美ら沖縄
13.4.14〜4.17

今度の沖縄行きは、本来なら中国のはずであったが、尖閣問題から、気が進まなくなり

何処か近場でと、物色していたところ、LCCのTVを見て、沖縄を見つけたという次第である。

沖縄も、以前と違いLCCの就航から、料金が安くなり旅行者にとっては、実に有り難いことで

また観光客が増えることで、地域の経済の活性化にもつながり、日本の潤いにもなるのであろう。


旅はパック旅行、中部空港より日本トランスオーシャン航空の午後の便で出発する。 飛行機はボーイング

社製の安全キャリア機737‐400である。 座席は通路を挟んで6列、但し前席のス‐パ‐シ‐トは5列並びである。
 
JALの制服のアテンダント3人が乗り込み、サービスはソフトドリンクのみ、但し、酒類は有料のサービスである。

座席のTVもなく、イヤホーンも機の入口に置かれていてセルフ・サービスとなっている。 所要時間が短いから

特に気にもならず、那覇空港へは2時間半で到着する。 空港には係員が出迎えてくれ、”沖縄は凄いスコール

があり、バスの窓はバケツで水を掛ける様な降りでした、明日は天気になると、良いのですが” と、心配しきり。

早速、バスに乗り込み、今夜の宿、沖縄ナハナ・ホテルへと走る。 宿は国際通りや県庁、市役所のある

那覇市の中心街に建つシティー・ホテルで、空港より10分ほどでついた。 


ナハナ・ホテル

ホテルは12階建で9階の部屋に案内された。 床がチョコレート色をした洒落た模様で印象的、すっきりしたデザインで

スペースも広く、障子風の窓を開けると、通りに面していて、前は空港からのモノレールの軌道がカーブを描いて通っている。

通りに面しているが、静かなもので、今夜は、こちらでゆっくり休ませて貰う。



ツイン部屋

朝、起きて見ると、どうやら空模様は晴れ、食堂に下りると、係員の明るい挨拶が爽やかである。

朝食は洋食と沖縄風のバイキングで、サラダとして海ぶどうが出ていて、口に入れると、ぴちぴちと房が

割れる歯ざわりが良く新鮮なのであろう。 フルーツにはファッション・フルーツがあり、やはり現地なら

ではの食材である。 最近の日本の食事を見ていると、何処も贅沢になり豊かになっていているのが

よく分る。 食事を済ませ、本日は9時出発のバスに乗り込む。 南国の朝日が輝き、現地のガイドの

紹介があり、良い1日になりそうだ。 まず本島の南部地区にある南城市の太平洋に面した新原(み−ばる)

ビーチへと進む。 ホテルを出て、沖縄本島を東シナ海側から南の太平洋側に向って507号線で進むと

間もなく街はずれとなり、南国風のビロウ樹や芭蕉の木が茂り、特産のサトウキビ畑もも点在し、本土では

見られない風景である。


沖縄本島は亜熱帯地域で八重山諸島の様な熱帯地域ではない。 人口は約120万人で沖縄県全体

にしても140万人である。 沖縄本島は北中南部と別れ北部は原生林の地域が多く過疎であり人口は

南、中に集中している。 本土と違い毎年増加して、最近は本土からの移住者も増えていると言う。

しかし、経済的には、第2次産業が日本一低く、サービス業を中心とした第三次産業が主な産業である。

特に観光産業が約11%を占め、米軍基地関係の収入は約5%を占めるそうだ。 従って県民所得は

日本の平均の7割程度になっていると言う。 


新原ビーチ

バスはやがて南風原町より48号線に入り、南城市を南下して島を横断し太平洋側に出る。 此処は

南城市玉城地区で「新原ビーチ」の看板が見え、入って行くと駐車場があり、こちらで降りる。 崖の道を

下りていくと、素朴な海岸が広がっている。 人は疎らで建物も少なく、リゾートの感じがしない。 しかし

水の色が素晴らしい南国のエメラルドグリーン、砂浜をよく見ると、砂ではなく全て珊瑚である。 珊瑚の

枝ぶりの残った形や色々な形の珊瑚の破片が敷き詰められた砂浜である。 波が静かに寄せ穏やかな

朝陽にコーラルサンドが映える。 水際で学生風の娘達が嬉しそうに、はしゃいでいる。 こちらに向って

来たので、”どちらから来たの?” と訊ねると、”神戸から来ました、こちらでホームステイしています。”

