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 アーベルの風    No.201     2011年2月


寒さ本番、雪はどうですか?
 今年は冬型の日が多いようで、1月に入ってから毎日のように雪が降っています。雪と言っても、新潟市は、今日(1/15)のように粉雪がちらつく日が多く、現在の積雪は15センチほどですが、昨夜はこの冬初めて家の前を除雪車が通りました。
 最近は、雪が降っているのを見ると、「明日は早起きして早めに出ないといけないなぁ」とか、「家の周りを除雪しなくてもいい程度でやんでくれないかなぁ」などと、現実的になってしまって、『何となく心が浮き立つ気持ち』がなくなった自分に気づきます。たった一晩で、昨日とは全く違う一面の銀世界になった風景を見て、感動したり、何となくうれしい気分になったかつての自分と今の自分を比べて、歳をとったなぁと、ちょっと寂しい気分です。
 それでも、葉を落とした街路樹の白い綿帽子の美しさや、空から舞い降りる雪がつくりだす無音の世界は、昔も今も変わらずとても神秘的で、私の心の中に、穏やかで優しい気持ちをもたらしてくれます。深夜、しんしんと降り積もる雪を見ていると、『日常』から離れて真っ白な気持ちになれ、それは若かった頃と同じ感情であることに気づき、ちょっとうれしいです。

“タイガーマスク運動”
 クリスマスの日に、前橋市の児童相談所玄関前にランドセル10個が置かれていたことがそもそもの始まりでした。この、タイガーマスク『伊達直人』氏からのプレゼントは、全国に広がり『タイガーマスク運動』と名付けられるくらい全国に広がったとのこと。
 朝日新聞の社説(1/12付)はこんな風に書いています。「寒さも景気も厳しい冬だ。白いマットのジャングルに、今日も嵐が吹き荒れている。タイガーマスクが灯したのは、子どもたちに加え、日々を忙しくやり過ごしている普通の市民の気持ちだったのでは―。」

名もなき庶民の善意が伝わる一連のニュースに、気持ちが温かくなった方も多いのではないでしょうか。私もその一人です。
 いま児童養護施設に入っている子どもは3万人もいます。孤児よりも虐待などで親と暮らせない子が多いそうです。親の家出や死亡、離婚。虐待や子育て放棄。相談件数は年間8万7千件を超えます。こうした福祉施設は、人手と施設の不足で、大変な状況にあります。国の社会保障の貧弱さも改めて浮き彫りになりました。
社説2日後の同紙『声』欄の投書も心に残りました。ご紹介します。
【記事の画像は著作権に配慮し削除しています】


貸本屋

 『タイガーマスク』ニュースで私の脳裏によみがえったのは、幼い頃の貸本屋体験です。小学生の頃、『タイガーマスク』をはじめ、『おそ松くん』(赤塚不二夫)『サイボーグ009』(石森章太郎)『オバケのQ太郎』(藤子不二夫)『巨人の星』(川崎のぼる)『夕焼け番長』(庄司としお)『アポロの歌』(手塚治虫)『ハリスの旋風』『紫電改のタカ』(ちばてつや)など、たくさんの漫画を借りて夢中になって読みました。 1冊5円か10円くらいの安い料金で、小学生の小遣いでも借りることができた貸本屋は、私にとって貴重な情報源であり、世界を広げてくれた場所でした。
 『夕焼け番長』や『ハリスの旋風』から、貧富の差の理不尽さやそれを跳ね返す痛快さを感じ、『アポロの歌』から性教育を受けました。零戦や戦艦大和が活躍する戦争映画やプラモデルを通して、戦争は〈かっこいい〉と思っていた幼い私に、『紫電改のタカ』は、戦争の愚かさと平和の尊さを初めて教えてくれました。
 幼い頃に出会う文化(漫画といえども)は、おろそかにできませんね。

『二十四の瞳』
 戦争の愚かさに関連しますが、先日『二十四の瞳』をDVDで見ました。高峰秀子が大石先生を演じた1954年版です。3度目の視聴ですが、改めて作品のすばらしさに感動しました。(この年、木下恵介監督のこの作品がキネマ旬報の1位、黒澤明監督の『七人の侍』が3位だったそうです)。
 教え子を無条件に愛し、生きる尊さを伝えたいと一生懸命な大石先生が、それ故に“危険思想の持ち主”“アカ”とレッテルを貼られ、学校や社会から排斥されて

