アーベルの風 No.202 2011年3月 卒業式の匂い 春3月、卒業のシーズンを迎えました。 2月の三連休頃から、晴れた日に外へ出ると、『卒業式の匂い』を感じます。その匂いは、中学校に勤める私にとって、うれしさと寂しさと、「ああ、1年が終わるなぁ」と感傷的な気分になる匂いです。 長かった冬が終わり、新しい命が芽吹く春は、若者たちが住み慣れた居場所に別れをつげ、新しい世界に向かって飛び立っていく出発の季節でもあります。 いくつになっても、春になると何となく心が軽やかになり浮き立ちます。 『無縁社会』(NHKスペシャルを見て) 2月11日と12日の二夜にわたって、NHKスペシャル『無縁社会』が放送されました。第一夜は、『新たな“つながり”を求めて』の副題で、働き盛りの世代や若者にも広がる無縁社会の現実のドキュメンタリーをでした。NHKのホームページにはこんな風に番組が紹介されていました。
(第二夜は、『働く世代の孤立を防げ』と無縁社会をテーマにした討論番組) 生身の人との関わりは全くなく、インターネットで毎晩100人の人と「おやすみ」の挨拶を交わす若者。居酒屋でたった一人の飲み会をインターネット中継する女性。24時間365日、自分をパソコン中継する青年、そうしたインターネット中継の利用者は、月140万人という数字・・・・。そういう世界を全く知らない私にとっては、一つ一つが驚きの連続でした。 正社員として就職できず、安定した生活の保障がないため、希望がもてず生きる意欲さえも萎えていく若者たちの状況は深刻です。部品のように都合よく使われたり捨てられたり、そんな扱いを繰り返させられていたら、自分を大切に思う気持ちが育つわけありません。育たないどころか、自分は社会に必要とされていないんじゃないかという思いが強まっていき、生きる意味が見えなくなっていく。若者たちが置かれたひどい現実がじわじわと伝わってくるドキュメンタリーでした。 番組に取り上げられた人たちは、まじめで誠実なごく普通の人たちです。「誰かの役に立ちたい」という思いをみんな強く持っていました。絶望の中で一時は死を考えた人たちが、再び生きる意欲を持つことができたのも、「自分は誰かの役に立っている」という体験でした。そんな体験をした方が、「人と関わることで自分も変わるもんなんだ」としみじみ語っていた場面が特に印象に残っています。 第二夜の討論は、不安定な立場に置かれ、未来に希望がもてずに困っている若者や働き盛りの人に対して、「厳しいのは当たり前。もっと強くならなければ。自分で道を切り開く気概を持ってほしい」「そういう立場になったのは弱いからだ、自己責任だ」(という内容の発言)を繰り返す、人材派遣会社社長の奥谷禮子氏に、強い怒りを覚えました。参加者からも反論が出されていましたが、奥谷氏のような経済人が今のひどい社会状況を作り出してきたのです(奥谷氏は、経済同友会会員で製造業への派遣労働を解禁した総合規制改革会議(小泉内閣の諮問機関)の一員。「過労死は自己管理の問題」とか、「労働基準監督署はいらない」「(派遣切りについて)貯蓄をせずに自己防衛がなってない」などの発言もあります)。まさに若者や働き盛りの未来をずたずたにした確信犯ともいうべき人物を、ゲストコメンテーターとして招くNHKにも腹が立ちますが。 久しぶりに、いろいろなことを考えさせられた番組でした。
Aさん 中3の息子は、明るく元気な子だったが、中3の5月頃から「学校おもしろくない」とよく口にするようになった。クラスの中で、ボス的な子が次々にいじめのターゲットを変え、集団で無視したり意地悪をすることが続いており、自分もそのターゲットにされたらしい。感情を抑え内に込めてしまうタイプで、「愛想笑いをしなくちゃならないようなあんなクラスは嫌だ」と言いながらも、「負けないぞ」とがんばっていたようだが、夏休み明けから「具合が悪い」「行きたくない」とはっきり口にするようになった。 進学を前にした大事な時期だから、何とか学校に行かせようと、渋る息子の尻をたたくように9〜10月は行かせたが、11月からは大きく崩れ、週1〜2日くらいしか行かなくなった。進学の気持ちは強く、塾には通い続けたし、冬休みの“塾の合宿”にも参加した。