ネパール・トレッキング
平11.2、20〜2.28
                                                                                                                       
バンコクへ

スイスでアルプスを見たとき、そのスケールの大きさと素晴らしさに魅せられ、世界の屋根と言われる

ヒマラヤを是非一度見たいと思い立ち、身体の動けるうちにと、飛び出した。


小牧よりタイ航空に乗りこむ、立春を過ぎた空は快晴、キラキラと、輝きが目に沁みる。

機内は、すいている。  この分だと、ゆったりと行けそうだ。

順調にフライトはつづき、バンコク到着現地時間2時50分のアナウンスがあり、6時間40分で到着した。


飛行機を降りると、強烈な蒸し暑さ、機内でシャツ一になったにもかかわらず、汗が滲む。

飛行機はバンコクでのストップオーバーで、ネパールへは翌日の出発となり、今夜は此方で

宿を確保する必要があり、イミグレイションでの入国手続きを済ませ、ホールにでる。

ホールは観光シーズンの為かムーとして、賑わっていた。


インフォメーションを探そうとした時、左手より ” HOTEL? ” と声が掛かる、客引きである。

ノーサンキュウ! と断わるが、此方の心を見透かしているように、尚も、ついて来る。

とうとう痺れを切らし、 ” いいホテルがあるかい” と拙い英語で聞くと、 ” リクエストは?” と

翌日の出発が早いので、交通渋滞も考え、市内には入らず、空港近くが良いと言うと、

朝早いのなら、車付きで、安くしてやると言う。  日本円に換算すると8000円程だった。

朝、又、車の手配で手間取ってもと思いOKをする。

彼は早速、何処か電話を掛けていた。

暫らくすると、古びた車が到着した。


車は郊外の道をすっ飛ばし、高速道路にぶつかる、その道沿いに走ると20分程で

静かな田舎風の街に入りホテルはあった。

タイらしく、玄関に番いの象の彫像が構えていて、中規模の洒落たホテルだ。(Louis Tavern Hotel)

