晩秋のみちのく
09.11.18〜11.20



中部空港ロビー


本日、天気は晴、中部空港より青森へと出発する。 搭乗機は今、再建問題で話題の日航機である。

機内に入ると、気のせいか、どこか寂びれた感じがし、一瞬、不安がよぎった。

整備は行き届いているのだろうか?  離陸が始まり案ずることなくエンジン音はいたって快調!

何時の間にか不安は消えていった。 機首は北へと、知多半島に沿って進んでいく。

窓からは、きらきらと朝の光が眩しく差し込む。  名古屋上空をぬけると、間もなく

右手前方に雪の掛かった山々が見えてくる。 どうやらこの位置だと北アルプスの様だ。

やがて直下に見えたのは御嶽、次いで乗鞍と穂高連峰であった。 はっきりと山々が確認できる。


雲を従え聳える素晴らしい山の眺めに見とれ、機は富山を通過して日本海へでる。

これより海上を東北へと進む。 機内サービスの柚子ジュースを貰って音楽のチャネルを

探り、心地よいエンジンの振動と音楽に、しばし聞き入る。



機内よりみる穂高連峰

やがて機は秋田辺りか海上より陸地へ進入する。 天気が名古屋とは違い雲が多いよう。

雲の中を進み、高度を下げていく。 青森が近づいたようだ。

ガスに見え隠れする街が見え、さらに高度を下げる。 やがて真白い空港が見える。

青森空港は雪であった。



雪の青森空港

機内よりブリッジに出ると、ひんやりと冷たい空気が漂い、道の奥に来たことを感じる。

早速、出迎えのバスに乗り込み八甲田山へと走る。 雪がちらつき、こちらは晩秋は過ぎ

すっかり冬の世界。 バスの窓ガラスは、露で曇もって外を窺うことができない。

 やはり日本列島1000kmも北上すると気候の違いを実感する。

青森は県庁所在地の都市では日本で一番寒い街と言われる。


「みちのく」と言うが、よく土地を表しているようだ。 昔は「蝦夷」と言っていたが奈良・京都からは

余程の道の果てと感じていたのが頷ける。 勿論、道路もなく道の果てであったことは確かだ。

当時はアイヌ人も、かなり住んでいて、もっと寒かったのであろうが・・・


バスは空港道路を経て八甲田山高原に入る。 

ガスが立ちこみ窓の露をぬぐっても視界が利かず五里霧中。

 堂にか道路わきに生えるブナの林は、すっかり葉を落とし、紅葉など微塵も見えない。

ブナの木には雪が絡みつき、間もなく樹氷になるのでは? 八甲田大岳は1584mであるが、

この辺りは1000m程度の標高であろう。 

天気がよければ、八甲田大岳は勿論、岩木山や弘前の町も見えたのであろうが・・・

ただただバスはミルク色した霧の中、くねった道を走しっていく。


バスガイドが八甲田山での旧陸軍青森連隊の「八甲田山雪中行軍遭難事件」を話し出した。

この事件は映画や新田次郎の小説にもなり有名な事件で、明治35年(1902年)ロシアの

南下に対応にするという緊迫の時代、寒冷地の戦闘を予想した雪中訓練が行われた。

 
参加者210名中、199名が八甲田山麓で吹雪で道に迷い凍死すると言う大惨事であった。

当日は観測史上でも記録を破る寒波の来襲があり大きな原因でもあったが、指揮官が

地元の村民の案内申し出を「敵地ともなれば案内人はいない」と断り、決行をしたそうだ。


その結果は、手元のコンパスは凍りつき動かず、携帯の食料類は凍つて食べられず

あまりにも準備がずさんであったと言う。 地もとの案内人をつけた弘前連隊は犠牲者もなく

訓練を終えたと言う。 この事件は軍の失態で威厳にもかかわり長い間公表されずに、

謎の多い事件であると言う。 現在でも、こう言った隠し事が政府に

見られるのは相変わらずのようだ。


やがてバスは八甲田山の峠を越え、奥入瀬渓硫センターに到着する。

霧もなくなり、この辺りの植生はブナやトドマツが多く中部地区とは様相が違う。

標高も低くなり、紅葉も見かけられる。



奥入瀬渓流観光センター

観光センターで食事を済ませ、奥入瀬渓流へ。 渓流は観光センターより約14kmの

コースであるが、我々は、その途中より入り十和田湖まで2時間ほどの渓流の散策をする。

ブナの林に覆われた渓流は、すっかり落葉し、遠くまで透けて見え明るい渓流が眺められる。

葉をつけていれば、もう少し黄色く艶やかであっただろうが・・・ 今は冬景色。

ブナの根元は薄らと雪化粧で青い草をおおっている。 


遊歩道は落葉でカサコソと音がするどころか、融雪の水で落葉がびしょびしょで、

足が沈み、ご婦人方は足元に気をとられ渓流の眺めは二の次で、

専ら、ぬかるみの足場を眺めて歩いている。

渓流の水量は少なく穏やかに流れているが、春には、もっと水量も多く激しいのであろう。



