岩保木水門
住  所 北海道釧路郡釧路町字鳥通原野
問い合わせ先 釧路町役場商工観光課
電話番号 0154-62-2111
営業時間又は訪問可能期間 通年
駐 車 場 有り
入場料又はそれらに関わる料金 無料
ホームページ又は関連サイト http://www.town.kushiro.hokkaido.jp/kankou/index.html
コ メ ン ト
屈斜路湖を源流とする釧路川はいろいろな河川と合流して太平洋に注いでいます。岩保木水門は湿原を抜けた場所にあります。この水門には歴史的に貴重な建物です。

では、簡単にこの水門の建設の経緯について説明しますので、読んでくださいね。

明治時代初期から開拓民が開墾した釧路市街は遠く湿原を流れる釧路川の恵みを受けて発展していきました。しかしながら大雨が降ると、市街はたちまち洪水に見舞われてしまいました。たびたび続く洪水に悩まされていましたが、大正9年8月の洪水の被害は甚大で市街地は1週間も水が引かない状態が続くことになってしまいました。それをキッカケとして水門の建設や河川の改修を行う事を決定し昭和5年に放水路となる水路と水門が完成しました。
この水門の目的は、釧路川の水流は放水路に流しておきながらも、上流で開墾した材木等を船で運搬をする際にのみ水門を空けて物資の輸送を行う事を目的の第一とするものでした。しかしながら、これら河川の改修とは別に国鉄釧網本線が昭和4年に全通すると、物資は船を使うこともなく鉄道を使用するようになってしまいました。結局、岩保木水門は一度も開いた事がない水門となってしまいました。本来ならば撤去されるであろう水門の構造物ですが、歴史的に貴重な構造だそうで、以後名称は水門のままですが、ひとつのオブジェとして残されていくことになっていきます。

一度も開いた事のない水門ではありますが、水路としての機能は残ってましたから、若干の水は漏れて流れ出ていたのでしょう。そのため老朽化は避けられず、この水門のすぐ近くに昭和60年に新水門を建設しました。それにより、水門としての一切の役目を終えたこの水門の前には道路が作られて水は一切入らない構造になっています。ちなみに新水門ですが、水路こそ確保されているもののコンクリートで水量ゲートがあるため、よほどの事がないかぎり新水門に釧路川の水が入り込むことはありません。つまり幣舞橋の水は釧路川の水ではないという事なのかもしれません。

観光的にはここまでですが、実はこのあと地元では大変な事が発生しました。昭和5年に新しく作った放水路を新釧路川として、水門を経由する河川を従来どおり釧路川の名称が与えられたのですが、昭和42年河川法という法律にもとずいて1級河川に指定を受けた際に本流が水門で閉塞されるのはおかしい!本流は新釧路川ではないか!ってことで、新釧路川は釧路川となり、釧路川は旧釧路川にされてしまったのです。しかし釧路市民は慣れ親しんだ釧路川に「旧」の烙印を押されることに不満があって、長年にわたって名称復帰を訴えてきました。その熱意が通じたのか、平成14年に国土交通大臣より告示があり、それぞれ「新釧路川」「釧路川」という名称に戻されました。

ですから昭和の頃の地図を見ると釧路市街に流れている川は旧釧路川になっていますよ!参考まで!
岩保木水門の写真集
水門の近辺は、もう釧路湿原国立公園なんですよね。ゴミは持ち帰りましょう。 木造の建物。これが貴重なんだそうです。そばまで見に行く事ができます。
左側が釧路川。その間に道がありますよね。本来はなかった道なんです。これにより水路は完全に遮断されて池状態になっています。 本来の釧路川。左写真の結果、水は全くありません。ただ草木が生えていないので河川の跡だってのがわかります。
昭和5年建造です。もう少しで100年ですか、、、。歴史って長いもんですね。朽ち果ててほしくないです。 緑の映える春先や夏だったら綺麗な場所かもしれません。でも観光ガイドで見る光景だと思いません?
ゴージャスな新水門。無人で制御しています。しかし流れ出る水はほとんどありません。 なんだか水溜りに感じてしまいます。渇水すると どうなるんでしょうかね?