愛 国 駅 |
住 所 | 北海道帯広市愛国町基線39-40 | |
問い合わせ先 | 帯広観光コンベンション協会 | |
電話番号 | 0155-22-8600 | |
営業時間又は訪問可能期間 | おおむね4月から10月下旬まで 冬季は展示室には入れません。 | |
駐 車 場 | 無料駐車場有り | |
入場料又はそれらに関わる料金 | 無料 | |
ホームページ又は関連サイト | http://www.obikan.jp/ | |
コ メ ン ト |
帯広の市街地から国道236を南下し15分ほどの札内川を渡った愛国地区の奥にたたずんでいる。 昭和48年NHKでドキュメンタリー新日本紀行「幸福への旅〜帯広」が放送され、当時、広尾線の「愛国から幸福行き」の切符が1300万枚も売れるという一大ブームになった。それまで存在すら知られていなかった地方の駅であった幸福駅と共にこの愛国駅が一躍有名になったわけである。 愛国駅の名称は明治末期の開拓者が集まって愛国青年団と名乗った事からこの地区を愛国というようになり、広尾線開通時に愛国となった。であるから、元々幸福駅との関連性は全く無くテレビにて紹介されたことによりメジャーになった経緯がある。愛の国から幸福へというキャッチフレーズは万人受けしたのもあるが、偶然にも同じ路線で安価で切符が買えたのが幸いしたのかもしれない。(もしも愛国という駅名が網走や稚内の遠方にあったら、ここまで有名にはならなかったろう。) そして愛国駅から幸福駅までの乗車券が「愛国から幸福行き」切符として一時期飛ぶように売れ、観光客が多数訪れた。一時は廃止が免れるかとの憶測もあり、収入も9億4千万円と本線クラスまで上がったものの広尾線には焼け石に水でしかなかった。 昭和48年頃は無人駅で貨車と車掌車を改造した駅舎でしかなく、もちろん無人駅で実に寂しい駅だったそうだ。そして昭和54年に現在の駅舎に建て替えられた。その後隣の大正駅の助役が愛国駅の助役を兼務し有人駅格に昇格した。但し基本は委託販売の形式をとっていたらしい。廃止から16年以上たった今も保存されて交通記念館として第二の余生を送っている。風化されつつある他の廃線駅跡とは違い愛国駅は幸福駅と共に観光地として立派に整備されている。 ホームにはSLが展示されている。これはナビの知らない事だったのだが、廃止前日の日に実際セレモニーとして走ったらしい。(ほんとなのかどうか?未だに判りません)しかしながら実際に広尾線を走った記録のあるSLとして、ここに展示されています。また駅事務室の跡には広尾線が活躍していた時の機器や制服が展示されています。ただ幸福駅があまりにメジャーになりすぎているためか、観光バスの訪れは幸福駅の方に流れて、それほど多くなく一般観光客が幸福駅とセットで訪問する形が多いと思われます。また冬は観光されてもシャッターが降ろされて内部に入れませんし、SLも腐食防止のためブルーシートに覆われて見ることができません。 |
廃止される前の昭和61年初めて北海道にツーリングに行った時に購入した切符。このあと半年後に廃止になるとはこの時考えてもいなかった。この切符が都心のデパートなどでは400円から500円もしていたのには驚いた。 | 2000年に久々訪問した際に購入した切符。日付はダミーでいつの日付でも作ってくれる。廃止前は220円だった。観光用のため表面はコーティングされていて保存は便利だがその分色合いが変わっていて一目でダミーと判る。 |
愛国駅の写真集 |
昭和61年当時の愛国駅。当時は駅前は砂利でした。かなりモダンな建物だな!って思いました。 | 左の写真を拡大してみました。国鉄時代は愛のペアー切符なんてのが売られていたんですね! | |
2000年の時の駅舎。左側にはモニュメントができています。駅前はアスファルトで整備されてます。 | ホームには9600型というSLが展示されています。過去に広尾線で活躍していたSLです。 | |
いろいろな展示物に紛れて名刺や使用済み定期券がペタペタ貼ってあります。 | 駅で使用された器具や部品がパネルと併せて説明されています。 | |
廃止当時からぶら下がっている時刻表です。1日6本。乗りはぐったら下手すりゃ6時間後の発車ですって! | パネルのSLは現在保存されているSLなんです。この地でずっと休んでいてくださいね! | |
9600型SL、171号機。地元の方の手入れが行き届いていて、今にも動きそうですね。ありがたいです。 | 帯広駅方面を覗いています。となりの芝生には引込み線が2本あったと思いましたけど、、、どうだったかな? | |
真冬の愛国駅。管理が行き届いているためか、シャッターが下りてお休み中です。 | もちろんSLもブルーシートがかけられていました。腐食を防止するためには仕方がないですね。 | |