中へ入るとレセプションの愛想の良い女性が迎えてくれて、客引きからもらたメモを渡すと

直ぐにチェクインしてくれた。

部屋は二階にあり、アイボリー色の小奇麗に保たれていた。  窓を覗くと、低層の街並が続き、

五時半を過ぎたというのに日は未だ高かく、夏の夕刻を思わす。


バスタブに飛びこみ、ぼんやりと外を眺めていると、疲れが抜け、気持がリフレッシュされて行く。

一休みして汗が引いたところで、ダイニングルームに下りる。


タイ風の煌びやかな仏像や大きな壷があんばい良く飾られ、要所に南国の植物や花が配されていた。

部屋の奥まった所に、バレンタインデイーの飾り付けが、未だ残っていた。

テーブルに案内され、椅子に腰を下ろす。 ウエイトレスがメニュウを

説明してくれるが、要領を得ず、お任せとする。


  風呂上りの爽快感と雰囲気に、ゆるやかな時間が流れる。

暫らくすると、料理がきた。  香草のきいたピリッとした冷やされたタイ風のスープにサラダ、

鳥のグリル、チリとレモンがきいていた。  ビールをのみ、料理を食べ、又ビールへと繰り返す。

次ぎに出されたのは、焼肉と野菜を混ぜたものと、バナナの煮たもの。

すっかり、気持良くなり、腹も満たされ部屋に戻る。




朝、目が醒め、ぶらりと外に出たが、良い風景も無く、直ぐホテルに戻る。

車の事が心配になり、フロントの女性に確認すると、マイクロバスを用意しているとの事。

食堂を覗くと、ウエイトレスが ” サワデイ−カァ!” と、朝の挨拶を呉れる。

”グッドモーニング” と返して、カメラを構えると、ポーズをとってくれた。





此方で朝食をとり、チエックアウトを済まし、ロビーでで待つと、マイクロバスがきた。

早速、乗りこむ。  すると、後からビジネスマン風の外国人の三人ずれが乗りこんだ。

これで終わりの様だ。  昨日の道を同じ様に高速道路に沿って走る。

暫らくすると、車は止まり、二人連れの女性が乗り込んで来た。   土地の人の様である。

 聞いてみると、ホテルに勤めていて、これから出勤と言う。

空港の手前でバイバイと,   降りていった。  


空港に付き、待合でベンチに腰掛け、待っていると隣に、若いバックパッカー風の女性が座る。

旅は道ずれと話しかけると、東京からで、一ヶ月掛けてネパール、とタイを廻るとの事で

宿舎などは行き当たりばったりで適当なものに泊ると言っていた。 話しは弾み何時の間にか

搭乗時間となり、座席の関係で彼女とも別れる事になり、飛行機に乗り込む。  




彼女がカトマンズで撮ったと、後日、送って来てくれた


9時30分離陸。  急激な確度で上昇し、間もなく水平飛行に入る。 今日も快晴である。



ネパールへ

カトマンズまで約3時間の行程。 順調な飛行が続き暫らくするとアテンダントのサービスが始まった。

もう食事である。  さっき食べたばかりであるが、食べれる時に食べるとするか・・・

食事も片付けられ、外を眺めているとチャイムが鳴りカトマンズ到着のアナウンス12時45分との事。


飛行機を降り、彼女を探したがいなかった。 両替を行い、イミグレイションで15USドルと

トレキングパーミット650ルピー(1.9円/R)を払う。

ネパールは中国とインドの間に位置し、地域的にはヒマラヤ地区、中間山間地、平野、の三地域に分かれ、
人口は2300万人、産業は農業が40%を占め、工業は10%に満たない農業国である。
政治は王政をしき、宗教はヒンズー教と仏教を主な宗教としている。



外へでると、ワンさと客引きが寄って来た、ガイドブックにも書いてあったが、その通りである。

中の一人に ”ドメスチックはどちら?” と聞くと、”あちらだ” と言って、タクシーに乗れという。

其方を見ると、国内線らしき建物が見えている。

これはタクシーに乗るほどの事もないと思い、ノーサンキューと歩きかけるが、どんどんついて来る。

無視して、更に行くと、とうとう諦め帰っていった。   なかなか逞しい・・・


国内線らしき建物に入ると、やはりそうだった。 がらんとしていて水色のシートが並んでいる。

インド人らしき人々が真っ白い服を着て目立つ、ネパール人と半々ぐらいの様・・・

茲で暫らく時間待ち、隣の客も手持ち無沙汰のようである。

間もなく、荷物検査が始まり、搭乗の様だが、飛行機が見えない、バスに乗れという。

20人程が乗りこむとバスはどんどん走り出す、ロイヤル・ネパールALは飛行場の一番奥の様である。 

やっと、小さい飛行機が見えてきた。 国内航空は二社ある様だ。


バスを降りると、双発のロイヤルネパール機はエンジンのウオームアップをしていた。

乗りこむと、係員らしき男が荷物は左側の座席に置け、と言う。

一体何人乗る積りかと思いきや、13名だった。 一番前に日本人らしき二人が乗っていた。

其のうちエンジン音が高くなったかと思ったら、飛び出した。

運転席と乗客との間の扉は開けっ放しで、パイロットの右の扉も開いている。

パイロットはそこから足を投げ出して操縦している。 ちょと不安になる・・・


外を見ると、すっかり高度を上げ、二月というのに、晩春のような霞みでもやっている。

やはり亜熱帯の地だけに、操縦席から入る風が心地よい。

エンジンの順調な音を聞きながら30分ほどで、ポカラの町が見えてきた。

無事ご到着である。  カトマンズと違いアライバルの建物は傍にあった。

カラは海抜850mにある保養地でカトマンズに次いでの都市である。

登山、トレッキングの基地として賑わい、湖と山の風景で有名)


ホールに出ると、又、客引きの攻勢が始まった。

HOTEL!   TAXI!・・・・・ と、やたら、やかましい。

遂に一人のオジさんに捉まる。   ポカラまでと言うと、HOTELは?

私に任せと言うが、イマイチピンと来なかったので、ダムサイトで降ろしてもらった。

運転手は別れ際、何やらブツブツ言っていた。ホテルからのコミッションでも欲しかったのであろうか?


