【コ ラ ム】

No.38/2006.10
9月1日指定管理者制度へ

前 田 館 長 抱 負 を 語 る


  美術振興協会は、そもそも美術館を運営する目的で、「みんなで作る美術館」を実現するべく、町民有志により設立されました。爾来今日まで美術館の管理運営に携わってきました。

  言ってみれば、指定管理者制度を先取りしていたのです。それだけに行政としては、他町村のように、管理経費が劇的に安くなったということは実感しないでしょうし、表面的には、美術館に勤務する館長や学芸員などの人事に変化があったわけでもなく、いったい何か変わったのかと疑問に思うことでしょう。

  一方、振興協会側からは、従来と大きく変わった点があります。
  まず1つは、これまでは、振興協会は、岩内町教育委員会事務局の出先機関のような存在でした。

  なんとなれば、管理運営に携わる職員は町から派遣されていたこと、また振興協会の予算は、(その大部分は美術館の管理運営経費ですが)実質的に岩内町の予算査定を経なければならず、学芸員が大いに苦労をしておりましたが、これからは民間事業者としての振興協会が、指定管理者を希望する株式会社などに負けない程度の見積額で町と交渉することとなり、入館料やミュージアムグッズの売り上げは振興協会の収入として運用できますので、経費の縮減を促進するインセンティブ効果が期待できますし、協会の自主性が発揮できることとなるでしょう。職員もミュージアムグッズや喫茶事業などの売り上げ増加に向け、より一層頑張るでしょう。

 教育委員会とのパートナーシップのもとで、町の財政負担を軽減させるために美術館の現場では何ができるか、あるいは、岩内町の子供たちをはじめ、町民の誇りとなる美術館にしていくためには何をしていかなければならないか。町民の岩内美術振興協会への参加をお願いし、皆さんの知恵をいただき、当初の目的である木田金次郎美術館を通じて岩内美術・文化、普及と継承を図り、地域の文化と教育の振興を図っていかなければならない。そして美術館を守り育てていかなければ、岩内の先人さらには将来の岩内人に申し訳が立たないと考えています。  

館長 前田直久

No.38/2006.10

 7 月 4 日から 3 日間、岩内高校 3 年生の生徒さんがインターンシップ(職業実習)を体験され、その感想を寄せていただきました。  

美 術 館 で の 3 日 間


    私はインターンシップで、 3日間木田金次郎美術館でお世話になりました。美術館で働く機会はほとんど無いので、すごく楽しみでした。

 美術館では受付や事務の仕事をしました。 1日目は受付業務を教えていただきました。入場券の管理をするだけでなく、入館者チェック等もしました。時間、入場券のナンバー、個人・団体別など、とても細かくチェックしていたのには驚きました。受付業務では、受付に立つと緊張して多くの失敗をしてしまいましたが、上手に出来たときは本当に嬉しかったです。美術館の方々はいつも笑顔でお客様と接する事が出来ていて、凄いなと思いました。

2日目は朝から美術館の掃除をしました。館内の隅々まで掃除するのは、思っていたよりずっと大変でした。午後は展示室の監視につきました。お客様といろいろな話が出来たので楽しかったです。お客様の中には横浜から来た方等もいて驚きました。

3日目は事務の仕事をしました。封筒に宛名シールを貼ったりスタンプを押したりなど地味な作業が多かったですが、地味な作業が好きな私は楽しくやることが出来ました。

 今回のインターンシップでは「美術館ではこのような仕事もあるんだ。」と、美術館の裏も知る事が出来てとても楽しかったです。挨拶や電話の応対、お客様への接し方などたくさんのことを学ぶ事が出来て、本当に良い経験になりました。今日で終わりだと思うとすごく残念に思い、私にとってはとても充実した 3日間でした。

  館長さんをはじめ職員の皆さん、本当にありがとうございました。

K.A



No.38/2006.10

第5回 美術館講座感想


  「木田金次郎の千石場所を歩く」と題しての今回の講座。絵に向き合う度、この場所はどこなのか知りたい、そんな思いでおりました。
  今回、その願いが叶って、ああここだったのかと 納得 。岩内港、雷電岬への海岸を 廻ったところで 、「刀掛岩の絵は暗くて絵にならない、と話していた」と 説明を受けました 。今、展示されている絵の中に刀掛岩があるが、なるほど暗い。木田の絵に暗い画面はない ような気がしていたのだが。
  そして岩内神社付近、ここは岩内高校への近道通学路。 私がこの路を通ったのは 50 年前、木田がここを絵のモチーフにした時代でした。 そして現在、こんなにも風景は変わってしまい時代の流れを痛感。高校生の頃の思い出がなつかしく甦りました。バスは一路モイワをめざし、バスの中で説明を聞く。
  モイワ岩は 見る角度が少し変わると 絵の 中のモイワ岩 とはちがって見えます。流石絶妙のポイント。モイワから向こうを描いた絵はないという。木田が足で歩き描く限界がここまでだったのだろうか、と思い巡らしながら帰路に着 きました 。


(右端:「晩秋」の題材となった場所を解説する岡部学芸員)

 

Y.S



 

 
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37号第3回ナイトオープン