音羽富士登山
09.6.27愛知県豊川市赤坂町


雪解けが進むにつれ各地の有名な山開きが始められ、先日、富士山も山開きが行われた。

昨年は富士登山者が305,000人と平成17年以降で最多となったそうだが、それに伴い事故の数も

増加している。 団塊の世帯が定年を迎え、中高齢登山者の増加も原因の一つの様だ。

疲労や筋肉の衰えから、支持力が低下し、一寸したふらつきから、大事故に発展する。

とは言われても、人生やっぱりある程度の冒険心もないと感動も生まれにくく皮肉なものである。

だが、出来るだけのトレーニングや、準備をして迷惑を掛けないよう努めるのは当然でもある。


その点、こちらは、危険度からは安心な東三河の山へ先週に続いて登ることにした。

場所は岡崎市と豊川市の境にある「音羽富士」、高さ381mのお椀を伏せた様な優しい山。

 まさに「音羽の小富士」である。 


岡崎市鳥川町の山間の奥まった所に「白髭神社」がある。 横にある駐車場に車を留め、

神社に安全を祈ってスタートする。  例によって息子家族との登山である。

少し東へ歩くと道路脇に名水の「庚申の水」があり、其方で、先ず口を潤す。

更に道を進むと鳥川城址があり、こちらからの登山口が何故か進入路に梯子が

置かれて進入禁止となっている。 こちらから、なだらかなコースを登るつもりであったが

通行止めではどうしようもなく諦めて、更に奥のユリ沢経由の急勾配のコースをとることになる。


道路をはずれ、山沿いの農道を歩くことにする。 息子を先頭に一行が続く。

しんがりは筆者が担当。 とは言うが、全く、ついて行くだけのもの。



古坂古道登山口、  残念ながら閉鎖されていた。





農道に入り川を左に東へと

暫く歩くと川に橋が掛かり、その先にユリ沢登山口があったが、そこも柵がされ扉が

閉められていた。 横に「鹿や猪が進入しない様、開けたら必ず閉めて下さい」と、

表示されていてやっと気付いた。 先ほどの古坂古道登山口が閉鎖されていたのも

獣除けの為で、入ることは出来たのだ。 てっきり雨で登山道が崩れでもしたのかと

思ったが、とんだ勘違い。 こちらの集落の田圃は鹿や猪から作物の被害を防ぐため

全て獣除けの電線が張られていて、被害が多いそうだ。




ユリ沢登山道

扉は獣が開けない様、紐で括られている。 これからは、山の急坂が待っている。

薄暗い杉林の中を尾根に向かいひたすら登る。 植林され30年から40年程度経過した杉林で

例に漏れず輸入外材のため採算がとれず放置されていて、枝打ちが為されていない。









杉の木に、大蛇が!  と思いきや蔓であった。  一安心!






日光が入らず、土が痩せて根っこが露出している。


一時間ほどで、やっと太陽が見え尾根にでた様である。 涼しい南風が肌をなでる。

孫娘が間髪を容れず ”気持ちがいいね!” と声をかける。 涼風が疲れた身体の汗を冷ましてくれる。

尾根に出て杉が少なくなり、視野は広がり気持ちは良いが、場所が確認できない。

後はコンパスを頼りに音羽富士の頂上を目指し尾根を東へと進む。 



尾根が見えた!






頂上間近に


やがて標識発見!!  音羽富士 海抜381mの標識。

到着である。 どうやら我々は正規の分岐点より東の地点で尾根に出た様である。

立ち上がりから予定コースを登れず、コースも自前のコースを登り、どうやら頂上は確保できた。

ま〜 よしとする所、深い山であれば、こうはいくまい。




頂上標識

頂上で眼下に三河の街を眺めての昼食をとり、山の空気を満喫する。

三河湾から吹き上げてくる風は心地よく、昼寝でもしたくなる。 気分 最高!!

