ポケモンの軌跡

「ポケットモンスター」
この名前を聞いて、懐かしがらない者は僕の同級生にいない。僕は今高2であるが、小学生時代の半分はポケモンで過ごしたと言っても過言ではないだろう。ポケモン発売時、僕は小2から小3に上がる時だったのだから・・・間違いなく、ポケモンブームの直撃を受けたことになる。 
そして最近、懐かしがって友達の間でポケモンを再プレイし出す者が続出。僕もまた猛烈に懐かしさがこみあげてきたので、まさしく日本の子供を洗脳した、このポケモンの軌跡を書き留めておこうと思う。



1996年2月27日、ポケットモンスター赤・緑同時発売
このCM、印象に残った方も多いのではないだろうか? 「あたしとポケモン勝負しな〜い?(ブンブンブン←通信ケーブルを振り回す音)」「あんただ〜れ?」
ってヤツ。
友達の間ではこのCMは非常に不評だったのだが・・・
「こんなよくわからんもの誰が買うか!」友達の間では、そんな空気が流れていた。
一方2月28日、別冊コロコロコミック4月号でマンガ「ポケットモンスター」連載開始。作者は「くにお君」の人だった...
漫画の評判は最後までそれほど良くなかった感があるが、このコロコロとポケモンとの固い結びつきが、97年になってマガジンと共にジャンプ黄金期をぶち壊す原動力となるのでだった。

そして大量のCM量を以ってこの世に送り出されたポケモン赤・緑であったが、最初の週の売上はあまり振るわなかった。なんと初登場20位。そして本来のゲーム推移なら、ポケモンはこのままフェードアウトしてゆくはずだった・・・
だが、春、夏とポケモンはロングラン。どんどん順位を上げてゆき、96年9月、出荷数は100万本を突破。この時点でポケモンは、この年の日本のゲーム界の「顔」となったと言ってよいであろう。僕の周りの友達の間でどんどんポケモンの話が出るようになったのも、この頃だった。
しかしその勢いは、ご存知の通りこれで終わるはずが無い。96年10月、ポケットモンスター青・期間限定誌上通信販売開始。小学館発行の8誌でのみ発売された。
これは実に衝撃的な発表、全く新しい試みだったと思う。この珍しい入手方法に惹かれる者も続出したことだろう、僕の友達はこぞってこれを入手にかかり、この時点で70%の友達が持っていたと思われる。
更に96年10月20日、ポケットモンスターカードゲーム発売。このカードゲームの推移もポケモン本体に似たものとなり、最初の半年はおとなしくヒットする程度だったが、その後小学生の間全体に爆発的に広まる凄まじい大ヒットをみせた。


