ナビの北海道旅行記1986 パート1
ナビが初めて北海道に渡ったのは1986年(昭和61年)の8月にバイクでのツーリングが初めてです。

それまではツーリングと言っても関東近辺にバイクで出かける位でした。長野県の白樺湖や新潟県の佐渡島には宿泊もしましたが、ソロではなく必ず仲間と一緒でした。

当時、あるバイク雑誌で北海道の特集記事を読んでいて「俺も行ってみたいなあ〜!」と思うようになりました。ただ1泊や2泊の旅行ではありませんから、相棒も見つからず意を決してソロで行くことにしました。

この旅行記は、そんな初めてのツーリングを掲載しました。

それでは旅の始まりで〜す!
お 詫 び
当時の日記や資料から出来る限り正確に記載してありますが、一部文節がまとまらない部分は多少の創作を加えてありますことをご了承ください。また現在との相違の関係で補足が必要な事項には( )で注釈を入れてありますのでご理解ください。
また当時はデジカメがなく、35mmカメラでの撮影しかできませんでした。そのため掲載するべき写真が少なすぎ、よって文章があまりに多すぎてしまったことを予めご理解ください。
8月2日(土曜日)
今日こそワクワクした日は無いだろう。生まれて初めて北海道なる見知らぬ土地に単独でバイクツーリングをするのである。実は親にも内緒のソロツーリングである。と言うか会社の同僚と行くことに話をしていた。やっぱり長距離のバイク旅行だから危険だと思われたくないと考えたためと、安心してほしいという気持ちからウソをついての出発だった。
午前8時に自宅を出発。今日は仙台までの走行である。仙台から出航している太平洋フェリーの時刻は午後8時。仙台まで約350km。それを12時間もかけてのユックリツーリングである。ちなみに高速道路は使わない。だって普通車と同じ金額を払うなんて納得できないから。(当時は軽自動車等という分類はなく例えバイクでもクラウンやセドリックなどと同額の金額を徴収されてました。

国道4号線(以後国道の表記はR表示で記載します)を走って埼玉県から栃木県に入る。埼玉で途切れていたR4バイパスは小山から宇都宮まで完成しているので、小山でR50号を少し走ってR4バイパスに入る。案内板には仙台は遠い地なのだろうか?福島までしか案内されていない。途中右手に日産自動車の栃木工場が見えてきた。「へ〜こんな所にあったのか!中学校の社会科見学で来たことあったけど、R4バイパス沿いだったのね!」と思いながら走っていく。でも工場の壁の長い事!いつまで走っても工場の壁が切れないなあ!

宇都宮郊外でバイパスも終わり一般道をひたすら走っていく。鬼怒川を越えるとローカルなイメージになっていった。少し休憩しなくちゃ。缶コーヒーを飲みながら今日のお昼を考えた。そうだ!黒磯で釜飯の駅弁を食おう!ってことで黒磯駅へ向かう。(今でこそ釜飯と言えば横川の峠の釜飯が有名だけど、当時は隠れた人気弁当で黒磯の九尾の釜飯も有名だった。ちなみに現在では販売されていません。)駅に行ってみたら、あれ?駅弁が売ってな〜い!駅員さんに聞くと、「東北新幹線が開通してから特急が来なくなったので駅じゃ売ってないよ!食べたければ西那須野駅で、、あ!そこの商店でも売ってるよ!」ってんで場所を教えてもらってそこで昼食。うん!美味い!!
胃袋を満たしてから出発。もう午後1時近い。ちょっとペースを上げなくちゃ。
信号も少なくペースを上げながら郡山を通過。やっと仙台の案内板がでてきた。

駅方向の案内板のある交差点で信号待ち。んん?ミラー越しに白いバイクが?ヤベ〜!白バイじゃん。何か違反でもしようものなら捕まえるつもりだろうか?オイオイ!俺のは250ccだよ!なんで750ccの貴方が俺の後ろにくっ付いてくるわけ?さすがに制限速度で走るしかない。ずっと我慢して走っていたからか白いバイクは途中左折していった。やれやれ!
やっと福島市内に入った。仙台まであと少し。時間は午後4時少し前。でも疲れた〜!背中が痛いし腰が痛い!でも午後6時前には仙台港に到着しなくちゃならないから、このまま走らないと!
仙台市内に入るにつれて交通量が多くなった。さてと、ここら辺で海辺に行かないとヤバイ。だんだん焦ってくる。

なんとなく潮の香り!そろそろだろう。でも貨物埠頭に到着。しかたがないので、警備員とおぼしきオッチャンに場所を聞き、なんとか仙台港に到着。でも、ここまで来てるのに実際はチケットを持っていない。

そう!キャンセル待ちなんです。受付でキャンセル待ち番号7番の紙を貰ってカウンター横で待つこと30分。2等船室のチケットに空きができたらしい。ラッキー!でも本当に乗れなかったらどうしたんだろうか?東北一周かなあ?まあ!乗れたんだから良しとするか!。でもフェリーなんて初めてで乗ったことはない。どうするんだろう?とりあえず受付嬢にチケットやバイクに付ける荷札みたいな紙をもらい指定された場所に行く。よかった〜バイク仲間がいるわ!とりあえず知ったかぶって旅慣れを装う。

誘導のおじさんの指示で船の中に入る。何かちょっとした工場の中に入る感じ。船員の誘導旗に従って指定の場所にバイクを止めた。「サイドスタンド出したらハンドルを左に切ってギアをローに入れて下さい。」だって!何やら意味ワカラン!と思ってみたけど言われたとおりにする。船員の方のテキパキとした動作に感心する。シートに麻布をかけロープで縛っていく。へえ〜!て思った。

たまたま隣にバイクを止めたS君と話をする。彼とは部屋が違うらしいので軽く会話をしたくらいで別れた。部屋と言ってもカーペットのひいた雑魚寝。俺って眠れるのだろうか?まあ今日は疲れたし早く眠れるだろう。でもハラ減った。レストラン行こう。ってことで夕食。なんかトレイを持って食べたいものを取り最後に会計するらしい。(現在ではカフェテリア方式というごく当たり前の方式なのですがのですが、当時は珍しかったでしょうか)単品では安いものは200円位からあるけど、しかし生ビールとつまみとして何品かチョイスしたらアッというまに1800円取られた。高〜いな!でも美味しかった。

食べたら急に睡魔が襲ってきた。シャワーくらい浴びようかと思っていたけど今の自分にそんな気力はなかった。でも着替えも出来ない雑魚寝って?自分の与えられたスペースは偶然端っこだったから片側は壁でよかった。何か枕を並べて討ち死にってのはこんなのをいうのかな?って位接近している。案内放送があって午後11時に消灯するとのこと。でも自分は消灯したのは知らない内に夢の中に入ってしまった。zzzzzzz!!(今では当たり前ですが、当時は2等寝台ってクラスはどのフェリー会社にもありませんでした。)


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