そこは気の合う子が多く、抵抗もなかったようだ。 1月早々の私立専願受験当日は、元気いっぱいに臨み合格できた。(学校に行くようになるかな、相談センターの先生も「受験が終われば行くようになりますよ」と言っていたし)・・・・と期待したが、合格しても中学校へは行こうとしない。「今はその時期(昼夜逆転)じゃないから、(学校に行かなくても)生活リズムは崩さないように」とのセンターの先生からのアドバイスで、朝は起こすものの、2月に入ってからは昼間で寝ている状態。「行く行かないは本人が決めること。卒業式に出ることを目標にしましょう」とセンターの先生も担任も言うが、こんな状態で高校に入っても続くのだろうか。 元気だがシャイな性格で、友達の中ではうまく立ち回れないタイプの子。仲間はずれされていたとき、唯一自然に接してくれた友達がいる。彼女が「A君が一人にならないように、もっと守ってやれないの?」と息子に尋ねたとき、「オレだって立ち位置があるんだ(からこれ以上Aと親密になるのは無理なんだ)」と辛そうに答えたとの話を聞いて、子どもの世界は大変なんだなぁとしみじみ思った。最近は「そんな学校だったら行かせたくない」と思うようになっている一方、本人のエネルギーが全体的に落ちてしまっていることが心配。それに、さっきも話したように、こんな状態で高校生活を続けられるのかも心配。 冬休みの塾のことや受験の時の様子を聞いていると、彼は、学ぶことや学校に行くことを拒否しているんじゃなくて、“その学校(やクラス)”に行くのが嫌なんだね。今の学校やクラスは、安心できない場所で自分らしくいられないんだよ。だから、行かない(行けない)んだと思うよ。高校生になれば環境は変わるし、友達関係も新しくなるから、きっと大丈夫だよ。 Bさん 中3の長女は、2学期から一日学校に居れず半日で帰るようになった。幼稚園の頃から集団に入るのが苦手で一人遊びばかりしている子だった。強引に集団に入れると怒り出す。まじめでこだわりが強く、1つのことに没頭するタイプ。コミュニケーションがとれない。たとえば、友達にプレゼントをするとしても、受け取る人の気持ちを考えて買うんじゃなく、自分が欲しいものを買うとか、会話も自分が興味あることだけで、友達がどう思おうと関係なく話を進めたり。当然友達とうまくつきあえず一人になる。家にいるとリラックスして生き生きパソコンをずっといじっている。小さな人形を作り、それを使って劇みたいなものを即興でやったり・・・・どうも理解できない。先日“おからクッキー”を作ったんだけど、生地を均等に薄くのばすのにこだわり、すごく時間がかかってしまった。 中3で受験が目の前に迫っているから勉強してほしいのだが、「なぜ興味のないことなのに勉強しないといけないの?」と問うてくる。それなりに答えているが、本人はちっとも納得していない。学校はちっとも楽しい所じゃないという思いを強く持っている。 学校に行かなくなった娘にすごく悩んだ。「どうしたらいいんだろう」といろいろ 調べアーベルの会を知った。そこで話を聞いてもらったら自分の気持ちに少しゆとりができて、娘のことを少しずつ受け入れられるようになってきた。発達障害の疑いもあるかと、それに関する本をいくつか読んだら、あてはまることがいくつもあった。やはり発達障害なんだろうか。娘は生きづらい子の典型だと思う。コミュニケーションをとるのが苦手な発達障害の子にとって、今の社会は辛いよね。 発達障害は以前からあったはずだけど、それについての認識が広まってきたのは最近のこと。小中学校の先生方の研修テーマに発達障害が入ってきたのも、ここ数年だと思う。とは言っても、「発達障害がどういうものか」とか「クラスの誰々はその傾向があるかな」くらいの認識がほとんどで、「どんな支援が必要か」になるとまだまだ不十分だし、支援の方法がわかっても、時間も精神的にもゆとりがない多くの先生たちに、日常的にていねいな支援を求めるのは難しいのが現状。専門家や支援する人の増員がほしいね。 研究が進み、発達障害についての理解や支援の仕方が広く認識されてきているのは喜ばしいけど、発達障害がクローズアップされ支援の必要性が強く言われるようになった背景には、発達障害の人にとって今の社会がとても生きづらい社会になっていることもあるんじゃないかな。