1997年。
この年はまさに「ポケモンの年」そのものであった。、いよいよポケモンが日本国民全体に知れ渡ることとなる。
97年3月、出荷数は300万本を突破。
当時放送していた任天堂のゲーム番組、「64マリオスタジアム」でも、30分の番組中半分以上をポケモンに割く状態になった。そして・・・・
97年4月1日、TVアニメ「ポケットモンスター」始動。
このアニメによってまだGBをしない幼稚園児、もしくはそれ以下の年齢の子にも、ポケモンが浸透していくことになるのだった。初回の視聴率は10.2%。ワンピースの平均視聴率が13%ということを考えると、まぁこんなもんか、といったところだろう。しかし、もちろんこれは初回だけの話であり・・・!
・・・更に主題歌「ポケモンゲットだぜ」も、小学生の間では大ヒット。「ゲ〜ットだゼイエイエイエイエイエイエ〜♪」 と、よく歌ったものだ....      がしかし、ポケモンの歌のヒットはこの歌に留まらなかった。そう、間違いなく一番歌われたポケモンソングは「ポケモンいえるかな?」である。
ピカチューカイリューヤドランピジョン コダックコラッタズバットギャロップ サンダースメノクラゲ 派宇和ウカラカラタマタマガラガラフシギダネ アーボイーブイウツドンエレブーカビゴンカブトサイドンジュゴン ポリゴンディグダドードリオゲンガー ドガースルージュラニャースシャワーズクサイハナ・・・!  
・・・・いやいや、本当にこの歌のパワーはどこから来るのだろう?  全国の小学校中にこの不思議な歌・・・ってか、ほとんど歌じゃないんだがこれが蔓延った。 更にこの歌は、CMに使われたポケモンカードの存在も強くアピールし、この数ヶ月でポケモンカードは大ブレイクすることができたのである。
そして97年6月28日、この2曲+2を収録した「めざせポケモンマスター」CDシングル発売。 だが、登場週では20位にすら入らなかった。・・・このシングルが12月になって週間8位を記録、翌年もヒットし続けて112万枚を売り、あわや年間10位になるなどと、この時は誰もが予想しなかっただろう。
アニメの視聴率もぐんぐんと上がっていた97年8月、遂にポケモンの売上は600万本を超える。この時点で、あの「スーパーマリオブラザーズ」の売上をも超えてしまったのだ。
更に97年10月7日、TVアニメ特番「ポケットモンスター・秋のスペシャル」の視聴率が17.4%を達成し、同日ゴールデンタイムのトップとなった。半年前に放送を始めたばかりの6時半頃のアニメが、ゴールデンタイムのトップとなるなど前代未聞。これはやはり、アニメ自体の質が良かったとしか思えない。いや、個人的にもあの事件の前までのこのアニメの質は、実に良いものだったと思える。ロケット団のアホ過ぎる行動の数々もマンネリ化には至らず、色々と笑えた。中でも一番面白かったのは巨大ポケモンの島の話。なんとポケモン語に字幕が振られた話なのである・・・・この話の脚本家は神だと、僕は今でも思っている。
そして97年11月、この月のポケモンの活躍はもはや異常を極めた。11月1日に発売されたポケモンサウンドトラックがまず売れ、11月21日には「ポケモンかけるかな?」までが登場。 ぶっちゃけた話、このCDは全然楽しめませぬ。えかき歌が曲になってるだけなんだから.........(−.ー)   で、このCDは売れたのか定かではないが、同日にはポケモンカードゲームのブースターパック、「ロケット団」が登場。思えば、これがポケモンカードの絶頂期中の絶頂期だったのだろう。 
ど こ の 店 に 行 っ て も 売 り 切 れ
という凄い事態が起きたのだから。もう子供の親は子供に引っ張られ、数多くのデパートやおもちゃ屋を回る回る。しかし、どこへ行っても売っていない・・・・本当に凄い事態であった。 当時小4の僕自身がこれを手に入れたのは、発売して1ヶ月以上経った頃だと思う。親から「見つけたから2パック買ってきたよ」と言われて手渡され、高く飛び上がって喜んだのを今でも覚えている。
更に11月11日、TVアニメ「ポケットモンスター」第33話の視聴率が18.6%を記録。前後あわせても、これがポケモンアニメ史上最高の視聴率となった。 これによって本格的にメディアにも取り上げられ始めたポケモン。朝日新聞でも取り上げられ、「第二のドラえもんを目指す」とまで発言していた。
スタッフ、声優が本当に嬉しそうにして並んでたのを覚えてるなぁ・・・・。
そして12月に入ってからか、コロコロコミック誌上に映画「ミュウツーの逆襲」の制作決定が載る。この頃になると、完全に小学生の購入する雑誌はジャンプでなく、コロコロに変わっていたと思われる。コロコロのポケモンを看板とし、更にミニ四駆、ハイパーヨーヨー、ビーダマンなどを前面に押し出したホビー戦略の前に、ジャンプの牙城は完全に崩落していたのだった。



もはやこのポケモンの勢いは留まるところを知らなかった。
一体この勢いを誰が止められるであろうか・・・誰もがそう思っていた。


しかし、そんな時・・・・
事件は、起きた


(ポケモンの歴史、後編に続く)