京都・西山々麓界隈の秋3 
08.12.2


勝持寺(花の寺)
京都市西京区大原野南春日町

  
  勝持寺は天台宗の寺院で、元は680年、天武天皇の勅願によって役行者が創建したのが始まりで、

  791年、桓武天皇の勅により最澄(伝道大師)が堂塔伽藍を再建し薬師瑠璃光如来を本尊とした。

  838年には仁明天皇の勅で塔頭49院が建てられ繁栄したが、応仁の乱で仁王門を除き全て焼失

  した。 現在の建物は乱後の再建されたもので天正年間のものと言われる。 この寺は桜の名所とし

  ても有名で平安末期、西行法師が隠棲したゆかりの寺として親しまれている。



光明寺に比べると寂びた感じのする寺である。 南門を入ると茅葺の庫裡があり、綺麗に張られた

障子がはいり実に素朴で、西行が出家した当時はかなり人里はなれた立地の侘しい所であったのだろう。

庫裡の前を貫けると、瑠璃光殿があり、国宝の如意輪観音半跏像、重要文化財の薬師如来坐像が

安置されていると言う。 小さな門をくぐると本堂(阿弥陀堂)に出る。


南門





茅葺の庫裡






茅葺の庫裡






瑠璃光殿





入口の奥に阿弥陀堂(本堂)

本堂は桜の樹がメインの様で、正面より見る本堂は心なしか侘しい。

西行じゃないが「願わくば桜の時期に」また来て見たいものである。

本堂より石段を下りた処には鐘楼堂があり、中央には葉の落ちた西行桜が楚々と立っている。



(阿弥陀堂)本堂






鐘楼堂

西行は和歌だけでなく文武両道に優れた鳥羽院の北面の武士であったが、平安の末期

この寺に入り出家したと言う。 出家の理由は友人の急死による無常観とか、白洲正子の

鳥羽院の中宮であった待賢門院との失恋説とかあるが定かではない様だ。


西行はこちらで庵を結び、一株の桜を植え吟愛していたと言う。 世人は、それを

「西行桜」と称し、寺も「花の寺」と呼ぶようになったそうだ。

謡曲の「西行桜」は、こちらが舞台となり西行の庭の桜との春宵の閑寂な

情趣をえがいたものと言われている。 室町時代には細川幽斎が連歌の会を

催すなど、幾つかの時代で「花見の宴」がもたれたそうである。



西行桜、

日も暮れかかり、何処ともなく侘しい。




鏡石

西行出家の時(1140年)、この石を鏡の代わりに使い頭を剃ったと伝わっている。




冴野の沼

「冴野の沼」は大原野の歌枕となっている。 これだけ和歌とのかかわりが多いところだった様。





桜の枯れ木

境内には西行桜をはじめ数種類約100本の桜が植えられ、その大半が染井吉野だそうだ。

桜は4月上旬に満開となり、モミジは自生したもので、例年11月中旬に紅葉をむかえるそうである。



敷きモミジ





京都、西山・大原院 恋に破れた女人が一人♪♪


モミジも盛りを過ぎたようで散モミジが美しかった。 古刹と西行と散りモミジ

彼方此方に寂びた雰囲気の漂う趣のある古寺を味わうことが出来た。

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この度の京都は、比較的観光客の少ない所を選んだ積りでいたが、大勢の人たちに驚いた。

しかし、 紅葉! 楓! もみじ! っと、身も心も、紅く染められ、満足の行く一日で

紅葉と京都・西山を堪能できた。 これで当分は紅葉見たさの気持ちも落ちつこう?


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