ダムサイドには、ホテルと言うかコテージというか、煉瓦造りの3.4階建てのものが並んでいた。

其の内のバルコニーを構えた一つ(Central Inn Hotel)に入ると、17〜18才と思われる

青年が出てきて、”ナマステ!”と挨拶をする。

マネージャーはいますか?と聞くと、奥へ入って行き、入れ替わり32・3才の男性が出てきた。

マネジャーの様である。 日本では、ちょっと若すぎるが、発展途上国では普通であろう。

 早速交渉を始める。 今晩、此方で泊り、明日、山に行きたい、

と言うと、それじゃガイドも必要でしょうと言う。


そう言えば、案内書によると山中で、追い剥ぎが出たり、悪いガイドに

金を取られたりするから一人歩きは避けるべきだと、載っていたのを思い出す。 

そうだ! 彼にガイドも頼めば、一番安心だと思い、切り出すと、店を空けなきゃならないしと、

躊躇しながら、料金は高くつくよと言うが、 まんざらでも無さそうなので、ネゴに入る。


ルームチャージ20ドル, コテージ、ガイド、ポター、飲食、車代二日間込みで70ドルで決まり!

支配人は大商談を終えホッとしたのか、アチュ..と言います、と言って名刺を呉れた。

見ると、本社がカトマンズにあり、彼は雇われ、此方を任されていると言う。

早速、チェクインを済ませ、部屋に案内してくれた。

部屋は好きな所を決めてくださいと言うから、3階のバルコニーの付いた部屋にした。



部屋のバルコニーより望む


部屋で落ち着くと、俄かに雲行きが悪くなり、夏の夕立の様うな暗さとなり大粒の雨が降ってきた。

雷と稲光も激しくなり、嵐の様相である。 これじゃ明日は駄目か、と思っていたら、 

電気まで消えてしまった。 そう言えば蝋燭を持っていたなと、リックの中を手探りで、・・・

やっと火をつける。  やはり、携帯品の必携になっているのが、うなづける。 

と、その時ノックがあり、マネージャーのアチュが蝋燭を持って入ってきた。


”停電で申し訳無い、この様な事が時々あるんです”と言う。やはり途上国では何処も同じのようだ。

こちらは停電よりも明日の天気の方が心配で、と聞くと、”この季節は夕刻になるとよくある事で

直ぐ雨は上がるから大丈夫といって、明日の出発時間を打ち合わせ、出て行った。

ぼんやり外を眺めていると、アチュが言うように雲が流れ、明るくなって来たかと思ったら

アンナプルナ山群の一部が茜色に輝いた! 感動の瞬間!

やっぱり、彼の言う通りだ!  一変にルンルンの気分になった。


雨の止むのを見とって、鼻歌でシャワーを浴びる。  

サッパリしたところで、食堂に降りる。 ボーイが来てメニューを呉れる。

見ると、カレー料理が上から並んでいた。 ここはインド文化の影響がやはり強いんであろう。 

流れている音楽も、インドの旋律である。 何が美味しいの? と聞くと、カレー!という。

 牛は無いのでチキンカレーとモモ(餃子)とビールを頼む。

  折り返し、ビールを持って来てくれた。 スタービールとラベルが付いていて、

辛くは無いが、何か薄い感じの味だった。 やがて料理が運ばれてきた。

雰囲気になれたのか、少年は笑みをうかべて戻って行った。

カレーを食べると、いきなり、ガリッ!と噛む。 骨の欠けらである。 

そう言えばこちらへ来る途中、鉈のような包丁で鳥の足を叩き切っているアンちゃんを見かけた。

あの調子で料理をしたのであろう。 ホテルのスタッフから見ると、このレベルかも知れない。

しかし、味はまずまずだった。 帰りがけボーイに骨の話をすると、恐縮していた。

部屋へ戻り、こちらのテレビをうつらうつら見ていると寝てしまった。



第3日ダンプスヘ


朝、目が醒めると、6時を過ぎだていた。 食事前に朝の様子を見に散歩がてら外に出る。

未だ薄暗く、あちこち民家の電気がついていて、朝もやに霞んでいる。

ダムサイドの通りに出ると、薄ぼんやりと山が見える。 もう雀が鳴き出した。

今日も晴天のようだ。 仕事に行く人や散歩の人が出ていた。 

ぶらぶらしながら、山を見ていると、通り掛りの人が、ユウリーと声を掛ける。

何の事か解らず、マウント?と聞き返すとイエス!という、山の名前でも教えてくれたのか???

