秋・八ヶ岳 トレッキング
09.10.10〜09.10.11
登山の魅力は、汗を流して苦労の果て目標まで到達した時の開放感が何とも素晴らしい。
また季節の移ろいの美しさや自然の造形の素晴らしさなど色々ある。
深い原始林から視界の広がった展望へと繋がる光景は同じの様であるが
来るたびに微妙な違いを見せ底知れない懐の深さを感じさせる。
今回も、また、この魔力に魅されて八ヶ岳を訪れた。
連休前、台風18号を心配していたが、その後、スピードを増し巧く通り過ぎて呉れた。
八ヶ岳の行者小屋に電話を入れると、OKとの返事、台風で沢の水が増しているので
北沢ルートを登って来て下さい、とのことであった。
諏訪南ICよりの八ヶ岳連峰への道
例によって息子一家を誘い10月10日から翌日にかけ出掛けることにした。
しかし、当日になって息子たちが来ないので電話を入れると、寝すぎてしまったと言う。
やむ無く一時間遅れの出発となる。 ところが、中央高速道の駒ヶ岳の先で事故発生で
渋滞なんと一時間、たらたらと遅れてしまう。 ついていない時は得てしてこんなこと。
結局、諏訪南ICには2時間半送れ13時半過ぎに到着。
ゲートを出て左折すると、八ヶ岳へ向かい一直線の道が続いている。
その前方に八ヶ岳連峰が存在を見せる。
八ヶ岳の峰々を見ると、遅刻や渋滞でむしゃくしゃしていた気分も何処へやら、
何時しか吹っ飛んでしまい、一行歓声を上げる。
やがて直線道路は突き当たり、左折して間もなく美濃戸の別荘地帯に入る。
こちらは、もう八ヶ岳山麓で海抜1500mレベルの地域、車は爽やかな風を受ける。
別荘地帯を抜けると、道は狭くなり車の底が時折地面をすりギーと音を出す。
前からの車と出会い、交わすのに一汗、土地の人か車の捌きをアドバイスしてくれる。
20分ほど走り美濃戸の赤岳山荘に到着。 元気な小父さんが出てきて、こちらに車を預ける。
小父さんに登山コースについて訊ねると、「子供連れなら北沢コースにしなさい」と仰る。
小父さんに略図を貰って、いざ出発!! 結局、登山開始は14時となり、日暮れが心配。
八 ヶ 岳 八ヶ岳は中信高原国定公園に指定され赤岳(2899m)を主峰に南北30kmに渡る山脈で 長野県から山梨県に跨っている。 夏沢峠を境として北八ヶ岳と南八ヶ岳に分けられる。 北八ヶ岳はなだらかな山が多く女性的であるが、南八ヶ岳は急峻な岩峰が多く男性的で 赤岳、阿弥陀岳、横岳と高峰が揃い山は赤茶けた岩に覆われ、登山シーズンは7月中旬から 9月が最適とされ、10月には初雪が見れる。 しかし、花の季節は梅雨明けがよい。 今回のコース概要 地 名 海 抜 標高差 距 離 美濃戸(駐車場) 1760m 0m 0 km 赤岳鉱泉 2300m 540m 4 km 中山乗越 2370m 610m 4.7km 行者小屋 2350m 590m 8 km 赤岳尾根 2700m 940m 9.5km 行者小屋 2350m 590m 11 km 美濃戸(駐車場 1760m 0m 14.7km |
歩きよい林道を進む。
林道を暫く進むと標識があり道は二手に左北沢、右南沢とあり、我々は小父さんの奨めの北沢へと進む。
里では未だ紅葉は早いが、こちらでは林道を歩くほどに木々の葉の色付きが濃くなり
高度を増すほどに、だんだん秋が深まり落ち葉も多くなる。
次から次と林道の景色は変化し、秋の深まりの中にどっぷりとつかる。
北沢と南沢の分岐路
秋盛り
景色は変わる。
やがて堰堤があって、林道より渓流へ、これからがいよいよ北沢コースだ。
水はかなり冷たそう。 大きな石に北沢とペンキで書かれ、我々を導いてくれる。
橋を渡り沢を伝って進む。
岸にある岩に珍しいコケの様な植物がはえ、まるでビロードを覆ったようだ。
