旧国鉄広尾線 幸福駅跡
住  所 北海道帯広市幸福町東1線
問い合わせ先 帯広観光コンベンション協会
電話番号 0155-22-8600
営業時間又は訪問可能期間 通年
駐 車 場 有り
入場料又はそれらに関わる料金 無料
ホームページ又は関連サイト http://www.obikan.jp/
コ メ ン ト
帯広の市街地から国道236を南下し30分ほどの幸福地区にひっそりとたたずんでいます。

元々は帯広から広尾までの84kmの区間を結んでいた旧国鉄広尾線の単なるマイナーな駅でしかありませんでした。この広尾線は遠く襟裳を経由して現在の日高本線に接続し苫小牧まで連絡する予定でした。開拓が進んだ大正時代の鉄道敷設法という法律に基づいて苫小牧ー様似ー広尾ー帯広という日高本線と広尾線の直通計画がはじまりました。

そして帯広から伸びた広尾線の線路が1932年に広尾まで開通しました。一方日高本線も苫小牧から1935年に様似まで開通しました。でも広尾から日高本線様似までの建設は頓挫し、結局その区間は工事すら行われないまま広尾線は広尾まで日高本線は様似までとなってしまったのです。そして1984年6月に第二次特定地方交通線に指定されてしまい3年後の2月に廃線となり十勝バスに旅客輸送が引き継がれています。

昭和48年NHKでドキュメンタリー新日本紀行「幸福への旅〜帯広」が放送され、当時、広尾線の「愛国から幸福行き」の切符が1300万枚も売れるという一大ブームになりました。それまで存在すら知られていなかった地方の駅が一躍有名になったわけです。
この路線の愛国駅から幸福駅までの乗車券が「愛国から幸福行き」切符として一時期飛ぶように売れ、観光客が多数訪れました。都心のデパートや夜店では1枚500円ものプレミアがついたり偽物が出回ったりもしたものです。
一時は廃止が免れるかとの憶測もありましたが、やっぱり広尾線の収支には焼け石に水でしかなかありませんでした。

でも廃線から15年が経過した今でも観光客が絶えず、お土産や旅の記念向けに乗車券と入場券が愛国と幸福の観光案内所や売店で発売されています。風化されつつある他の廃線跡とは違い幸福駅は観光地として立派に整備されており他の廃駅とはまた違った趣きを見せてくれています。

今でも駅舎が残り当時使用されたキハ22という列車が2両展示され駅前では切符の販売が行われています。そして恋人向けにハッピーセレモニーを行っています。ナビは昭和61年にも行ったことがあるがほぼ当時の姿で残っています。
廃止される前の昭和61年初めて北海道にツーリングに行った時に購入した切符。このあと半年後に廃止になるとはこの時考えてもいなかった。この切符が都心のデパートなどでは400円から500円もしていたのには驚いた。 2000年に久々訪問した際に購入した切符。日付はダミーでいつの日付でも作ってくれる。廃止前は220円だった。観光用のため表面はコーティングされていて保存は便利だがその分色合いが変わっていて一目でダミーと判る。
幸福駅の写真集
昭和61年初めてツーリングに行った際に撮った一枚。その時の感想は「これで駅なの?」だった。壁から天井まで名刺や定期券が貼られていた。 18年たった現在でも風情は同じだった。違うといえば自動販売機と公衆電話機が撤去された位以外はほぼ当時の面影を残している。
シーズンは土産店が並ぶ。切符をはじめ関連グッズが販売され駅長帽を貸してくれて記念撮影もできる。 夏季はホームに展示してある列車のドアが開いていて実際に車内に入る事もできる。
現役当時から手の加えられていない車内。古き時代の臭いは今でもただよっている。 ハッピーセレモニーでは、このゲートをくぐる。衣装のレンタルもあるので気軽に参加できる。
冬の駅舎。廃止から何回この建物は雪を見ているのだろうか。わずかだが観光客もいた。 駅前には幸福の水があって自由に飲めます。地下水なので、ちょっと冷たくて美味しいです。
冬の一コマ。さすがに閑散としているが、キハ22は存在を主張しているようだった。 木でできたホームに列車が止まっている光景はまぶしく見えてきます。
さすがに冬の夜はちょっと怖い。物置小屋調の駅舎は心霊スポットに見えてしまう。早々退散した。 線路に据えられた列車。線路が先に無いのが残念だが今にも駅に入線してくるみたい。