北関東紅葉狩り奥日光・東照宮2)
06.10.16.〜10.18

この後、東照宮を離れ左隣の二荒山神社(ふたらさん、
日光の名は二荒の音読みから来たとも言われている)へ行く。 

二荒山神社への参道


東照宮の塀沿いの灯篭を右に杉林を伝って行くと突き当りに
二荒山神社の楼門があった。 二階部には欄干があり丹塗りで
仕上られた立派な門である。

ニ荒山神社は男体山(二荒山)の山岳信仰から始り、勝道上人が782年頂上に
祠を建て、その後、中禅寺湖に中宮寺を設け、最後に、こちらを建立したと言う。


二荒山の石碑と楼門


楼門の奥に大きな青銅製の大鳥居があり、鳥居を潜ると右手に社務所、
その奥に拝殿があり、本殿へと続いている。

本殿は二代将軍秀忠が寄進したもので、安土桃山の建築様式を採って、
重要文化財に指定されている。  東照宮を見た後の為、あまり驚きはないが、
単独で見れば、やはり紅殻漆の極彩色の仕上等、豪華なものである。


ニ荒山神社


二荒山神社を出て300年を越える巨木の杉並木を歩く、静かな
気持の良い通りである。 通りの奥に仁王門があった。

こちらは家光の廟で大猷院である。 家光の死後遺言により
四代将軍の家綱が1652年に建立したと言われる。


大杉の並木

仁王門は石垣に囲まれた一段高い所にあり、東照宮の仁王門と
よく似た造りである。 軒下の欄間は透かし彫りがされ、阿吽の
二体の仁王像が大猷院を守っている。


仁王門

仁王門を貫けると石畳を通り、左手に二天門がある。
陽明門は白色と金色が目立つが、こちらは金と赤の色合が際立ち、
より大きく華麗な建物である。 唐破風の軒下に大猷院の文字が輝く。

持国天と広目天が安置され裏には風神・雷神がまつられている。


二天門



仁天門の雷神像

二天門を潜ると又、一段高くなり、ステージが神に近づく様だ。
東照宮の鐘楼より小振りで、少しひかえた感じの鼓楼と鐘楼がある。
やはり袴までが装飾され金鋲が付き優美さをうっている。

付近には有力な大名から贈られた銅製の灯篭が序列でも
あるかのように綺麗に並んでいる。

鐘楼



大名寄進の灯篭

又一段高く階段を登ると重要文化財の夜叉門がある。
造りは二天門に似ているが建ちが低い様に思う。

 此方には四色の夜叉が安置され、その飾りつけや
天井の装飾など絢爛豪華でかなり力の入れ様が伺える。 

この辺りの意匠は東照宮を意識しながらのものであろう。

4色の内二体の夜叉、色は方角を表す

夜叉門を潜ると同じく文化財の唐門があり、本殿、拝殿を透塀で囲んでいる。
唐門は金色の飾り金具と漆の黒色で細やかに細工されていて少し抑えた感じ。


唐門

唐門は石段で更に高くなり、愈々神のステージに入いる。 
中には拝殿があり、拝殿から相の間に連なって本殿が鎮座する。
これら三つの部屋は国宝に指定され二層の屋根を持っている。

本殿は拝殿より小振りとなるが、その造りは豪奢な贅を尽したものである。
これだけのものは見たことがなく、暫し見とれ、無言の境地。

本殿と相の間が繋がっている



細工のデイテール

本殿の華麗さに圧倒され、右手に出ると皇嘉門がある。
龍宮門のようで中国、明の建築様式だそうだ。

白い漆喰の架構に極彩色の上部造りと銅板瓦葺きの屋根を載せている。
ここからは奥の院となり家光の墓所で、残念ながら公開されていない。
家康の墓所を公開し、家光は公開しない。 何でだろ−

皇嘉門(竜宮門)

墓所へは外より参拝して、丁度昼となった。
大猷院とおいとまし、一の鳥居の近くに東照宮の食堂の案内を
見つけ、そこに入る。

メニューをみるとハッシュドビーフがあたのでそれを注文。
店の女性に、午後に行く予定の輪王寺の場所を訊ねると
窓を指を指し「あそこです」と言う。 

そちらを見ると大きい杉の木の間にそれらしい建物が垣間見えた。
 こりゃ−近いや。

食事を済まし、そちらに行く、そこは輪王寺の一番奥の位置に
なる講法堂があった。 此方は日光山の護摩祈祷をする所で、
国の重要文化財にも指定され、お札なども売っていた。

輪王寺は勝道上人が神橋(国宝)の傍に766年四本龍寺を
開いたのが始まりで一時は天皇家から門跡を迎えるまでに
なっていたが、北条氏が滅亡して衰えていった。   その後
徳川の時代となり、徳川の参謀である天海が貫主となってから
盛り返し、東照宮を開いて第三代の家光までに栄に栄えた。



三佛堂(本堂)

こちらには日光の信仰三山、男体山、太郎山、女峰山にみたて
千手観音、阿弥陀如来、馬頭観音の三佛が奉られている。
それで三仏堂と呼ばれているそうだ。

輪王寺を120号線に降りた神橋の傍に太郎杉がある。 
日光杉街道のシンボル的な存在で樹齢550年幹廻り6mの大木である。
その根元に深沙大王の御堂があり、大王は水の神で勝堂上人が
大谷川を渡るのを助けたとの伝説がある。


太郎杉と深沙大王の御堂

神橋は日光二荒山神社への掛橋で、奈良時代末に架けられ、現在のものは
寛永に造ったものと言う。  当時から祭り事の時のみ使用されていて
通常は手前の日光橋を利用しており、平成11年に世界遺産になったと言う。

現在、渡橋と橋構造の見学は500円の料金が必要と言う。
お高くとまっていると言うか、強気商売と言うか、
日光さんの人気には脱帽する。

我々は日光橋より、ちゃっかり無料で拝ましていただく。
それでも充分に美しさを味わうことが出来た。

日光橋から見る国宝・神橋

神橋を最後に日光山とも、お別れとする。

おわりに

今回は一寸長いドライブに挑戦したが、以前より訪れたかった場所でもあり
疲れもなく、旅を通じ天気にも恵まれたのが何よりであった。
中でも天候の不安定さで有名な谷川岳で快晴にめぐり合えたのが最高であった。

日光に廻り、徳川家の遺産を目の辺りにし、
「日光を見ずして結構と言うな」という言葉があるが、
何時頃言われたものかは判らないが、
日本で一番の長期政権を維持した理由が頷けた。

又、300年近い徳川政治の深さを感じることが出来たが、
その影には徳川威光政治の為に多くの庶民の苦労が
あったことも忘れてはならない。

家康の遺訓は有名であるが、ここに家康をして現仏と言わしめた
南光坊天海の遺訓を紹介してお終いとする。

 仁すぐれば弱くなる 
義すぐれば堅くなる
    礼すぐればへつらいとなる
智すぐれば嘘をつく
信すぐれば損をする

「気ながく、勤めはかたく色うすく、
         食ほそうして、心ひろかれ」

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