雪化粧のブナの林




雲井の滝




双竜の滝




渓流のながれ




老木




足元を気にする一行

銚子の大滝を見て、奥入瀬渓谷を出て十和田湖に向かう。 

十和田湖は雪を被った山より湖面を渡る風が冷たく思わずフードを被る。

 「乙女の像」のシルエットが午後のうす曇の光をバックに浮かんで見える。



銚子大滝





十和田湖への道

十和田湖・御前ヶ浜に建つ「乙女の像」は彫刻家・高村光太郎の最後の作品で傑作と言われ

顔は智恵子夫人がモデルになったそうだ。 傍で見てみると、身体は肉感的な

ボリュームのある中年女像で、乙女とは程遠く、ガッカリであった。

ベルギーの小便小僧もがっかりしたが、この像も然りだ。

この像を「乙女の像」と命名した理由は何だったのか??



乙女の像




十和田湖・御前ヶ浜


御前ヶ浜は波が高く海の様で風が冷たく早々に切り上げ、バスの中へと駆け込む。

これからは津軽ともお別れして、国道103号線を通って秋田県へ。

うねった道を登り県境の発荷峠へでる。 こちらからの十和田湖の眺めが見所と言う。

湖面からは約250mの高さにあり、右手に中山・御倉半島が突き出し左手には大きい

カルデラ湖が拡がっている。 面積は61km2と日本で12番目の大きさである。



湖の傍にある十和田湖神社



 
発荷峠より見る十和田湖

峠を下り103号線を走って、東北自動車道の十和田湖インターより鹿角八幡平を経て

今夜の宿舎、秋田・湯瀬温泉へ。 湯瀬温泉(湯瀬ホテル)は十和田湖と八幡平の丁度中間に位置し

米代川渓流沿いに立つ小さな温泉である。 部屋は本館より渡り廊下で米代川を渡った

別館の7階にあり、幅広の床の間を持ち、窓際の広縁は畳みより一段低くなり、応接セットが置かれ

洒落た和室である。 窓は大きくとられ正面には山が迫り、それを借景に

日本庭園が造られ、渓流と相まって良い眺めとなっている。


浴場は別館と本館にあり、別館が混んでいたので本館へ行ってみる。

中は洗い場がブースの様に個別に仕切られ、シャワーが備えられていて便利がいい。

その奥に大きな湯船が設けられ、窓景色を眺めながら湯船に寛ぐ。



ホテルより見る米代川渓流とホテル本館


夕食は食堂で、畳の上に少し低めの椅子を置いたテーブル席で落ち着いた気分で

食事を味わえ、土地柄、きりたんぽと比内地鶏鍋、岩魚の塩焼き、海つぼ等。

味もよく満足できるものであった。


翌朝は、東北自動車道を更に南下し岩手県・盛岡へ。

右手に岩手の雪景色を見ながら走るとやがて岩手山が見えてくる。

北の八幡平方面から見る岩手山は「裏岩手」と呼ばれ凸凹とした横長の山に見える。

 バスが進むに従い、やがて山の東側に位置する盛岡が近ずくと富士山の様に長い裾野を引く

独立峰に見え「表岩手」と呼ばれる美しい形に見える。 岩手山は2038mと岩手県の最高峰である。



八幡平の山々




北側八幡平より見る岩手山





盛岡よりの表岩手山


盛岡インターを降り46号線へ入り岩手山の南側に廻り込むみ雫石の辺りに来ると

外輪山の黒倉山と繋がり長い山に見える。 46号線を更に走り奥羽山脈を貫けると

秋田県の田沢湖があり、その先の東北の耶馬溪と言われる「抱返り渓谷」へと進む。


「抱返り渓谷」は八幡平より源を発する玉川の渓流で田沢湖を含め

秋田県東部に位置し「田沢湖・抱返り県立自然公園」に指定されている。



雫石辺りより望む岩手山




岩手山につづく犬倉山、大松倉山


46号線を神代地内で左に玉川沿いに出ると抱返神社がある。 其処を通って神の岩橋と言う

赤い大きな吊橋があり、その下をエメラルドグリーンの渓流が奇岩を縫って流れている。

抱返り渓谷は東北の耶馬渓と呼ばれ、両岸は原生林が迫り、紅葉があれば、この水色と

互いに相まって素晴らしい眺めが楽しめたのであろうが、残念ながら

青い渓流と奇岩、そこに散った落葉から全盛期を想像するのみである。



抱返り渓谷の石碑




落葉と渓流




近くには神代発電所がある。




両岸断崖が迫り下は緑の淵




洞穴を潜って更に奥へ




渓谷の目玉・回顧の滝

抱返神社より回顧の滝までの渓谷美をみて、国道46号線を更に西へ進み、秋田県仙北平野の

北部に位置する「みちのくの小京都」と呼ばれる角館に向かう。 

途中、狭軌の秋田新幹線に出会い実にゆったりとした速さで

沿線の車窓を楽しんで行く様であった。


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