ぺワ湖の辺りに来ると、朝日が顔をだし、横からの光りが山の陰影を濃くする。 素晴らしい!!

時計を見ると6時50分、もう帰ろうとホテルに戻ると、屋上で外国人が手を振っている。

ビデオカメラを構えると、上がって来いと、手招きする。 私がこちらのホテルに

泊っているのを知っているのだろうかと、疑いつつ上がって行くと、

グッドモーニング! と言う。 こちらもグッドモーニングと言って、どちらからですか?

と聞くと、”石川”と言い、金沢ですかと聞くと、そうです、と答える。

まるで最初からこちらを日本人と見ぬいていたようである。

日本語解りますか、と聞くと、ダイジョーブです、と言う。 金沢で何をしていますか、と聞くと

英語教師をしていて、会議でこちらに来ているとの事で、今日は、プレゼンテーションが

あるのでナーバスになっている、と言う。 


山を見ていると心が落ち着き、これから山が綺麗に見えます。 

山の上に白い煙の様なのは、風で雪が巻き上げられているのです、と教えてくれた。

 確かに昔、スキーの為、藤原岳を登っていて激しい風に雪が巻き上げられる光景を見たことがあり、

その後、雪崩に遭った事を思い出すが、この様な状態だったのであろう。
 
暫らくの間、アンナプルナ連峰の朝のドラマを堪能し、グッドラック!の握手で、彼とも別れる。  


チャイ(ミルクテイ)と、フルーツ、卵、カレーで朝食を済ますと、アチュが現われ、

もう直ぐ、車が来るという。 前の道を見ていると、大勢の兵隊が通る。

アチェが言うには、ネパールは外貨獲得の為、兵隊を傭兵として外国に派遣している。

とのことで、国により軍隊の事情も様変わりである。

いづれにしても戦争だけは、避けて欲しいものである。


車が迎えに、早速、車に乗り込む、アチェが運転手に何事か話すと、走り出した。

これからフェデイまで約30分という。 川沿いの道に出ると車はぶっ飛ばし、ビービ−と

やたらクラクションを鳴らしやかましい。 モータリゼーションが未だ進んでなくドライバーのモラルが

こういた過程を経て進歩して行くのであろうに。 しかし、古い車なので故障しないものか??


 亜熱帯地方だけに道沿いバナナの木がよく目に付く。

朝日を浴びた白い山々が見え隠れしながら近づいてくる。

出会う車も人も少なくなると、直線の道を益々スピードを上げる。 クラクションの頻度は少なくなった。

漸く、フェデイに到着、アチュが休憩するといって、テラスのある農家風の家に入る。

何か食べるかと言うから、今食べたばかりや! と言うと、僕と運転手は朝飯を

食べてないので、ここで食べるといって、オムレツを貰っていた。

見ると直ぐ傍に、鶏が放し飼いにされているではないか、成る程、これは製販一貫体制だ!