ステイの小母さんたちが良い人ばかりで、気持ちがよく、楽しくて帰れなくなりました” と言う。 はしゃぐ

筈である。今迄、こんな気持ちになったのは初めてと言っていた。 はちきれそうな娘さんのエネルギー

に励まされ、こちらも、力を振り絞って、ぶらぶらと、形の面白い珊瑚を拾いながら海岸を散策。 こうした

太平洋の自然で静かな美しいビーチ風景も眺めていると、副交感神経が活発になり、気持ちが良い。

雲達は、まだ春の様子、これから温度上昇と共にエネルギッシュな積乱雲に変わって行くのであろう。



新原ビーチ

こちらのマリンセンターではグラスボートで珊瑚の海底見物もできるそうだ。

孫娘の土産に珊瑚の破片を拾い浜辺から崖を上って、マリンセンタ−に立ち寄り

センターの女性に”沖縄に梅雨はあるのか”と訊ねると、”5月頃から始まる”と

おっしゃる。 今日の海の色も空の色が悪いから良くないそうだ。 晴れると青が

濃くなりもっと素晴らしいとおっしゃりながら、ポケットから飴を出し食べなさいと言う。

先ほどの女学生が言っていたが、沖縄の人達は、いい人ばかりと言っていたが、

確かに、こちらの女性も、人懐こくフランクであり、話好きである。 島国で昔から

中国や薩摩などに挟まれ、外交的に生きる為、身に着けた習性かも知れない。



神戸の女学生達

新原ビーチを見て、那覇市に引き返し、昼食をホテルで取る。 午後からは国道58号線を北へ向って読谷村の

琉球村へ出発。 国道58号線は那覇市より国頭村まで、元は1号線と呼ばれる米軍の軍事道路で那覇軍港や、

普天間基地、嘉手納基地などを繋ぐ沖縄の大動脈であった。 当時は緊急時の滑走路としての利用も考えられ

沖縄復帰後、58号線として日本の管理下に置かれる様になり整備されてきた。 那覇より浦添市を経て宜野湾市

に入ると鉄柵で囲まれた米軍基地が続く。 普天間飛行場は宜野湾市の20%を米軍施設全体では32%を占め

るそうだ。 基地内は芝生などが植えられ公園の様に整備されている。


宜野湾市米軍基地



嘉手納貯油施設

普天間飛行場をぬけると、更に北谷町(ちゃたん)の米軍施設キャンプがあり、次いで嘉手納町に入ると

街の82%が飛行場と言う状況で、実際に現実を見ると、沖縄県民の嘆きが胸を打つ。 続いて読谷村は

村の36%が米軍用地となっている。 目的地の琉球村のある恩納村はキャンプ・ハンセンが29%を占

領している。 他残りの地区を合わせ沖縄本島全体には米軍施設が島の面積の約20%を占める状態で

特に中部に集中し10市町村のうち8市町村が施設を抱えている。 58号線はビロウ樹などの街路樹が

植えられ綺麗に整備されているが、あだ花のようである。 那覇からは、まるで軍事施設を見学のような

行程で琉球村に到着する。


琉球村

チケット販売所

琉球村は沖縄各地に残された民家を移築し、昔ながらの佇まいを再現した民俗村で、実際に

現存しているかの様に自然に馴染んでいる。 入口をはいると、土産物や民芸品など売っている

お祭りの様なブースをぬけると、琉球番所があり、当時の民族衣装を着けた、あご髭を蓄えた小父さん

が威厳を持って迎えてくれる。 番所を貫けると竜宮城の様な楼門があり、前には大きなシ−サーが

迎えてくれる。 その前を通って、萱葺きの家の先に赤瓦の屋根に魔よけのシーサーが立つ、旧仲宗根家

