美ら沖縄2

パイナップル・パークを出て、同じ84号線沿いの名護市にある「森のガラス館」にもよる。

こちらは伝統工芸の琉球ガラス工場で、ベネッチヤとかで見るガラス作りと同じで違いは

分らなかった。 ペンチやヤットコで熱しられたガラスを柔らかい内に細工して造形をつくる

と言うもの。 職人が見る見るうちにガラス塊から馬を造形する、その速さが見もの。



熟練職の技




ガラス作品の販売

ガラス工場の名護市を出て、更に本部半島の先端の備瀬崎にある海洋博公園に向う。 

パイナップルパークに入った頃から天気がおかしくなり焦っていたが、とうとう雨が降り出した。

本土と違って降りが男性的である。 折角の海洋博公園の景色も台無しになりそうだ。 そんな

心配でバスのワイパーが激しく揺れる中、海の見える大きな駐車場に到着する。 公園は海に

面した広大な広さ(71ha)を持ち横に大きく広がっている。 まず中央のゲートに向かい添乗員

に誘導されて進んで行く。 ゲートをくぐった所で説明があり、入場券を貰って自由解散となる。


まず、ハイサイプラザで昼のランチとする。 メニュウを聞くと、カレー、たこライス、中華蕎麦、

ハンバーグと言う。 たこライスを注文しようと、たこ飯だね?と確認すると、たこではなく、沖縄

では、メキシコ料理のタコスの乗った御飯だ、と言う。 結局、ハンバーグで腹を納める。


こちらの海洋博公園は昭和50年の沖縄国際海洋博覧会を記念して博覧会の跡地に建設された

国営公園で、歴史と文化の海洋文化館エリアと、海のへリアの水族館とイルカショーと ビーチ、

それに花と緑のエリアの3区域から構成されている。


雨の海洋博公園




美ら海水族館

まず、実演時間の決まっているイルカショ−に行く。 シヨーは、おきちゃん劇場で始まっていた。

大きなスタンドがあり、正面に伊江島の見えるプールである。 バンドウイルカやオキゴンドウが

プールを泳ぎまくってのショーである。 先だって和歌山で見たショーの方が音楽が入りでダイナミック

な感じがしだが、こちらのイルカはトレーナーの指揮により、イルカの奇声がGA〜と場内に響き渡る。

イルカの合唱には驚かされた。


イルカラグーンとエメラルドの海、先に見える伊江島

イルカショーの後、水族館へ入る。 海水族館は海展望の4Fから始まり、3F珊瑚と熱帯魚、2F黒潮の回遊魚

1F深海魚の世界へと、低い階へと自然に進む構造になっている。 各階、沖縄の海に生息する生物がいて、

歩きながら沖縄の海の素晴らしさが見ることが出来て、何と言っても、黒潮水槽での約8メートルの2匹の 

巨大ジンベエザメのゆったりと小魚を気にもせず遊泳する様は雄大そのもので、大らかなムードが漂う。

大きな水槽内を眺めていると、自然の大きさと、生命の不思議さを感じさせてくれる。


イルカショウ、背景は伊江島




黒潮水槽を眺める人と鮫




2匹のジンベイザメ

水族館の次は是非見たいと思っていたエメラルドビーチ、雨がひどくなり無理かと思ったが、

海亀・マナティー館の前より公園内を周遊している遊覧車に乗り込む。 遊覧車はオープン車

であるが、雨よけのビニールが被されやってきた。 運転手さんにビーチの様子を聞くと風もあり

海だから厳しいと言う。 兎に角、乗りかけた船、行くだけ行くさ! ビーチに着き、ビーチハウスの

兄さんに聞くと雷警報が出ていますから注意して下さいと言う。 ビーチには流石に物好きは一人

もいなかった。 ビーチの空は灰色で、海面も微かな青を見せるだけで、シーサーがポツリと座り

込み風雨に耐えていた。 暫く、海を見つめていると、ビーチハウスの小父さんが雷が危険だから

早く避難して下さい、というので、恨めしく引き上げることにする。

 
雨のエメラルド・ビーチ

エメラルドビーチを最後に、ビーチ前より遊覧車に乗り公園を半周して中央ゲート前に戻る。 

願わくば、天気が良い海岸遊歩道を歩いてみたかった。 バスに乗り込み名護市の今夜の宿

沖縄マリオット・リゾートへと走る。 ホテルのアプローチらしい並木の坂道を上って行くと、小高い

丘の上にホテルはあった。 入ると、吹き抜けの天上がガラス張りの大きなロビーホールがあり、

床の大理石の磨きが鏡の様に輝いている。 高い椰子の木も植えられていて南国を感じさせる。

ロビーホールで部屋の鍵を貰い。 エレベータで6階に上り、部屋にはいる。



ガラス天井の明るいロビーホール

部屋のフローリングが木であるが、ロビーと同じ様にピカピカに磨き上げられ、非常に清潔感が感じられる。

日航ホテルと同様部屋は広く、バルコニーと隣り合わせに、明るいサンルームがある洒落たつくりが気に入った。



ホテルの部屋

食事まで時間があり、外に出る。 天気が不安定で降ったかと思うと日が差したり、はっきりしない。

ホテルは名護市の南端に位置し、リゾート地らしく。 ホテルの東には喜瀬ゴルフ場が広がり、あちこちに

大きなホテルが建っている。 ホテルを出てガーデンプールから坂道を下りて58号線を越えた所に

