木曾の御嶽山登山その1
06.9.24



木曾の御嶽山は日本火山の中では富士山に次ぎ2番目に高い山(3067m)で

古くから富士山や白山の様に信仰の山として人々から

仰がれ、親しまれている日本百名山の一つでもある。



登山所要時間

田の原発10時〜金剛童子着11時15分〜8合目石室11時30分着〜
王滝頂上着13時・・・14時発〜8合目15時着〜田の原16時30分着


今朝は5時半に起き、御嶽山に出掛ける。  この所、すっかり朝の明けるのが

遅くなり、未だ薄暗い。 昨日の天気予報では快晴が予想されたが薄曇の様子。


「早起きは三文の得」と言われるが、こうして道に出てみると、その由縁が

嘘でも無さそうだ。 車が少なくドライブが快適。  名古屋インターを6時15分

に乗って、早や多治見を通過、 空は一向に晴れず遠くは霞んでいる。


中津川で高速を降り、国道19号線に入ると、間もなく馬籠の標識が見えた。

一時、馬籠は町村合併で中津川市を希望し、長野県側と揉めていたが、

今は中津川市に落ち着いた様だ。 南木曽に入り、確かに木曽路は山の中

山又山に囲まれ、漸く山から太陽の光が覗く、堂やら晴れて来たようだ。


ポツポツと道端に咲くコスモスが秋を、そっと伝えてくれる。

 暫く、走ると「寝覚ノ床」に着く、 時間を見ると、丁度8時、

やがてナビが「元橋より左折」を指示、愈々御岳の領域に入る。

紅葉は、未だ早い様だが樹々は心持黄色くなっている。


三岳村に入り、七笑や中乗りさん‥・ 地酒の看板が目に止まる。

黒沢で初めて、御嶽山が赤茶けた火山らしい頭を見せる。

御岳の接近を知らせる様な漢薬百草丸の標識がある。 

やがて御岳湖に沿って王滝村へ、御嶽山は霊山だけに、

この辺りは御嶽教の石碑や墓石が各所に見られる。

  王滝村をぬけると道は登りとなり、やがて道が開け

御嶽山が雄姿を現す。

公衆トイレの設置された駐車場に車を止め一息入れる。


山岳歴史文化館前駐車場よりの御嶽山

トイレは暖房が入り、温水シャワー付きのデラックスなのに驚いた。

最近スキーヤーが減少し、冬場のスキー客への配慮なのだろう。


用を済まし、登り道のカーブを繰り返し、清滝前を通って、御岳

スキー場に到着する。 昔、来た時とは様変わり綺麗に整備されている。

一見公園の様に、白樺の林が色を添え黄色の木の葉は散り始めている。


S字カーブの曲がり具合で、東の木曽駒連峰が霞の上に見え隠れする。

車は見晴らしの良いスキー場を縫う様にして登っていく。

以前よりスキー場は大きくなり、上へ延びて行っている。

そこを伝う様に登ると、丁度スキー場の終りに、登山口の

田の原観光センターがあった。  既に、かなりの車が止まっていて

人影が見えない。  皆さん山に登ったようだ。  

早速、観光センターに入り、山の様子男性に訊ねると、時計を見て

「頂上の山小屋は、もう閉められているので、3時間以上登っても

頂上に着かない場合は降りる様にして下さい」と言われた。

やはり、こちらの歳かっこを見て心配して呉れている様だ。

3時間と言うと13時までの到着になる。


田の原より見る御嶽山、右肩が頂上


観光センターの右前に霊山らしく石の鳥居があり、こちらから見る御嶽山は

開田村からの台形をして幾つかの峰を持つキリマンジャロの様な形と違い

碗を伏せたような平凡な姿である。

此方の鳥居から御嶽教の信者は勿論、一般登山者達も、登って行く。

  ここは標高約2100m、気温17度、これより出発!