がある。 この家は200年前の民家だそうで沖縄の家は台風が多い為か建ちが低い。 その他、古い

製糖工場、登り窯、水車小屋などもあり、長閑な風景が広がり、昔の生活ぶりが伝わって来る。

 石垣のある古い建物のなかでは染色や陶芸絵付けなど手作りの沖縄文化も味わえる。 



番所 の小父さん




楼門




仲宗根家




キジムナ−の家

沖縄を代表する妖怪、地域によっては、セーマ、ブナガヤなどと呼ぶところもある。古いガジュマルの木に

住んでいると言う。 妖怪は分かっていないことが多いが、神通力をもつとか、人なつこいとか伝説がある。



旧島袋家

名護市羽地より移築され、明治期に建てられた民家で、所有者は農業で成功したといわれている



旧比嘉家

1982年玉城村百名より移築され、沖縄の稲作発祥地「受水走水」の地主の129年の旧家。

沖縄の泡盛について広く紹介され、泡盛の器が多く並べれれている。


旧大城家

糸満市兼城より移築され、糸満に移築される前は首里に建てられていた。

王府の重臣与那原親方の邸宅であった。 サンシンの音色が聞こえて来る。

中に入ってみると、琉球衣装に正装した熟年の女性がサンシンを弾いていた。

この家は国登録文化財で格式の高い士族が居住していた屋敷で、沖縄の家は

日本の侍の家の様に玄関がない、その代わり 家の前にヒンプンと言う四角い

石塀の様な石を立て玄関の代わりとしていると言う。 男性は石塀の右側を

通って家に入り、女性や身分の低いものは、左側からは入るそうだ。 沖縄も

やはり儒教の影響があるようである。



シーサーの魔除け

琉球村ではNHKのテレビドラマの「テンペスト」で、「園内中央広場」、「旧比嘉家」、

「旧平田家フール」などが撮影に使われ、日中合作映画「天上の風」では琉球村の

「道ジュネー」と「エイサー」のシーンが使われたそうだ。



水車小屋





場内のチャンプル劇場で沖縄民謡が三時から始まり拝聴する。 民謡の後、

恩納村の琉球村より読谷村の今夜の宿・ホテル日航アリビラへと走る。

ホテルは東シナ海に面した小高い場所に大きな敷地の中に進入道路があり

ガジュマルの並木が植えられ、そこを入って行くと、スペイン風の赤い屋根の白い

ホテルが見えてくる。 こちらでは2千年沖縄サミットの時、ドイツ・シュレーダー首相

とイタリア・アマート首相が泊まったところだと言う。



ガジュマルの並木




スペイン風のホテルの佇まい

ロビーに入ると、正にエキゾチックな中庭を持ったスペインに来たような雰囲気である。

部屋のキーを貰って、部屋に入る。 部屋はリゾートらしくバルコニーを持ったコロニアル風。

外を見ると庭園があり白いチャペルが南国の夕日に輝き、その先に東シナ海が広がっている。

まるでスペインにいる様な錯覚を持つ。 時間があるので、何処か近くでいいところがないか

フロントへ尋ねてみる。 フロントの女性が近くでは「珊瑚畑」か「むら咲むら」と言う琉球王国

のテーマ館があり、NHKのドラマ「琉球の風」のオープンッセットにも利用された所だと言う。

少し、時間が厳しく、諦めてホテル前のニライビーチを散策することにする。 ホテルの名前

『アリビラ』の意味が気になったので訊ねると、スペイン語のAlivio(くつろぎ)とVilla(別荘)

