和歌山・白浜ベンチャーワールド
13.1.2〜1.3
正月休みに和歌山を訪れた。和歌山は東名阪道路で大阪・松原インターより阪和自動車道経由で
三時間ほどで紀ノ川を越えると到着する。 和歌山市は「和歌浦湾」に面した人口36万の都市で
県の40%の人々が集中している。 和歌山インターを下り、バイパスより三年坂通りを直進すると
右手に和歌山城がある。 正月旅行も3年続き恒例になった。 今回は和歌山城と紀州・徳川家
の西浜御殿のある養翠園、それに南紀白浜のアドベンチャーワールドの見物である。
和歌山城裏登閣口
和歌山城は正月のこと、駐車場が込んでいると思い、近所の民間の駐車場に止め、 3年坂通りから
中に入ると、何のことはない、場内に大きな駐車場がありがら空きであった。 屠蘇気分か気前がいい。
裏登閣口より入場し、曲がりくねった坂道を登って天守閣に上る。 それでも天守閣には大勢の観光客
がいた。 天気に恵まれ、南国らしく暖かい正月である。 天守よりの四方の眺めは素晴らしく、澄み渡り
「和歌浦」の海が綺麗に見えた。 この城は大天守、小天守、乾櫓、二の門櫓と連なった連立式天守閣
である。
天守閣
天守より望む和歌山港
城は天正13年(1585)豊臣秀吉の弟・羽柴秀長が築城に取り掛かったが、秀長は完成を見ずに大和郡山に
あり、その後、和歌山に戻ることはなかった。その為、家臣の桑山重晴を城代としてあとを受け継ぐ。 桑山氏
は14年間に本丸を中心に築城を進めた。 慶長5年の関が原の戦いで軍功のあった浅野幸長が入城し、19年間
に渡って務め、二の丸の整備や内堀、石垣などが修築された。 桑山氏は大和布施に移封された。 浅野氏は
その後、広島に転封され、かわっのて家康の十男・頼宣が55万5000石を領して入り、更に規模を拡張し、以後、
徳川御三家の居城となり、「南海の鎮」として西国への睨みをきかす拠点となった。 その間、250年、和歌山
繁栄の基礎となり、現在の城址の規模は頼宣入城後のものである。 天守閣は1945年の戦災で焼失したが
58年に現在の姿に復原された。
西の丸庭園門
天守閣を見て、裏側に位置する「西の丸庭園」へと坂道を下りていくと、大きな池が見え、西の丸の
萱葺きの庭園門があり、それを入ると、「紅葉渓庭園」が広がり、池の右奥に、御橋廊下が滑り台の
様に、二の丸と西の丸を繋いでいる。 「御橋廊下」は二の丸の中奥や大奥よりの藩主が行き来する
橋で、外から見えない様に、壁と屋根が設けられた廊下で珍しい造りとなっている。 紅葉渓庭園は
初代藩祖・頼宣が、西の丸御殿に築造したもので紅葉渓の名で親しまれてきた。浅野氏時代に築か
れた内堀の一部と伏虎山の地形を巧みに利用して起伏のある庭で、護岸には、緑色や紫色など紀州
の名石を配した江戸時代初期に作庭された名園と言われ、二の丸よりお出ましの藩主には変化もあり
政治の思索や健康維持の為、ここの遊歩道を何度も通ったことであろう。
御橋廊下
紅葉渓庭園の鳶魚閣
紅葉渓庭園を最後に城を出て、中央通り(42号)を南下し、水野口で右折して西浜に向いて走ると、紀州徳川家
の湊御殿のある養翠園がある。 この庭園は紀州10代藩主・徳川治宝(はるとみ)が造った庭で、南港から
海水を取り入れ、治宝が湊御殿から清遊の場としてつくられた大名庭園である。 栗林公園とは規模も小さいが
松を主とした10000坪の広さを持ち、大小の池を中心に池の南に太鼓橋が架かり、中国の西湖を模した3つ橋が
繋がり鴨寄せ場や、金柑畑、あやめ池など、回遊者を厭きさせない。 池の西には数寄屋造りの茶屋「養翠亭」が
ある。 亭内には御座の間、御用人詰所、茶室等があり、藩主が使われた建物として旧状を留める別荘建築として
残るものは珍しく養翠園は国指定の名勝に指定されている。 その奥には湊御殿がある。