私には、店の女の子がチャイを持って来てくれた。

店のアンちゃんが、杖は要らないかというので、見ると仙人が持つような杖だった。

貰うことにする。 30ルピー(1.9円/R)だった。

一休みして、いよいよ標高1900mのダンプスへのトレッキングだ。 


リックはアチュが持って行って呉れるので、此方は、杖と水を持って登りにつく、

いきなり急な登りに入る、道は細く足場もよくない。 滑りだしはゆくり、行かないと

後、息が上がって、バテルので、アチェに、スロウリー!!、スロウリ−の!の連発である。

息が上がるにつけ花粉症の鼻水が出る様になった。

彼は自分の荷物と私の荷物を持っているが、涼しい顔で登って行く。

左に川を見下ろせる所で最初の休憩を取ることにする。 

もう汗びしょりシャツを脱ぎ、アンダーシャツ一枚となり、さっぱりする。川からの風が心地よい。

すると、その後、我々を追っ駆けていたのかサングラスを掛けた二人連れが我々の横に座る。

 アチュが何事か現地語で話し掛けると、ネパール語の解る日本人だという。

話を聞くと、彼はカトマンズに住んでいて、以前は添乗員をやっていて偶々ネパールに来て

自然の素晴らしさにひかれ、此方に先に住んでいた日本人と知り合い、自分も

此方に住むようになった。 去年までは150日のツーリストビサだったが今年から 

学生ビサになり1年ごとに切替になる。 今はカレジに行っていて、友達と一緒にチームを作り

山登りをする予定と言う。 顔を見ていると黒く日に焼け、ネパリと区別がつかない。

暫らく休み彼らは先に出発、その後を我々もぼつぼつと追って行く。

左手に川に向けて急峻な斜面に美しい棚田を見ながら坂道を登ると、小さい石畳の広場に

店屋風の家があり、その前でネパリが二人、、手作りのバイオリンのような弦楽器を持ち

エッサンピリりー♪ エッサンピリリー♪♪ と土地の民謡らしき歌をうたている。

サーランギーと言って木を繰りぬき下の部分に皮を張り、金属の弦を張り弓で弾く楽器)

すると、さっき逢った日本人がその歌に合わせて踊っている。

アチュに聞くと、これはネパールでも有名な民謡で誰でも知っているという。

聞くところによると、未だカースト制が、尾を引いているらしく、彼らはその仲間の様だ。

彼らの歌を後に聞きながら更に進むと、緩やかな平地に出て道の両側は畑となっている。

一軒家からラジオの音か、インドの旋律が流れてくる。

この辺りは此ちらに住む人達の生活道路にもなっているのか、農家の人が、゛ナマステ!”

と言って通りすぎる。 ダンプス村に入ったと、アチェが教えてくれた。

平坦の道も束の間、又登りの道となり、又息が苦しく喘ぎながら上がる。

三度目の休憩だ、! すると脇道から三人連れが現われ、道を間違えたとの事で、

彼らは休まず、先へ進んでいった。 我々はのんびりと、腰を下ろしていると、

大きいバックパックをしょった白人の女性が降りてきた。 どちらから?と聞くと、ポトナ!と言う。

アチュが彼女をストロング!といってひやかす。 彼女は切替し、イッツ、イージー!


休んだり、休んだりして、漸くダンプスにつく。 此方はアンナプルナ系トレッキングエレアの一部で、

標高1900m、ロッジやコテージが寄っている見晴らしの良い高原である。


マチャプチャレとアンナプルナの山並みが美しい。 見とれていると何時の間に来たのか

日本人らしき青年がインド人風の若者を連れて、やって来た。

見覚えがあるので、尋ねると、やはり、ポカラへの飛行機で、見かけた日本人だった。

彼はK氏と言い、就職がやっと決まり思いきって此方に出てきたらしい。 若者はガイドと言う、

盛んに、”ネパールに出てきて良かった、よかった”と、連発していた。

ガイドが日本人を多く案内したが、こんな綺麗な山を見れたのはめったに無いと言い

我々がラッキーだと盛んに持ち上げてくれた。




アンナプルナサウスをバックに左よりアチュ、歩喜人、K氏




宿泊するロッジの看板

2時間半かかって、ロッジ(ラリグラス)に着く、アチュが直ぐにボーイに話し、部屋を案内してくれた。 

やはり、スタッフが少年である。 何処も発展途上国は若者が前面に出ている。

 部屋はツイ−ンで今夜はここに二人で寝る事になる。




荷物を置き、くつろぐアチュ


荷物を置き、前のテラスで、くつろぐ。 日本人のK氏等も一緒に休憩する。

アンナプルナ連峰は我々を見下ろす様に、昼の光を燦々と浴びていた。



マチャプチャレ6993m   



 

        アンナプルナW7525m、 アンナプルナU7392m 


ベンチでのんびり山を眺めているとる何時の間にやら昼となり、食事をする事にする。

カレーをもらて食べていると、前の道を通る客が、我々の顔を見てテラスに入ってきた。

”座ってもいいか?”と言うので、どうぞ、というと、彼もカレーをボーイに頼んでいた。

食事を一緒にしながら解った事は、彼はイギリス人(Heath氏)でロンドンのハイスクールの地理の

先生をしているとの事でガイドも付けづに来たとの事。 歩喜人がDAKSの帽子を被っているのを見て

ロンドンに行ったのかと聞き、ロンドンの様子やイギリス人の印象を聞かれ、しどろもどろ???