の造語だと言う。 どおりでスペイン臭い筈、沖縄の風土に似合うからとおっしゃる。


 
部屋からの眺め




中庭よりみるホテル

中庭から出てビーチへ行く。 珊瑚色の浜が広がり水色と白のパラソルが連なっていが、

未だ利用する客は疎らで、人待ち顔。



ニライビーチ

ビーチより振り返ると、ホテルとグローリーチャーチが美しい景色を造リ出し

爽快な気持ち、ぼんやり眺めていると、時空を越えた感覚がよぎって行く。


ピンクの砂とホテルと教会




洞窟風の岩より見るビーチ

浜は奇岩が多くアオサが絡みつき、変化に富んだ海岸である。




アオサのついた浜辺は果てしなくつづく、右手の丘側にはホテルのブライダルの白い

教会・クリスティアが紺碧の空に聳え立つ。 沖縄とは思えない不思議な風景である。



クリスティア教会

ビーチ散策より部屋に戻り、風呂に入る。 バスタブ、とシャワー、洗面所、トイレが別れ

夫々仕切りされていて、様式では珍しく、気持ちよく利用できる。 水廻りの水圧も豊富で

僅かの時間でバスタブは湯が満たされ、流石に1級のホテルだけある。 今夜の食事は

5コースに別れ、和食、中華、洋食、スペイン料理、沖縄と洋食である。 やはり土地のもの

が食べたく、後段の「沖縄と洋食」をチョイスした。 那覇料理と言っても、マグロや海老の刺身

やモズク、ゴーヤや豚肉料理で、南国で香辛料の効いた物が多いと思いきや、いたって日本風

どちらかと言うと、酢味があり、台湾か中国の感じがする。 春雨と野菜のサラダがあり、胡麻油の

香ばしい薫りがあり実に美味かった。 また紅芋やマンゴー、パインアップル、バナナ、アセロラ

など地元の食物がやはり新鮮で美味しかった。 それにデザートで「あんだぎー」と言うドウナツの

ような小麦粉と紅芋、鶏卵、砂糖をねった甘い揚げ物で、素朴な味で噛んでいると、淡い甘さが

何とも美味しいかった。


ホテル正面

翌朝、早く眼が覚め、ホテルの表を散歩する。 今日は快晴、気持ちの良い朝である。

しかし、ホテルマンの話では天気が崩れると言う。 ちょっと想像できないが、後は天に任せて。

昨日は海辺を歩いたが、丘側は青い柴のパターゴルフ場やテニスコートが広がり、ナツメヤシ

の木が植えられ、昨日、見た2つの教会の表側がイメージを変えている。



朝日を浴びるグロリー教会




同 クリスティア教会

朝は洋食のバイキングを済ませ、今日は恩納村から名護市まで125kmの行程である。

ホテルのスタッフに見送られ、先ずは恩納村にある「万座毛」に走る。 国道58号線に乗って

海岸線を30分ほど走る。 万座毛は恩納村にあり、日本屈指のリゾート地で大型リゾートホテルが

立ち並びホテルやリゾートの勤務者が多く日中と夜の人口が大きく変わるそうだ。 また、この辺りの

58号線沿いは景勝地で基地外の米軍属の住宅が海の見える斜面に多く建てられ沖縄の高級住宅

地化している。 高台の所に「万座毛」はあった。 どうやら雲行きが悪くなり、海の色が冴えない。

 高台に向って低木の亜熱帯の木が茂り、阿壇の木(タコノキ)が多くある。 阿壇の葉や幹は繊維が

多く、パイナップルの様な大きな実がなり、戦時中は食糧不足で、この実をよく食べたそうだ。

編んで帽子や篭などに利用するそうだ。 柵の設けられた遊歩道を歩いて断崖に着く。 


万座毛

万座毛は東シナ海に面した絶壁でサンゴ礁が隆起して出来た岩礁で柴草原に覆われている。

琉球王朝時代、尚敬王が「万人を座するに足る」と賞賛したことから名の由来となり、「万人も座する草原」

と言うことから「万座毛」と付けられた。  *毛とは草原の意味  岩礁の形が象の鼻の鼻に似ていることから

「象の鼻」と呼ばれている。 その対岸は万座ビ−チリゾートが広がり、読谷村の残波岬から、この辺り一帯は

海岸国定公園に指定されていて、雄大な海の光景が眺められる。 しかし今日はいま一つ。


「象の鼻」




透明の海




対岸の万座ビーチ




沖縄サミット時、アメリカ・クリントン大統領が泊まった
ANAインターコンチネンタル万座リゾート

万座毛を見て、ナゴ・パイナップルパークへ。 途中、ダイヤモンドビーチ、みゆきビーチ、ミシシッピビーチと

リゾート地がつづき、名護市に入って、かりゆしビーチ、ブセナリゾート、嘉瀬ビーチ、幸喜ビーチと、ビッグリゾート

の連続で、これだけの観光客を沖縄は受け入れている。 名護市の市街に入り、名護市役所傍から58号線とも

分かれ、84号線に沿って内陸部に入って行くと、椰子の木と赤い屋根のパピリオンが見えてくる。


ナゴパイナップル・パーク

パイナップルパークは一面に広がるパイナップル畑や亜熱帯植物が生い茂る温室があり、場内を

自動運転のカートで見学することも出来る。 またパピリオンの中ではパインの歴史や資料などが

展示され、パイナップルワイナリーがあり、パイナップルワインの製造工程が見学出来る。 勿論、試飲

もでき、生のパイナプルも試食できる。 また、パイナップルを原料としてジュースは勿論いろんな食べ

物が作られ、販売されている。 こちらは、パイナップルとワインを試食させてもらい、「ちんすこう」を

(沖縄のお菓子)買ってお別れ。


パイナプル畑



あらゆるパイナップルに関連する商品を売っている


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