養翠園・正門
天神山を借景とした養翠亭よりの風景
池を渡る3つ橋
中国の西湖を模したと言われる景観で、橋の左が直線的な護岸をもった中国式庭園、
右は曲線的な護岸をもった日本式庭園となっている。
太鼓橋
養翠亭・茶室
湊御殿
湊御殿は紀州藩2代藩主徳川光貞の隠居所として1698年に造られ、隠居した藩主が生活するために、
御殿の敷地内にはたくさんの建物が建てられ、その中の一つが奥御殿である。 湊御殿があった場所は
城より南西方向にあったが、何度か火事になり多くの建物が焼失し、その都度再建された。 移築された
奥御殿の建築年代については移築工事中に小屋束から「天保四年四月十三日 改」と墨書きされた部材が
発見されたことから11代藩主徳川斉順が、消失した湊御殿の再建を1832年に命じ、同5年に完成させたと
されている。
養翠園の後、猫好きの孫娘が猫の駅長を見たいと言う。 訳を聞いて見ると、和歌山電鉄の伊太祈曾駅に二タマ
と言う猫が駅長代理をしているそうで、最近、この猫駅長がネットでブレークして観客が増え、営業に貢献している
と言う。 今回も、猫ファンが尋ねていた。 この和歌山電鉄貴志川線は、以前、南海電鉄の経営であったが採算が
取れず、2005年2月廃線の危機となり、県や市、地元の熱意で南海電鉄より買い取り、2006年4月、岡山電気軌道
が事業運営を継ぐことになり和歌山電鉄株が設立された。猫のご利益もあってか大幅に収支が改善されているそうだ。
伊太祈曾駅
覗いてみると、猫の「二タマ」はガラス箱の中で帽子を脱ぎ捨てて眠っていた。
寝ていても、いいにゃ〜ん!と 駅舎ではネコグッツなども販売している。 やがて
タマ電車が入って来た。 早速、勇姿をパチリ!
二タマの猫駅長は帽子を脱ぎ捨て居眠り中
猫の髭のある和歌山電鉄、タマ電車
タマ電車を見せて貰って、おいとまする。 昼時も過ぎ、昼食をマリーナシティにある海鮮料理をと思って
行っては見たが、店には正月のためか長蛇が出来ていて、直ぐには食べられそうもないので、諦めて
南部への途中で「すっしーくん」と言う、すし屋に入る。 ところが、こちらの寿司が美味く、ネタは新しいし
醤油が実に寿司に合って、子供らと舌鼓を打っ。 店カッコはどうかと思ったが、入って見ないと分らない
ものだ。 海鮮料理が一杯で、それが美味い寿司にありついった。 旅では、こんなこともないとね〜
食事の後は、みなべ町の「うめ振興館」に立ち寄る。 こちらは日本一の梅の町を全国に発信するところ
生産から研究センターと合わせ、日本一の梅産地の中心施設である。 館内は梅林大型パノラマ模型
や、マジックビジョン・科学コーナー・文学・体験ゾーンなど、さまざまなブースがあり、3階には「道の駅」
まで併設されて、みなべ町の物産品の展示・即売が行われていた。
2階、梅資料展示室の梅と鶯
同 梅の種で表面が覆われた観音菩薩
この観音さんは紀州の梅産業の発展に感謝し、今後の発展も願い一粒一粒に祈りを込めて造られたという。
「うめ振興館」を見学し、外に出ると陽は傾き、いい時間になっていた。 今夜の宿「みなべロイヤル・ホテル
に急ぐ。 ホテル近くの南部の目津崎に入ると、観音菩薩像が立ち、神々しく夕日を浴びていた。 ホテルは
更に取付け道路を走り、目津崎の岬の展望のきく小高い所にあった。 車を出迎えの掛員に預けフロントへ。
みなべ目津崎にある観音菩薩
紀州南部ロイヤル・ホテル
ホテル・玄関ホール
部屋は9階に通される。 スペースのあるゆったりとした部屋で、何といっても、部屋からの変化のある
海の風景と山と梅などの畑が繋がる景色が素晴らしい。 ”2月の梅の季節には素晴らしい薫りと眺めが
楽しめます。 是非ご来場下さい”と、ホテルの支配人が言っていたが、確かに見てみたい。 夕食は6時