右、Mr.Heath、と歩喜人

食事の後、Mr.ヒースは時間があるのでもう少し奥まで行ってみると言ってラリグラスを出ていった。 

我等は此方で、ゆるやかな豊饒の時間を過ごす事となる。アッチェがトレキングに行くかと言ったが、

此方でスケッチをする事にする。  始め出すと、犬が寄ってきて横に座る。 

K氏等も暫らく、スケッチを見ていたが、何時の間にか、何処かへ行ってしまった。

  日は西に傾き、山の陰影は良くなっていた。 スケッチをしていると、その風景にのめりこみ,

周囲が見えなくなったりする事があるが、その間隙だったのであろう。それでも三枚ほどしあがった。

道具を纏め、 ロッジにもどると、アチュは居なかったが、ボーイ達が迎えてくれた。

キッチンを見せてもらう、 部屋は永年の油煙で黒く燻され、何処からともなく、猫が現われる。

鳴き声を聞くと、甘えている。 飼い猫のようだ。 銅製の水壷や鍋が鈍く光り

綺麗に並べられているのが印象的だった。 ガスはプロパンガスを使っていると言う。

彼等は夜の食事の準備を始めた。  邪魔をしてもいけないので、

外に出て、夕暮れのダンプスを散歩した。 


アチュも戻り、夕食が始まる。  ビールを貰い、お互い差しつ差されつしていると、

差されるほうが多くなり、旅の疲れとも重なって、すっかり、いい気分になる。

お互い話すのは身の上話、 家族は堂か? 今収入はどれほどあるのか?

仕事は何をしていたのか? 将来の希望は 等々。


彼は現在、家族を田舎に残し、単身で勤務しており、給料を仕送りしていて、

卿里にはめったに帰れないと言う。  将来は観光会社を持ちたいと、

英語の検定試験を受ける為、勉強していると、テキストを見せてくれた。

午後、小生が絵を描いてる間も本を読んでいたと言う。

歩喜人の話しになり、今はリタイア−して年金で暮らしていると言うと、年金はどういうものなのか?

と聞く、説明すると、エクセレント!と言って、羨ましがっていた。   何か申し訳無いような気がした。

為政者はよく言う、機会の平等とか、均等とか、しかし、生まれた時から国により、

又、家庭により個人の格差が付いている。 理不尽に思わないだろうか。


下の部屋を覗いてみると、電気が消されて、年寄りを中心に家族一同がテレビを

熱心に見ていた。 ボーイが気付き、此方へと手招きをしてくれる。

昔、テレビが白黒であった時代をふと思い出す。 日本にもこう言う家庭団らんが、あったのだが・・・・

部屋に戻るとアチェは本を読んでいた。 もう寝ようと床に付く。



第4日ノーダラからポカラヘ


昨夜は冷えると言うので、ダウンジャケットを着て、寝たのが良かったのか、朝早く目が醒める。

庭へ出ると、薄明るく、昨日の犬が、もう起きていてのそりと寄って来た。

隣の農家で、牛の鳴き声がする、牛も朝が早い様だ。

今朝はアヒルまで庭に出ている。 トイレに入ると、そのアヒル達が扉の下から首を出し

こちらを覗き込む。 トイレもゆっくりさせて呉れないようだ。 そこそこで、ケリをつける。

朝の山並みは、青白い空に紫色のシルエットを現し、小さい雲々をオレンジ色に浮かべる、

東の山より白い小さな朝日が、顔を出すと、Aサウスを最初に照らし茜色に輝く。

やがて他の山々も、逐次輝き、黎明の素晴らしい一時を奏でてくれる。

さー 今日も快晴!!


部屋に戻るとアチュも起きていた。  グッドモーニング!!