ホテルのプライベート・ビーチを持っている。


部屋からの展望、プールの先はかりゆしビーチ

夜の食事は和会席と洋食ビュッフェ、それと沖縄バーべキュの3コースからの好みを選ぶもので

洋食のビュッフェにする。 ダイニングルームは海の見えるガラス張りの大きな部屋、沖縄バーベキュー

の方は人気があるのか、ダイニングルームは一杯であった。 お陰でこちらは、ゆっくりと食事が楽しめた。


朝起きて、今日は首里城の見学となるが、出発まで時間があるので、ホテルを下った所の部瀬名岬には

2000年の沖縄サミット首脳会議が開かれた会場があると言うので、出かけてみる。 ロビーで道順を

係員に尋ねると、「お送りしますよ」と、車で現地に送ってくれた。 さすが一流ホテルはサービスもいい。

ブセナの公園は車の乗り入れが禁止されていて入口で下ろして貰う。 海岸線の遊歩道を歩いて行くと

海水浴場やホテルが建ち、海中公園があり、ダイビングやグラス、ボ−トで海中を見ることが出来る。

珊瑚礁の海は磯の匂いがしないと言われるが、確かに沖縄の海はどこも磯の匂いがしない。



部瀬名岬の先にサミット会場がある




海中公園見学のグラスボート

ぶらぶらと浜伝いに遊歩道を歩くと、サミット会場の万国津梁館(ばんこくしんりょう)は岬の先にあり

幅の狭い階段を上がって行くと石垣で囲まれた中にあった。 各国の首脳が集まるでだけに周囲は海で

警備のし易い場所であるのが分る。 万国津梁とは万国、即ち世界、津梁とは「かけはし」と言う意味で

世界の架け橋になろうということで、首里城正殿の梵鐘に刻み込まれている銘文から名付けられたそうだ。

館は岬の360度展望のきく素晴らしいロケーションである。 赤瓦の勾配の小さい沖縄風の建築様式で

 建てられ現在は県営のリゾートコンベンション施設で国際会議やパーティーなどに利用されているそうだ。


万国津梁館の石垣




万国津梁館、サミット会議場

”帰りには、知らしていただけば、お迎えに来ます”と運転手が言っていたが、散歩がてら歩いて返る。

次は沖縄旅行最後の首里城、ホテルを10時にバスで出発。 本島を縦貫する沖縄自動車道路の北

の出発地である許田I.Cより乗り込む。 往きの58号線と違い専用道路なので気持ちがいい。 沖縄

の北部地区は原生林に覆われていて、この辺りも原生林が茂り水が豊かだそうで、沖縄中南部は

過去、渇水期に水がなくなり、300日を越えて給水制限があり、平成9年にこちらから南部への導水

が始められ、ダムも出来て安定した給水が可能になったそうだ。 沖縄自動車道は那覇ICまで57.3

 kmあり、有料で開始したが、使用率が上がらず赤字が続き、無料化にして渋滞が発生して、最近は

また有料に戻ったそうだ。 バスは宜野座村のダム横を通り森の中を走り、金武I.Cをぬけて中部地区

 の珊瑚で有名な「うるま市」に入り森とも別れる。沖縄市から中越村に入ると、また米軍基地が見える。

間もなく道路は那覇インターへと那覇空港道路とに別れ、バスは那覇インターより市内に入り

首里城に到着する。 


首里城

首里城は琉球王朝時代からの城で沖縄の歴史そのものである。 城の創建は定かでないが琉球統一の

尚思紹王の14世期頃と伝えられ、その後、薩摩藩の支配下に置かれ、明治の「琉球処分」により琉球県

として日本軍の支配となり、第2次大戦で焼失し、1992年に現在の城が再建された。 那覇市の西部小高い

丘に立ち、曲線を描く城壁に取り囲まれ、その中に多くの建物が建てられている。 また信仰上の聖地も

あり。内側城郭と外側城郭に分けられ、内郭は15世紀初期に、外郭は16世紀中期に完成したと言う。

正殿を初めとする城内の各施設は東西の軸線に沿って配置されており、西を正面としており これは

中国や日本との長い交流によるよるもので、他にも中国や日本の建築文化の影響を受けている。

首里城は大よそ国王とその家族が居住する「王宮」である部分と、王国統治の行政機関「首里王府」

の部分に分かれている。 また、神女を通じての王国祭祀の中心でもあった。 芸能・音楽がよく

演じられ、美術・工芸の専門家も多く、首里城は沖縄に文化芸術をもたらす原点でもあった。



守礼門

首里城社館(案内所)より入り、なだらかなスロープを登ると、先に国宝の守礼門が見える。

中国風の牌楼形式(ぱいろう)の門である。 この辺りは、中国に朝貢していた歴史でもあり

扁額の「守礼」は「礼節を守る」という意味だそうで、小国が列強の中で生きていく知恵でも

あろう。 守礼の門をぬけると、左手に、道に沿うて廟所の門の様な園比屋武御嶽石門が

ある。 この門は人が通る門ではなく、神への「礼拝の門」の為のもので、国王が外出する

ときに安全祈願をする礼拝所である。 1519年に建てられ国指定重要文化財で世界遺産

でもある。


園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)