に依頼し、和洋中のバイキングで正月の御節料理も準備されていた。 今年は傘寿、息子達と、こうして
杯を交わすのも、後、何回できるのか? そんな歳になってしまった。 少年老い易く、速いものである。
息子達と、話を交わしていると、それぞれ当たり前のことであるが、大人になっているのを感じさせる。
何時までも親は息子を子供と思っているが、息子と話すことで自分の歳を自覚させられるものである。
賑やかな孫達との食事で酔いも回り、幸せ感に浸る。 気が付くと孫達は何処かにいなくなっていた。
周囲にいた人達もポツリポツリと取り残されたように少なくなっていて、孫達は餅つきに行ったと言う。
こちらも、そろそろ御輿を上げ、出てくると、家族ずれの人達が群がり、先ほど逢ったホテル支配人が
自ら音頭をとって、餅つきに子供達を誘い込み、よいしょ!よいしょ!と掛け声をかけ子供達が餅を
つき、ホテルマンが手返しをして、つき上がった餅を丸めて黄粉やアンコをまぶし、子供達に配って
餅をついた子供達は、夫々ご褒美を貰っている。 今の子供はゲーム遊びばかりで、こんな餅つきが
新鮮なのか夢中で掛け声に乗って楽しんでいる。 勿論、親達も結構、子供達と一緒になっての楽し
い平和な一時であった。 ホテルも知恵を働かせ、いいアイディアのイベントをつくり出すものだと感心。
次いで孫達は土産ショップへ急いで行った。 後を追うとホテルのアンケートに答えると、何かご褒美
がまた貰えるらしい。 アンケート用紙を覗き込むと、孫息子は将来の目標に「研究者」と答え、孫娘
は「パテシエ」と書いていた。 行き着く先を信じたい。 果たして、どうなるのやら・・・・・
部屋に戻ると、孫達は、またお婆ちゃんから金を貰って、ゲームセンターに出て行ってしまった。
こちらは、何時か夢路へと入って行った。
朝部屋より望む景色
朝部屋より望む山側風景
翌朝は、孫達は昨夜の持ちつきで遊び疲れたのか起床が遅れ、ゆっくりとした朝食をとなる。
外に出ると、昨日の南国の暖かさとは打って変わり、寒波が来たのか温度がすっかり下がり
風もあり寒い。 今日の予定は南紀白浜の内陸にあるアドベンチャー・ワールドに出発だ。
阪和道・みなべインターより入り、白浜へと走る。 先ずは白浜の「白良浜」を見ることにする。
42号線を田辺を過ぎ更に走る。 昔はこの道は熊野街道で、平安京よりの熊野参りの公家達が
通った道である。紀伊新庄で熊野街道と別れ、33号線を海に沿って走ると白浜町に入る。建物が
多くなり白良浜の駐車場に到着する。 車を下りると、海岸の風はきつく冷たく、すっかり日本海に
来た様である。 しかし、孫達は砂浜に向けて走って行った。 白良浜は石英の砂からなる白い
浜辺で環境省による海水浴場百選のほか日本の渚百選にも選定されているが、近年、目立って
砂浜が流失するようになり、防止のためブロックで海中に堤防を築いたり、白砂を投入したり維持
管理をしているそうだ。 こちらは風の来ない陰より見物、白良浜の白砂とエメラルドの海の沖で
時々、風で波頭が立ち、風は寒いが、海の色は南海の様に見える。 やがて孫娘が白砂と
貝殻を宝物の様に持って戻って来た。
崎の湯方面より見る白良浜の松並と白い砂浜
白良浜の白砂
アドベンチャー・ワールド
白良浜を後にして次は、アドベンチャー・ワールドに行く。 白良浜と同じ町内で白浜空港の近くにある。
アドベンチャー・ワールドはサファリエリアと水族館エリア、それに乗り物のプレイゾーンに分かれていて
言わば、動物園と水族館と遊園地が一緒ななった総合テーマパークである。
昨年の大阪のユニーバーサル・スタジオ程は混んでいないが、正月のこと、やはり結構な賑わいである。
大きな駐車場に車を止め、エントランス・ドームよりスタートする。 いきなり、大きなオームが檻なしで
