のであろう。 中に入ると旬の松茸が売られ、その他にも絵はがきや細かなみやげ物も置かれている。

分厚い楠木の一枚板で出来た無垢のテーブルがあり、今時、手に入れようとしても得られそうもない代物で

長年の使用で楠木が艶を出し何ともその店の味を出していた。 そちらに座ると、老夫婦がきて注文を聞く。


メニューを見せてもらうと、やはり行き着くところは蕎麦となる。 その中で松茸蕎麦を注文する。 暫くすると

松茸そばが届く。 時間を見ると1時である。 すっかり腹も空き早速、蕎麦を味わう。 なんと、そばの具は

名前通り松茸ばっかり! 久しぶりの松茸のかおり、松茸の歯ざわりと蕎麦の歯ざわりが何ともうまい。

美味かったので土産に松茸を買って店を出る。 店の婆ちゃんが法然寺が近くにあると、教えてくれて

傍まで案内してくれた。 なんと親切な! お礼を言って、お婆ちゃんともお別れ。


 
越 後 屋




越後屋内、クスノキのテーブル

法然寺は浄土宗の寺で、徳川秀忠が関が原の戦いに向かう途中、一時、滞在した

陣屋として利用したと言われているが、今は当時の建物はなく、小さな規模のお寺である。

法然寺を出て更に鳥居峠に向け街並みを歩く。 奈良井の家は二階の床を一部道路側に

跳ね出し、広く使う様に工夫されている。 外国でもこういったケースをよく見かける。

街は漆器や曲物の店が多く、やはり木曽は檜の産地だけに多いのであろう。

また水場が多いのに驚く。 峠に近く、馬や人の乾いた口を潤すために設けたのであろう。



法然寺




宿場の家並み 2階部分が一部持ち出されている

更に峠へと向かうと、右手奥まった所に大宝寺がある。 この寺は臨済宗・妙心寺派の寺院で、

天正10年(1582)に領主・奈良井義高が自らの菩提寺として開いたのが始まりと伝えられ、本堂裏に

庭園があり、昭和の初めに住民よって竹薮から見つけられた隠れキリシタンのマリア地像がある。


寺を出て先へと進むと重要文化財の手塚家(紙問屋資料館)があり、その先、路地を右手に入ると

長泉寺がある。 曹洞宗の寺院で山門を構えた奈良井では一番風格がある。 こちらでは徳川家の

宇治茶を江戸へ運ぶ「お茶壷道中」の宿泊所として毎年利用されていたと言う。 その先、道は

突き当たりの鍵の手の道となり、昔の街防御の姿を残している。



大宝寺





 
                       街並み                  国重要文化財・手塚家(紙問屋資料館)1602年から明治まで奈良井の問屋をつとめてきた




長泉寺

鍵の手を過ぎると、間もなく奈良井宿もおわりを迎え、高札場と最後の水場があり、

締めくくりは鎮神社、奈良井義高が鳥居峠より移したと言う奈良井宿の鎮守とされている




鎮神社と右手は最後の水場


奈良井宿を最後に長野・中信の旅を終える。 今回は、紅葉情報に誘われ出かけたが、

所詮、高原のこと木が少ない為、紅葉は無理であったが山の紅葉は味わえた。

しかし、天気が今一つでアルプスの山々が見れなかったのが心残りのところ、

最後の奈良井宿では松茸も食べ、時代を越えた空気に包まれた街並みに、

何時しか心残りは消えて行った。


HOME  おわり  NEXT