のんびりと食事を済ませ、ぶらぶらとノーダラに行くことにする。 集落の石畳の道を

登って行くと、前から牛がのっそりと、此方へ向ってくる。 細い道をすり違えるかと思っていたら

こちらを、じろりと見ながらすり抜けて行った。

やれやれと思って歩いていくと、農家から子供が出てきて、ビデオカメラを見てキッズ!キッズ!と言う。

よく聞いてみると赤ん坊を撮ってくれ、と言う事で、赤ん坊にカメラを向けると納得していた。

これから道は川沿いへ降りることになる。 ノーダラへは2時間半のコース。

急な落差のある石積みの坂道を降りる。  上りよりは未だましな様に感じる。

右手に学校のような建物が見えてきた。  アチュに聞くと、小学校で日本よりの援助で

でき上がった物だと言う。  自分が援助した訳でもないのに、何か嬉しかった。

生徒達は全員ブルーのシャツを着ていた。  ここで休もうとアチュに言うと

座り心地の良い岩を探してくれた。 暫らくすると、生徒が来て何かアチュと話している。

すると見る間に大勢の子供が我々を取り囲んでしまった。

顔を見ていると色々の顔がある、チベット族も混じっている、殆どがアーリア系の様だ。

ビデオカメラで彼らを撮り出すと、夫々がカッコをつけるのが面白い。

一人履物を履いてない子がおり、親指から血が出ている。  この辺りの瓦礫の中を素足で

走り歩くのであろう。 気にもせず、平気な顔をしている。  子供達と言葉は解らないが

兎に角話すと、彼らも解ろうとして、一生懸命に話す。

子供たちと別れて更に下り、川に出る。  この辺りは亜熱帯植物が繁茂し、ジャングルの雰囲気。

川原の石伝いに川を渡り、これからは川の反対側を登る事になる。

また、きつい登り道となり、アチュがデインジャラス!!と声をかける。

見ると、急激な崖である。  山側に身体を寄せ、呼吸が又苦しくなる。

足を踏みしめ、慎重に歩く。   やがて難所も抜け、下界の良く見える道に出る。

山の斜面に段々畑が作られ、織物の様に見える。 山々が美しい。

道も平坦になり、ピッチが上がり、アチュから後10分の声が掛かる。 

見ると自動車のとおる大きな道が見えた。  漸く、ノウダラ到着である。




ノーダラよりの眺め



山道から自動車道路に駆け上がり、写真を撮っていると、ネパリの民族帽子をかぶったオジさんが

寄ってきて、アチュに何か話しかけてきた。  アチュが写真をとて呉れと言っていると、言うので、

そのオジさんと一緒におさまる。 後、アチュがオジさんの住所を聞いて送ることにする。 




ネパリのオジさんと

  これから、この道路を電話のある店まで歩くことになる。  道々、又、アチュが車は持っているか?