ドームの止り木にいて愛想を振る。 他に九官鳥やフラミンゴ、ペンギンまでが迎えてくれる。 ドームを
一通りみて、まず水族館エリアのアニマルランド、マリンウエーブをパスし、ビッグオーシャンに行く。
入口・エントランス口ドーム
ビッグオーシャンは 巨大なプールを持ったスタンドで、こちらでは、鯨とイルカのライブアトラクションがある
と言う。 既に大勢の客がスタンドの入っていた。 我々もスタンドに入り観覧となる。 間もなく音楽が始まると
プール正面に2人のスエットスーツの女性が現れ、イルカの挨拶からショーが始まる。 正面の大型モニターに
も映され、まるで海の競技場にいる雰囲気である。 前の観客席は透明の飛沫除けがなされている。 いきなり
音楽のリズムが速くなったかと思うと、イルカが強烈なスピードで泳ぎ、水中からジャンプし天井から下げられた
ボールに向って跳ね上がり水面に落ちる。 その水飛沫と音が物凄い。 ジャンップが済んだイルカ達は
調教師から餌をもらって、また繰り返す。 次いでイルカ達は垂直に身体の殆どを水面にだし、尾鰭だけで立ち
泳ぎをして進んでいく。 音楽が代わると、鯨が出てきて同じ様に立ち泳ぎをやったりジャンプをしたり、遂に、
水のないスタンドの客席側の台の上に、次々に飛び乗り、四〜五頭の鯨が身体を並べる。 哺乳類だけに
訓練で凄いポテンシャルがでるのには驚きである。 それにしても調教師と動物との息の合った技は見事
なものである。
イルカの凄いジャンプの高さ イルカの立ち泳ぎ
鯨のジャンプ
台の上に飛び乗った鯨
中でも圧巻は鯨が鼻の先を調教師の足の裏にあて持ち上げたのには凄かった。 更にイルカが調教師の足の裏を
鼻で押して水中から押し上げ全速で泳ぐのに至っては、どんな調教のやり方で芸を覚えさせたのか、興味深々である。
何れにしても動物も調教師も、かなりの訓練を積まないと、これだけの迫力あるパーフォーマンスは出来ないだろう。
エキサイティングな時間を堪能でき見ごたえのあるショーであった。
調教師を持ち上げる鯨
調教師を持ち上げる鯨 調教師を支えるイルカの立ち泳ぎ
ビッグオーシャンの興奮の余韻を持って隣のパンダランドへ。 こちらはのんびりと昨年生まれたパンダの
赤ちゃんが目玉である。 パンダ親子は丁度、食事時なのか室内で笹を食べていた。 パンダ館を見て
怪獣館へ、いやに速い。 こちらでは白熊、ラッコ、ペンギン達が大きなガラス張りの水族館の様な円い
建屋にいて螺旋状のスロープを辿って上からや下から見れるようになっている。
パンダ館
怪獣館のペンギン
昼食の後、子供達はプレイランドとサファリツアーに出かけると言うので、少し付き合い、後は
センタードームでこちらは休憩。 センタードームは中央が吹き抜けの広場となり、周囲は2階の
構造となり、回廊が廻り、レストランや飲食店が並び休憩のベンチが設けられ、土産物の
ショップ等もあり、賑わっている。 こちらは2階で人々の行動に見とれたり、ぶらぶらと
ショップを覗いたり、大道芸のパーフォマンスをひやかしたりして時間を過ごす。
ジェットコースター
ゴーカート
センタードームのホール
エンジョイ・ドーム 沢山のゲームコーナーとキッズ達の乗り物満載
子供達も流石に疲れたのか、戻ってきた。 すっかり日は西に傾き、テーマ−館を後に家路へと急ぐ。
振り返るとセンター・ドームが夕焼けに輝いていた。
夕映えのセンタードーム
この後、地獄の渋滞が待っていた。 アドベンチャー・ワールドから松原インターまで、松原から亀山までは
空いたかと思ったが、また伊勢参りの車と合流し、ご在所SAまで渋滞、すっかり遅れ、家に着いたのは
9時過ぎとなる。 往きはよいよい、帰りは怖〜わい。
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