企業でも学校でも“コミュニケーション能力”が問われ、それができない人は片隅に追いやられたり排除される、そんなゆとりのない風潮が強まっていると思う。発達障害の人には、人と交わらず自分の世界を持ち何時間でも集中して仕事をする、そんな“職人タイプ”が多いけど、そういう人が大事にされない社会になっているよね。 Cさん 学校に行っていれば高2になっている娘は、中2で「行きたくない」と学校へ行かなくなった。最初は不登校の親だったけど、中学卒業後、何事にもやる気がなくなり“うつ”っぽくなった。いくつか医療機関にかかり、本人の希望もあって精神科の医療機関に入院した。入院中は、すごく明るく元気になって、他の患者さんと楽しそうに話したり世話を焼いたりしていたが、個室から別室に移ったら不安がものすごく強くなった。退院したあとも自傷行為など心配な状態が続き、体重も落ちてきて、9月に再度入院した。医師も「統合失調症かもしれない」「人格障害かもしれない」「でもどこか違うんだよな〜」と病名をなかなか判断できなかったが、検査の結果アスペルガーという思わぬ診断が出た。専門家の先生でもなかなかわからなかったんだよね〜。飲む薬も、抗うつ剤から精神安定剤に変わったけど、発達障害にこれだという薬はなく、いろいろ試しながら、今週1回の割合で通院している。自分がアスペルガーだとわかったことは本人にとってもよかったようで、今はとても落ち着いている。 本人は人と関わりたいという気持ちが強く、出会いを求めている。障害者手帳をもらい、障害者施設と病院に週2回通っているが、あと5日どう過ごすか模索している。勉強したいとも思っているが、自分はちゃんとやってこなかったから、中学からの勉強を一からやり直したいと思っていて、発達障害を理解してくれる人で、家庭教師ではなく通う形でやれるところはないだろうか。 家では、オンラインゲームをしながら、チャットで知り合った県外の同い年の男の子とやりとりしていて、先日のバレンタインではこだわりのチョコを作って郵送した。今は彼がモーニングコールで起こしてくれる。そのおかげで昼夜逆転ががらっと変わった。それまでは親がいくら言っても変わらなかったのに。異性の力は強いね。 Dさん 中3の息子は、受験を控え教育相談センターの中3を対象にした夜の学習会に参加している。小2から行かなくなり、保健室登校をした時期やセンターに通った時期もあったが、ほとんど学校に行かないまま義務教育を終えようとしている。高校は、同い年だけじゃない方がいいと、夜間の定時制を希望しているが、最近は定時制高校進学希望が多く、入れるかどうか心配。 2月の新潟例会は、中3の子を持つ方が3名こられ、卒業・進学を目の前にした悩みや思いがたくさん出されました。また、発達障害についての話も勉強になりました。 私にとって例会は、学校での自分の勤務ぶりや、生徒たちへの接し方を、客観的に振り返り考える貴重な場になっています。参加された方のお話を聞きながら、「こうしたい」「わからせたい」という思いが先立って、一方的な指示ばかりが多くなり、「ありのままのこの子を受け入れ、そこから出発する」という大事なことを忘れてしまっていたことに気づかされたり、生徒自身にじっくり考えさせ、自分で答えを見つけさせようとせず、答えを言ったりアドバイスしたりして、手っ取り早く解決しようとしたり・・・・。 「例会から帰ると、子どもに優しくなれる」と、例会に参加されたお母さんたちがよく口にされます。私の場合、「例会の翌日は、生徒たちに優しくなれる。じっくり待てる」という感じでしょうか。(西)
『全国連絡会』は、次の趣旨で発足しました(『全国連絡会』のHPから)
全国で活動しているアーベルの会のような〈親と教師の会〉や〈親の会〉からの投稿や、体験者のお話などが載った連絡会ニュースが、隔月で事務局(西宅)へ送られてきます。みなさんにご紹介したい体験談や親の思い、本人の思いがたくさん載っています。今回はその一部を掲載します。 (『全国連絡会』は、団体だけではなく個人も会員になれます。詳しくは、『全国連絡会』HP http://zenkokuren.jp/をご覧ください。 |