さらに坂道を上って行くと、首里城の城郭に入る第一の門、「歓会門」がある。

「歓会」とは歓迎するという意味で、往時、首里城へは中国皇帝の使者・冊封使が

来場したため歓迎するという意味で名が付けられたそうだ。



歓会門(かんかいもん)

次いで瑞泉門がある。 瑞線とは「立派でめでたい泉」という意味で、門の手前

右手にある湧水が「龍樋」と呼ばれることから、これにちなんで名付けられた。


瑞泉門




湧水の龍樋

湾曲した城門に沿い上ると、道はぶつかり、門は右手に方向を変えた「漏刻門」である。

漏刻とは中国語で「水時計」という意味だそうで、当時、水時計により役人の登城を管理し

身分の高い役人は駕籠で首里城へ登城したが、此処で国王への敬意を表し駕籠から

下りたという。  創建は15世紀頃とされる。



湾曲の城壁




漏刻門

漏刻門をくぐると、また同じ様に鍵の字に角度をかえ「広福門」がある。 意味は福を行き渡らせるということだそうで

第四目の門である。 建物は門の機能をもっているが、王府時代は神社仏閣を管理する「寺社座」と、士族の財産を

めぐる争いを調停する「大与座)」という役所機能も置かれていた。 この形式も首里城の特徴でもある。 門前の眺め

が良く、沖縄県立芸術大学も見える。 また首里森御嶽石門がある。首里森(すいむい)とは首里城の別称で御嶽

とは沖縄の聖地または拝所のことで、10カ所の拝所があった。 首里森御嶽は、その中の10番目の拝所である。

ここは国の最も重要な拝所で、首里城よりも早くから、こちらに存在していたと言われている。


広福門




城より見える沖縄芸術大学



首里森御嶽石門

広福門を入ると四角い広場で左に奉神門がある。 神をうやまうという意味で、首里城正殿のある御庭(うなー)

へ入る最後の門である。1562年以前に建てられ、1754年に中国にならい改修したが、平成に外観が復元された。

現在は公園管理のための施設として利用されている。 御庭(うなー)に入る。 首里城の中心で正面が「正殿」、

向かって右(南側)が「南殿・番所」、左(北側)が「北殿で、これらに囲まれた中庭広場である。 こちらでは国の

儀式が行われた所で、御庭には磚(せん)と言う敷き瓦が敷かれているが、この色違いの列は、儀式の際に諸官が

位の順に立ち並ぶ目印の役割をもっていた。 日本でも平城京や平安京時代は同じ様な儀式を行っていた。


奉神門

正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿ともよばれ、文字通り全国の浦々を支配する象徴として

最も重要な建物である。 正殿を二層三階建てとし装飾化した龍柱は日中にも類例がなく、琉球独自

の形式で、首里城正殿の壁等の彩色塗装には、桐油が塗られ下地の一部は漆で塗られている。



正殿




正殿、装飾化した龍の模様

正殿内1階は下庫理と呼ばれ、国王自らが政治や儀式を執り行う場である。 2階、大庫理は

日常的には王妃や身分の高い女官達が使用した空間である。 御差床は国王の玉座として

儀式や祝宴が行われたところで、寺院の須弥壇に似た造りである。 天井も高く、朱柱には

金龍と五色の雲が描かれステージ高く格式が保たれている。 


正殿内1階、御差床



御差床、玉座




王冠




北殿で行われた沖縄サミットの夕食会 森元首相時代

首里城見学の後、那覇市の県議会堂前でフリータイムとなり、那覇市のメイン通り、国際通りを

散策する。 県庁、市役所前から安里(あさと)三叉路までの約1.6kmの通りで、昔、アーニーパイル

国際劇場があったことから「国際通」と名がついたそうだ。 沖縄の観光スポットでもあり、土産物店や

食堂など店屋が並び、何処か長い米軍の駐留からか、アメリカの匂いのする街である。 こちらで孫達

への土産を買い、帰路に着く。


ルーバーのある那覇市役所




椰子の並木の国際通り




那覇空港 機内より

旅の終わりに

沖縄の観光客は2012年度、590万を越えたと言う。 人口も増え、内地からの移住者も増えていると言う。

140万の人口で、なんと4倍以上の人を集めている。 日本の人口が1億2千万から考えると、その集客力の

強さが分る。そこには風景の良さと、何といっても沖縄県民の人情の良さがあり、那覇言葉に「なんくるないさ〜」

と言う言葉があるが、意味は「正しい事を真剣にすれば、いつか良い日が来る」と言うことだそうだが、

「何とかなるさ〜」と言う楽観的な気分が、このゆったりとした時間と穏やかな雰囲気をつくるのであろう。

因みに沖縄では、男は空手、女は舞踊を習う人が多いそうだ。

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