御嶽山登山口の石碑

道は広く砂利道ではあるが良く整備されている。 道の両側は御岳自然休養林

の公園で樹高の低い「コメツガ」の樹林が続く。 勾配もなるく、たらたらとした

道である。 やがて、砂利道は終り、角材を横に敷き、埋め込んだ蹴混みの

長い階段の道、歩幅とピッチが合わず、リズムに乗れない。

きつい坂道よりましかと思い、進んで行くと、2つ目の鳥居がある。

此方は大江権現、小さな祠に権現様が祀られている。


大江権現の祠と鳥居

赤茶けた粘土質の階段は、この鳥居から登りがきつくなる。

この辺りは火山土で酸性がきつい為か低木の木が多い。

段々と身体が暑くなり、たまらず長袖を脱ぐ。 さーと、涼しくなり生気を

取り戻し先へと進む。 やがて道は溶岩と変わり、岩を一つ一つ

選びながら前に進む。


登りの木の階段                 溶岩のガレの道


登り始めて一時間程で森林限界に達したのか視界が開けた。 

「ハイマツ」が多くなり、植生が変わってきた様だ。 火山特有の亜硫酸ガスの

匂いが流れてくると、下から、雲までが流れ稜線を這ってくる。

  これは駄目か!と、思っている間にガスに取り囲まれる。  


すっかりガスに包まれる祠


ガスの中を金剛杖を突いた人達が 「六根清浄」を唱えて来る。

やはり信者の人達は、心の悩みが無いのか、黙々と登って行く。

それに比べ、こちらはあっぷ、あっぷ。 彼等の後を追うが、

速くて、ついて行けない。  少し歩くとガスも晴れてきた.。


20人ぐらいのグループが、リーダーに引率され、御嶽山の花や植物の

話を聞いていた。 中には興味のない人もいるのか、

「私語をしないように」 と注意をされている。


グループの一団


こちらはそのリーダーの話を小耳に挟みながら、更に登っていく。

前からは、早や降りて来る人達がいる。 昨日、山小屋で泊った人達か?

訊ねると、「早朝から登りました」と言い、随分余裕のある人達だった。

この辺りは点々と祠が設けられ、見通の良い所であるが、周囲の山々は

雲に隠れて見る事が出来ない。 晴れていれば、中央アルプスが

見える所であるのだが・・・・


もう下山の人達



頂上を望むが未だ見えない。


もう間もなく、7合目が近くなっているのではと思って、下山の人に

聞いてみると、「いや!直ぐ上の祠の先は8合目です」と仰る。

国土地理院の地図には田の原から直線900m程の所に七合目が

記されていたが、堂も見落として来た様だ。 道理でいやに遠いと思った。

しかし、七合目は過ぎたとは言え、登りもきつく、近くに見えているが

結構距離がある。 やっと祠に到着。 中を覗くと金剛童子の

ノーブルな表情の銅像が立っている。 合掌をして通り過ぎる。


金剛童子の祠

山の天気はよく変わると言うが、又、米のとぎ汁の様なガスが出てきた。

更に岩のガレ場を進むと、溶岩に囲まれた非難小屋がある。

霧で、ガレとハイマツしか見えなくなった。 又、生臭い硫黄の匂いが漂う。

 ロープを伝いながら少し登ると、漸く、8合目の石室に倒着。


非難小屋



8合目石室  標高・2470m


少し休憩し赤茶けた溶岩のガレ場を更に登る。  しかし、標高が高くなった

為か呼吸が段々苦しくなる。 頭を下げ、歩幅を小さくして身体を

左右に揺すって登ると、少し楽な様だ。


霧が出ているガレ場


昼食は頂上でと、思っていたが身体が疲れているので大きな岩の上で

することにする。  来がけ19号線で求めた巻き寿司を食べる。

やはり、じっとしていると霧の為か寒くなって来た。 ヤッケを羽織る。

これでガスが晴れていれば、絶景を眺めながら至福の一時となるのだが、


9合目の標識  標高・約2800m



9合目石室

食事を済まし元気百倍と行きたいが、そうは行かない様だ。

まあ、ゆっくり行こう。  それでも、漸く、王滝頂上山荘が見えてきた。

霧も晴れ、なんとか周囲の山が見れないものか、祈るばかり。

右手には活火山だけに焼ただれた断層が幾重もの色を露出していて

北アルプスとは違った山の表情を見せてくれる。


僅かに姿を見せる王滝頂上山荘



右手に見える溶岩の断層

9合目を過ぎると、直ぐ目の前に頂上が見えるが、気だけ焦り、

足は足踏みを繰り返している様で、中々前に進まない。

ジグザグの登り道を折返し、それでも何とか近づく。

頂上の構えは西洋の風化した古城を思わす佇まいである。


頂上御嶽神社の崖



最後の頂上へのアプローチ


やっと、頂上到着、騎士が戦いを終えて、古城に帰還したってところ。

山小屋は、もう閉じられ、右手の御嶽神社への入口の足元に

「王滝頂上」の紅い文字の標識が建てられていた。 


頂上山小屋、右は御嶽神社の岩垣



王滝頂上の石碑

溶岩に囲まれた細い階段を登ると御嶽神社頂上奥社があり本格的な社に驚く。

 因みに、こちらは標高2936m、社殿の前は玉砂利が敷かれ、

石の鳥居と、狛犬までが鎮座している。

御嶽教信者の敬虔な熱意が伝わって来る。


頂上奥社本宮


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