何台持っているか、種類は何か?等々話してくる。  車に憧れがを持っている様だ。

20分程でゲストハウスに着き、アチュがドリンク??  と言うから、もうこれから歩く事もないと思い

ビ−ル! と頼むと、食事も一緒に出てきた。   店のママさんが横に座り込み、片言の英語で

何かと話しかけてくる。  参ったのは、信仰の話しとなり、彼女はヒンズーではなく、ブデイズムと言い

貴方は何だと言うから、神道を説明するのに一苦労。  山や、滝や、

古い大きい樹木や、古い祖先を敬う信仰だ、と答えると、何とか解かってくれた。

彼女に何を毎日お祈りするんだと、聞くと ”安心するから” と言っていた。

ビールもすっかり、まわってきた。  車が来たというので、気だるい身体を引きずり乗りこむ。

後は車の警笛を聞きながら、一路ポカラへ走る。  40分程でポカラに入り、

埃ぽいバザールを見ながら、暫らく走ると運転手が車を止めた。


アチュが降りましょうと言う。  こちらはバタレ.チャンゴ(デビットホール)と言い、山から流れてきた水が、

ぺワ湖に注ぎ、その水が滝となり、大地に吸い込まれていると言う。

  坂を降りて行くと下に橋が掛かっている。 橋から見ると、大地が大きく割れていで、

流れてきた水が深く岩肌を削り、滝となり底の見えない洞穴の中へと吸い込まれて行っている。

滝を見て、この後、アチュのホテルに戻る。   今夜はポカラで泊り、明日はナガルコットに

行きたいとアチュに言うと、ホテルは決めているか?と聞くので、未だと言うと、僕が紹介するとの事で、

 様子を聞いて見ると、カトマンズの飛行場に車で出迎えさし、其処からナガルコットのホテルまで

送くらすと言うので、彼に任す事にする。 すると早速、彼は電話を掛け、先方にリザーブをして呉れた。

何もかもアチュが手配してくれ、今夜はゆっくリ此方で過ごす事にする。



第5日ポカラ

翌朝、ホテルの食事を済まし、カトマンズへの飛行機が午後なので、レイクサイドを見る事にする。

ダムサイドよりぶらぶら歩きぺワ湖向いて歩く、今日も天気に恵まれ気持ちのいい日が続く。

湖に着くと、少年がボートに乗り釣り糸を垂れているので、暫らく見ていたが、

一向に何もかからず、痺れを切らし、その場を去る。  今日は山が素晴らしい。




レイクサイドよりのアンナプルナ山群

湖に降りていくとボートが沢山繋がれ、湖の中所に小さな島があり、ポカラで一番古いバコダ形式の

寺院が見える。 周囲にはリゾート地らしく別荘や、ホテルが立っている。

 

道路に戻り、横の広場を見ると、大きな菩提樹の祠があり、二人の少女が花を供え遊んでいた。

カメラを向けると、少女が気付き、もう一人の子に、オー! と声をかけ、二人が直立不動で

受け入れてくれた。  何も無いので、お礼に、ポケットにあったチョコレートを半分に割って、

あげると、大変喜んでくれるので、此方も、すっかり嬉しくなった。

子供と暫らく相手をし、バイバイする。


案内地図によると湖畔に王のレジデンスがあると言うので、行って見ると、長い塀に囲まれた

大きい敷地で、門には衛兵が立ち、前の広場には兵隊がキャンプを張っていた。

インドの植民地時代からの影響か、彼らは古いイギリス式の服装をしていた。

塀を伝って行ったが、先は行き止まりとなり、中は覗う事が出来なかった。

疲れたので、湖畔のガーデンレストラン(NEPAL DANCE)に入り休むことにする。

ミルクテイーをとり、ぼんやりと通りの人達を観察???

此方は、やはりヨーロッパ人が多く、日本人はいない様だ。 珍しい。

暫らく、のんびりと時間が流れる・・・・

遠くを見ると、春の様に霞み、目の前を牛が歩み、のどかな景色がつづく・・・


昼になり、こちらで食事を頼む。  ミルクテイ−、豆スープ、トーストと、フライエッグ。

これだけ、のんびりした気分で、なかなか普段は食事を取れない。

帰りがけ、珍らしく画廊(sakura art)を見かけ、ちょいと入って見る。

26・7歳の青年が出てきて、色々と説明してくれる。

殆ど、水彩画とスケッチの風景画である。  彼は農家の後ろに銀嶺の見える絵を盛んに奨める。 

暫らくすると、赤ちゃんを負ぶった女性が出て来ると、彼が、”ワイフです ”と紹介し、

奥さんが丁寧な挨拶をし、ミルクテイ−を出して呉れた。

”どうぞ掛けてください” と言うので、すかっり流れに乗って椅子に座る。

雰囲気が変わり、出るに出られなくなり、 コリャマイッタ!


彼の奨める絵はピンと来ず、壁の一番上にあったのを指差すと、これは売れないと言う。

これは、私の先生の描いたもので、勘弁して欲しいというので、この時とばかり、”それじや”と

帰り掛けると、”モウメントプリーズ!”と言って、その絵を下ろし出した。

行き着く所は、値段交渉となり、此方の言い値は通らなかったが、もう一枚彼の絵を

オマケにもらって、一巻の終わり。 何の事はない、ミイラ取りがミイラに成ってしまった。

秋には奥さんとお出で下さいと店の住所まで書いたメモを呉れた。

  若いのに商売の巧さに驚かされ、彼の人柄の良さから、帰り道も爽やかな気分だった。

ホテルに戻り、これでポカラともお暇、アチュに別れを告げ、タクシーでポカラ空港に向う。


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