道は沢を右や左に渡り、ジグザグしながら登って行く。
冷たそうな清流
北沢への誘い
沢岸のコケ
沢をじぐざぐ
行者小屋(2360m)へは2時間半の予定であるが、身体はだんだんと汗ばみ、太陽も傾く、
小屋へ日暮れまでに到着が出来るのか気もあせる。
沢の変化する景色
岩場
エメラルドの清流
危険な箇所は鉄材で整備されている。
あたりも暮れ、やがて川も広がり開けた先に横岳の「大同心」の尖った岩峰が見え気持も高揚する。
更に進むと小屋が見え広場が見えてカラフルなテントが見える。 どうやら赤岳鉱泉に着いた様だ。
時計は五時前、3時間弱掛かかって40分遅れで到着。 これから行者小屋までは更に30分を要する。
ヘッドランプを持っているか確認をする。 2個持っているというので都合3個。 これで暗くなっても一安心。
赤岳鉱泉から道は掘割の様に狭くなり暗い登りとなる。 孫達が、未だかまだかと、ぐずりだす。
もうじきだと、励ますが、こちらも、ぐずりたい気持ち・・・・
大同心手前
掘割のような暗い細い道
出る汗を拭き拭き坂道を登る。 やがて中山乗越(八ヶ岳連峰展望台への分疑点)に到着。
こちらは明日行く予定の所で、今日は横目に小屋へと急ぐ。
ここからは下りとなり、足がどんどん進む。 間もなく視界が開け行者小屋が見えた。
小屋の広場に赤や青のテントが見える。 や〜と、着いた。
孫たちもテントの光景を見て、 ツイタ!! 歓声をあげる。
下りて行くと、もう登山客は、寒いためか小屋の外には誰も見えない。
我々が最後の客のようだ。 所要時間3時間15分、日の入りぎりぎり前。
中山乗越展望台分疑点
小屋より見る横岳の「大同心の岩峰」
行者小屋(2350m)
中へ入ると、係りの人が「靴は棚に上げて宿帳を書いて下さい」と言うが、
靴棚は一杯、小屋の人達の所へ置かさせて貰う。 小屋は連休で満員と言う。
流石に東京に近い関東圏の山だけに中部圏の山とは様子が違う様だ。
部屋は一番奥の個室に案内される。 周囲を阿弥陀岳、中岳、赤岳、横岳の山に囲まれた盆地で
湿気が多く部屋が湿っぽい。 孫たちは着くや否やザックを下ろし、小屋の見聞に出て行った。
入れ代わって、小屋の人が「食事が出来たました」と知らせてくれる。
孫達が戻らず、暫く待っていると戻って来た。 開口一番。
「夜はご馳走だ! カレーに白と茶のウインナー、グレープフルーツにオレンジもある・・・」と叫ぶ。
早速、全員食堂へと。 席に着くと係の人が食事を運んでくれる。
孫たちが言ったとおりの食事である。
普段から少食の兄孫がカレーを美味い美味いと、あっと言う間に平らげる。
食べ終わって得意顔。 孫娘も頑張るが、やはり大人の量は食べきれない。
もったいないが、こちらでは効率優先で子供の区別はしないようだ。
やはり高地、暖かい味噌汁が美味い。 こちらも納まるものが納まり大いに満足。
部屋に戻ると、孫たちがはしゃぎ過ぎ、息子の雷が落ちる。 「これから連れて来ないよ!」と
兄孫が親父の御機嫌を窺うのか、「お父さん こちら便所は水洗だよ!」と言うが
お父さんは「う〜ん」と唸るだけ。
静かになり、明日の計画を話し合う。
まず赤岳には文三郎登山道で登り、その後、中山乗越展望台に行くことにする。
後は、消灯(20時半)まで寛ぎ、孫娘が布団より囁いてきたが、話し疲れたのか
眠ってしまった。 やがて電気も消え、こちらも眠りにつく。
食堂
翌朝、4時半に目が覚める。 やはり、早く寝ると目覚めるのも早い。
もう一度寝ようとするが、うつうつとしているだけで寝れず起きてしまった。
洗面所に行くと、早や多くの人達が来ていた。
洗面を済まし外にでると霜で真白である。 思わず身震い。
未だ暗いのに、山男の朝は早い、大勢の人たちが出ていた。