いく不条理な時代への怒りや、貧しさと戦争の中で死んでいった者たちへの痛恨と悔しさ、憤り・・・・。そんな思いで何度も目頭が熱くなったのは、以前視聴したときと同じでしたが、今回は、教え子への大石先生の関わり方に新しい気づきがありました。
 映画には、大石先生が、子どもたちに「ああしろ、こうしろ」とか、「これはダメ、それはいい」などと、指示したり教え込むような場面が全く出てきません。先生と子どもたちが一緒にいる場面は、ほとんどが、一緒に遊んだり、歌ったり、笑ったりするところなのです。
 それは、辛い場面でも同じでした。学校を辞めて奉公に出されたマスノとの修学旅行での再開のシーンでは、なにも言葉をかけられず、ただマスノを見つめることしかできなかった大石先生。貧しいコトエが病にふせって己の不幸を嘆く場面では、一緒になってオイオイ泣くしかできなかった大石先生。戦死した3人の教え子の墓に手を合わせるときも、盲目となって復員してきた磯吉が写真を手に一人一人の話をするときも、涙をぼろぼろ流しながら泣くだけしかできなかった大石先生・・・・。
 でも、実はそれが一番大切なのではないかと、今回私は感じました。教える対象としての目線ではなく、子どもと一緒に、遊び、笑い、怒り、泣く。母親のような包み込む、同じ時代を生きる人間として、不幸を一緒に嘆き、命の尊さを喜び、教師の原点はそこではないだろうか。そんな先生がそばにいるからこそ、子どもは安心と信頼、勇気と希望を育てていけるのではないか。そんなことを感じました。



先月の例会から

 1月は、由貴と寒さのせいか、巻例会と新潟例会の参加者は少なかったです。
Aさん
中3男子。友達とのトラブルや学校の対応に、まわりへの不信と自分へ絶望が強まり、中2の9月から教室に行かなくなった。校内の適応教室に通っているが、そこでの毎日は充実しているとはいえない。最近は何に対しても自信をなくし、「ダメだ」と自分を否定することが多く、進学を前にどうしたらいいかと相談に来た。
 担任は、不登校経験者が多く1人1人の面倒見もいいという評判の高校を薦めるが、そこは同じ中学の生徒が多く入学するので行きたくない。知っている人が誰も行かない高校に進学したい。
 
中学3年間で、友達や先生から受けた心の傷をわかってあげたい。その傷をいやしてくれる人との出会いがこれからあるといいね。それまでは、ご両親がその役割を担ってあげてほしい。

 「辛い経験も自分を育ててくれる糧だった」と思えるときが必ず来る。新しい環境で、見違えるように変わった不登校の子も大勢いる。進路選択のためにいろいろな情報を提供するのは大事だけど、決めるのは本人。本人の気持ちを尊重して受験校を決めてほしい。

Bさん
 自分もそうだったけど、気持ちをうまく言い表せず、そのためにイライラしたり卑屈になったり。そんな経験をいっぱいしてきた。自分をどう表現したいのかわからないんだよね。今通っているサポステ(若者支援サポートステーション)にもそんな人がたくさん来ている。まじめで優しい人が多い。知り合いに、心配かけたくないし迷惑かけたくないから、誰にも相談しないという人がいる。自分も親に対してそうだった。中学生や高校生の頃の自分は、友達はいたけど仲間はいなかった。それは寂しくて辛いことだった。でも、今一緒に『Re スタート』(サポステ通信)を作っている人たちは仲間って言える。それがとてもうれしい。自分を責めるよりも、自分をほめる練習をしている。まだまだ自信はもてないけれど。

Cさん
 息子が、高1の途中から登校できなくなり、中退してサポート校に通うまでの半年間は、先が見えなくて辛かった。「何があったんだ?」と聞いても、本人にもよく分からないようで、それ以上聞くこともできず、ただ見守るしかなかった。サポート校に通ってからも、果たして続くのか、また挫折するのではないかと、安心できない時期がかなり続いた。大学生になった今も、その不安はなくなったとはいえないけれど、この会で話をしたり聞いたりすることで、なるようになると思えるようになった。