帆船ビクトリア号名古屋港水族館

2005.7.21



夏休みに入り、待ち兼ねていたのか孫がやって来た。

彼との交渉の結果、名古屋港水族館にお供する次第となる。

ガーデン埠頭は最近イタリア村のオープンから埠頭向けの車が増え

交通が渋滞していると聞いていたが、とり越し苦労に終わって、一荷が降りた。

暑さの為か訪問客も少ない様だ。


この地区はフェりーも発着する埠頭で、海洋博物館(ポート・ピル)を真中に

西に水族館、南極観測船ふじを配し、海と触合う憩いの広場となり

アミュ−ズメント施設もふえ、最近では東の端にイタリア村が開かれて

ショッピングゾーンまで充実されてきた。


 ガーデン埠頭のシンボル、ポート・ビルが見えてきた。


南の先に有る港のシンボル・ポート・ピル


ポートブリッジを渡ると、”スペイン・パピリオン・ビクトリア号公開中”の看板があった。

孫に聞くと、見たいと言うので、ビクトリア号を先に見ることにする。


ビクトリア号は、やけに小さい物であった。

この躯体でよくも世界一周が出来たものだと驚いた。
全長26m、最大幅6.7m)

乗りこむと、矢張り風が吹くとゆらーりと揺れる。

この船は1992年のセビリヤ万博で展示したものを修復し、今回は世界
一周航海までして、愛知万博に寄せられた。
元々、世界一周を最初にした船で、1519年にマゼラン率いる5隻の
船団でセビリヤ港を出港した。
目的は大西洋と太平洋を結ぶ新しい海峡の発見と、当時、貴重なもの
であった香辛料の生産地であるモルツカ諸島へ到達することであった。
大西洋を横断し、ブラジル、アルゼンチンと海岸沿いに南下し、マゼラン
海峡に辿り着く。 その間一隻は逃亡、もう一隻は川で座礁、その後
フイリッピン原住民との戦いでマゼランは無念の死を遂げる。

船員不足から、更に一隻を廃棄し、残るは2隻となる。
その内のビクトリア号はインドネシアよりインド洋を横断しスペインへ戻る
こととなり、もう一隻のトリニダート号は太平洋を渡ってスペインへ戻る予定
がメキシコ領にて当時スペインと交戦中だったポルトガルに拿捕となる。
結局、1522年セビリヤ港に投錨したのはエルカ−ノ率いるビクトリア号
唯一隻だった。  18人の乗組員は初めて世界一周を成し遂げた。





メインマストに掲げられた垂れ幕
マストの上部にはバスケットが付けられ

こちらへ乗組員達は縄梯子を渡って見張りに立ったのであろう。


後部よりタラップを渡って入り、船尾の上甲板に上がる。 4人組のオジさん達が海を眺めていた。

甲板を降りると部屋があり、当時の甲冑が陳列されていた。

甲冑の左には後部マストの柱が黒く光り、細いのに驚く、その左は高級船員の部屋となっていた。

マスト柱                  甲冑





船首より船尾部を望む




下部船室では舵棒が船尾へ延びていて、当時貴重品でった香辛料やチ―ズ等も見うける。




上部デッキより見るスペイン国旗



船尾上部デッキより船首部を望む

それにしてもこれだけのスペースで18人がよく暮らして来た物だと思う。



ポートブリッジより見るビクトリア号

ビクトリア号を左に見ながらブリッジを水族館へ歩く、沖からの風はあるが、生暖かい。

水族館の南館が見えてきた。



名古屋港水族館  05.7.21

水族館南館



 水族館メインゲ−ト                    水族館改札へ





水族館北館に入る。 館内は薄暗く、水槽からキラキラした光線が入り明るい。




このライトブルーの水槽で自由に泳ぎ廻るイルカ達を見ていると、その爽快感に

暑さを何処かへ忘れさせてくれる。 矢張り皆さんここで涼んでいる人も見かける。






イルカを見て、メインプールで鯱のショウがはじまているというので三階へ急ぐ。

三階に着くとスタンドでは既にショウは始まっていた。




鯱が何かの芸を終わったのであろうか、鮭のような大きな魚を大きな口に

丸ごと呑み込んでしまった。




今度は鯱が台に上がるようだ。   強烈なしぶきを上げ、横鰭を台に引っ掛けアッと

云う間に駆け上がる。






ブルーの水を背景にしたこの水性動物は神の悪戯によるものか白黒のツートンが美しく見えた。


  



その後、鯱は餌を貰いながら向い正面へと泳いでいった。




向い正面で何か兄さんに号令を掛けられたと思ったら、強烈なスピ−ドで、うなりをあげて

プールを泳ぎ出す。  遠心力で飛び出さないかと心配になる。

やはり、3トンからの体重の生き物が水中、全速で走ると凄さがある。 

プール際で見ていた人達はしぶきを浴びて濡れていた。





観客のどよめきが終わり、鯱を中心としたイルカ達の立泳ぎによるショウ終了の挨拶となった。




おわり
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