皆さん空を見上げて星の美しさや山の様子など夫々話している。
空が白んで来ると、星は何時しか失せて月だけが輝いている。
息子もいつの間にか起きていて、久しぶりに綺麗な星を見れたと言う。
暫くすると東の横岳の辺りが白んで山がシルエットを描き山の下には
テントのカラフルな色が薄らと見え山の夜明けが始まった。
どんどんと、あけて行く夜明けに山々は色を変え姿を変えてドラマを造りだす。
横岳の岩峰の鋭さが見えてくると、中岳が早くも朝日を浴びて紅くなる。
赤岳は太陽が真後ろの為、相変わらずの真っ黒の影絵、山肌は見えずじまい。
八ヶ岳の夜明けの大絵巻を見て小屋へ戻る。
部屋に戻ると孫たちも既に起きていて、母親と連れ立ち、入れ代わり日の出を見に行く。
朝を待つ小屋前
横岳とテント
横岳の移ろい
中岳と日の出を見るキャンパー
山肌を見せない赤岳
朝の食事が始まる。 定番の献立である。 皆さん朝は食事を済ませ慌しく出かけて行く。
中高年者が多く、子供ずれは我々だけだ。
この小屋の客は殆どが赤岳方面へ一部が阿弥陀岳へと出かけると言う。
日の出の時、出会った人は最南端の編笠山に行くと言っていた。
我々も空いた席に座り食事を戴く。 通常よりは早い食事であるが山では
美味しく食べられる。 それだけ身体が要求するのであろう。
食事を済ませて荷物をまとめザックは小屋に預けることにする。
身軽にして7時小屋を出発。 コースは3つあるが、我々は無難な文三郎登山道を行くことにする。
道は東の赤岳に向かい登って行く。 強い霜が下り相変わらず日陰で気温が低く
霜柱や土の固さから零下であることは確実だ。 先日の18号台風の被害か
登山道は流木で荒れ歩きにくい。 最近は温暖化で氷も見なくなったが、
こちらでは昔の冬と同じ、兄孫が氷が珍しく盛んに霜柱や氷柱を見つけては
ストックで叩いたり、氷柱を舐めたりで、興味津々。
孫娘は寒い寒いと氷どころではないようだ。
八ヶ岳と行者小屋のロケーション(赤字が小屋の現在地)
流木で荒れた登山道
霜柱の大きいこと
15分ほど荒れた道を登ると道は2つに別れ右は阿弥陀岳・中岳へ、我々は左の赤岳への道をとる。
だんだん坂は急になり無難と言われるコースだが道はガレて結構厳しい登りである。
更に進むと、道は鉄製の階段となり、チエンが脇に張られている。
ガレ道と違い足場はしっかりしているが、斜度は30度、階段の蹴上げが高く、
健脚でない後期高齢者には応える。 途中鉄橋もあり、足がすくむ場面もあり
結構、冷や汗もかき寒さはどこへやら息は上がり身体は汗ばむ。
ふと下を見ると行者小屋は、すっかり小さくなり林の中に見える。
こう見るとかなり急な斜面であることが分る。 行者小屋や坂道は相変わらず
赤岳の影で日陰になり、この分では昼前ぐらいにならないと小屋の日陰はとれそうもない。
小さく見える行者小屋
更に鉄製の階段を登って行くと、やがて道はザレた坂道となり幾分楽になる。
文三郎登山道の終点、赤岳の尾根が見えて分岐の道標が微かに見える。
右手には阿弥陀岳と中岳が朝日を浴びて掻きむしった様な赤い岩肌を輝かせている。
我々が休んでいると、下から、息を弾ませながら、お爺さんが登ってきた。
我々のところで座り込み一服のようだ。 「どちらからですか?」と
訊ねると、「東京からです。 若い時は何回も来たのですが、すっかりばてました」と仰る。
歳を尋ねると、75歳と言う。 いみじくも小生と同じである。
「奇遇ですねぇ!」と親近感を覚える。 孫に「頑張るねぇ。 後もう僅かだからねぇ」と
励ましてくれる。 あまり休んでもおれず、こちらは「ごゆっくりどうぞ」と、先に行くことに。
鉄製の階段を登り切って小屋を望む
つづく HOME