山登りで一番落ち着く時間でもある。 



間もなく出発。 別れを告げて・・・

疲労を取って、ヒノキの苗木が植えられた尾根の下り道を、次の峰の「丸山」へと進む。

かなりきつい坂道ではあるが、これから沢山までの稜線は三河湾が眺められ、

このコースの見所の一つでもある。 高い山と違って、安全で気楽に、景色を眺めながらの

縦走は何んとも気分が良い。 だが今日は残念かな霞んで三河湾までは望めない。

この辺りの斜面は新しくヒノキの苗木が植えられ、鹿に食べられないよう

金網で保護されていて、黒い墓標の様に見える。



杉の苗木と霞の三河湾






丸山への下り道、 杉の苗木が墓標のよう。







笹の生えた斜面を足元を注意しながら降りる。 やがて丸山への上りの斜面にぶつかり

これより登り行程となる。 喘ぎながら足を踏みしめ、一歩一歩足を持ち上げ様とするが

思うように上がらない。 体力の衰えをまた感じる。

それでも歩みは重なって丸山の頂上に着いた。


兄孫が逸早くチューブラー・ベル(鐘)を見つけ、ハンマーで叩く。 

「NHKのど自慢」の様な音色が四方の山々に鳴り渡る。 カン、コンカン ♪♪

なおも孫娘が続いて カンカン、コン ♪


終戦直後、夕刻になるとラジオより流れて来たNHKの「鐘の鳴る丘」の思い出が蘇って来る。

親を戦争で亡くし身寄りのない孤児達が、戦後の苦しかった時代、

信州で共同生活を元気に生きる物語である。


緑の丘の赤い屋根 とんがり帽子の時計台 鐘が鳴りますキン、コンカン 

メーメー小山羊も啼いてます 風はそよそよ 丘の上  黄色いお窓は おいらの家よ ♪


思えば苦しいが希望いっぱいの日本であった。



丸山頂上標識と鐘に夢中の孫娘





丸山より望む音羽富士

そんな思いで、さっき登った音羽富士を眺める。 山は何も答えないが全てを知っているかの様である。

孫たちが何時までも平和な時代を過ごすことを祈るのみである。





丸山とも別れ長沢峠へと、また笹道を下る。 やはり階段のない下りは随分、楽である。

やがて長沢峠に到着。 この峠には沢に沿って長沢古道が里へ走っていたそうだ。



長沢峠

長沢峠より更に沢山へと杉林を登って分疑点へ、孫娘が ”頂上に行きたいと” と仰る。

 ”どうして?” と問うと、 ”気持ちがいいも〜ん” と言う。

どうやら孫娘は山の頂上の魅力を感じ取ったようである。









沢山分岐点

孫たちは急な坂道を登りホドタ山の頂上へ。 こちらの頂上は眺めはきかず

早々に下りることになる。 輝バラ園の方に向かって歩いていると、先頭の息子が

鹿だ!! と大声。  声の方を見たが鹿は見えなかった。 山側より前を全速で

横切ったと言う。  山を駆け降りる鹿は速いと言うが、鹿の姿は何処にもなかった。

結局、見たのは息子一人。 孫たちから、本当に見たの〜? とクエスチョンマーク。




ホドタ山頂上

まもなく犬の鳴き声が聞こえてきた。 輝バラ園のようだ。

バラ園の主人が、” 大声が聞こえましたよ” と仰る。 そう言えば、山の頂上で

山彦を聞くため、孫たちと大声を出していたのが、こちらまで聞こえていたのだ。

ちょっと、小恥ずかしいかっこと相成った。 吼える犬を抑えて、それでもバラ園の主人は

迎えてくれた。 犬はどうやら獣除けの犬で気性が激しいようだ。

こんな山奥の1軒家、犬でも飼わないと、無用心なのだろう。






バラ園に別れをして更に下りると里の道に出た。 里の畑で農作業をしていた小母さんが、

”山に登られましたか? よく来て下さいました。” と声を掛けてくれる。

咄嗟の話し掛けに、こちらは ”はい!” と答えると、 ”また、お出で下さい”と仰る。

若者たちは街へ、過疎化で老人のみが残って集落の機能を失って行く。 将来への不安や

心細さが、人恋しさを駆り立てるのであろう。 全国には、こう言った限界集落が

めじろ押しと言うのに、政治は一向に答えない。




折角の山登りの爽快さも終わりに来て吹っ飛び、過疎の現実と政治への義憤が膨れるばかりとなった。


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